Pokemon Story/Chapter 2/Subchapter 5: Animation

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第2章  ブレイク

5 アニメーション

アニメ化の狙い

ある作品を他のメディアで表現するということは、ロで言うほど簡単なことではありません。それぞれのメディアはそれぞれに、固有の深遠さを秘めているからです。ポケモンのアニメーション制作は、その制作体制の仕組みの透明性に、際立った特色があります。久保は、ミニ四駆のアニメ『爆走兄弟レッツ&ゴー』で、アニメ番組の制作の仕組みをガラス張りにしました。ポケモンでもその仕組みを踏襲したのですが、今度はその透明性が制度的に担保されたのです。言い換えると、資金の流れと意思決定の過程が情報開示されたということです。情報開示には制度の整備が不可欠だという原則は、何も行政機関にだけ適用されるものではないのです。もちろん対外的に公表するような性格のものではありませんが、従来、制作関係者にも見えなかった制作システムの全体像が、関係者全員に示されることになったのです。その結果、制作に関わるスタッフ全員が、自分が担当する仕事の位置づけをはつ

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ジェイアール東日本企画
ついJRと書いてしまいますが正式名称はカタカナで「ジェイアール」。東日本旅客(株)の子会社第一号として発足、設立13年目。駅張り中吊りポスターなどの交通広告媒体管理部門があるため、広告会社としては特殊な存在。本社は東京・JR恵比寿ビル。代表取締役社長は山岡瑞雄氏。
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きり認識できるようになりました。
まず、制作体制を支える資金の面から、ポケモンのアニメ制作を見てみましょう。 久保が築き上げた制作の仕組みは、テレビ局を変革するものではありませんから、テ レビ局があり、スポンサーグループがあって、両者を広告代理店が取り持つという基 本的な構造は変わりません。異なるのは、広告代理店を含めた外側の仕組みです。 ポケモンのアニメ番組は、制作が小プロ、広告代理店はジェイアール東日本企画 (以下JR企画)です。JR企画は、その名称からもおわかりのように、ジェイアー ル東日本のハウスエージェンシー(専属代理店)です。JRの車内吊り広告や駅張り ポスターなどの交通広告、キオスクの販売網という流通経路など他の一般代理店には ない強みをもった代理店です。しかし1996年当時は、そのポテンシャルを新興ゆ えに100%出し切れていない、つまり成長途上にある代理店でした。 JR企画は当時、テレビ東京月曜午後7時からの枠を持っていました。その枠で放 送されていたのは、小プロ制作の『宇宙フレンド モジャ公』というアニメ番組です。 『モジャ公』は95年に放送が始まった藤子•F•不二雄の作品でしたが、開始以来視聴 率は苦戦気味でした。そのため枠単体では買い切っているJR企画の赤字が続いてい ました。もちろん手放して楽になるという選択肢もありましたが、テレビ東京のアニ メの枠は、一度手放すと次に持てるのがいつになるかわからないというほど希少価値

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山岡瑞雄さん
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ジェイアール東日本企画代 表取締役社長。1936年生 まれ。58年日本国有鉄道入社。 87年東日本旅客鉄道株式会社 常務取締役。92年から現職。
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第2章  ブレイク

のある枠でしたから、JR企画は耐えました。耐えて、ヒットする企画に巡り合う幸運を待っていたのです。
そして巡り合ったのがポケモンです。耐えた甲斐はありました。スポンサーグループは、小学館サイドで編成しました。編成にあたっての指針は、ポケモンの「応援団」になり得る会社という、実に『コロコロコミック』的であり、またわかりやすいものでした。
「このアニメのスポンサーというのは、とても重要だと考えていました。ポケモンのライセンスを統合整理する、いいきっかけだったんです。ドラえもんのように大きく育てるには、ちやんとした映像があるということと、ライセンスがきちんと行われているということが大切なんです。ライセンスをまばらに散漫に売っていると、いざなにかイベントをやろうとか、映画を作ろうということになっても、お金を集めることができないんですよ。だからポイントは、応援団となるべき会社がいっぱい、明確に見えているっていうことなんだと思うんです」(久保)ポケモンのアニメ化が始まったとき、任天堂はすでにポケモンのライセンス業務を開始していました。そのライセンスの与え方が、久保には散漫に見えたのです。「そこで、そうしたライセンスを一回御破算にして、協力関係を築けるスポンサーだけを集めて、そことやり取りしていった方が間違いなくアニメを作る上でまとまりや

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吉田紀之さん
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ジェイアール東日本企画営業企画局局長。1952年7月26日生まれ。77年旭通信社入社後、ドラえもんなどのアニメビジネスに関わる。95年ジェイアール東日本企画へ入社。2000年3月より現職。アニメ放送枠の新しい運営方式を導入、進行中である。
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すいですからね」
実はここに任天堂がアニメ化に難色を示した一因があったと、久保は言います。「アニメにするっていうことになると、番組を支える新たなスポンサーを集めることになります。そうなると、すでにライセンスを出している企業がアニメスポンサーに応じない時はその契約を切らなければならなくなります。でも、任天堂としてはライセンスを受ける会社(以下ライセンシー)との付き合いが悪くなりますから、そうはしたくないですよね。それにそういう一度出したライセンスを引つ込めるというのは、簡単じゃない。在庫整理などが伴い、面倒で骨のおれる仕事です。ですから、アニメの企画を出したときに、そういう面倒なライセンスの整理の仕事は、全部こちらでやりましょうって一言ったんです」
それはとりあえずはアニメ化のための方策でしたが、ポケモンが大きく成功するためには、いずれどこかで誰かがやらなければならない仕事でした。「このあと伸びていくには、それをやるしかないんですよ。非常に面倒な仕事ですよ。でも、必要だったんです。具体的には、小プロにライセンスの窓口を全部移すということにしたんですが、厄介な仕事は全部こちらでやるということを約束したんです。まず、任天堂はアニメにかかわる作業のために人を増員する必要はありません。ライセンスの事務所を東京に持ってくる必要もありません。細かいことは全部こっちでや

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任天堂のライセンス方針
上記では「無目的」と書いていますが、正確には機会均等、平等の精神で任天堂のライセンス業務はおこなわれていました。ロイヤルティを払い、ある程度信用度の高い会社ならば、任天堂キャラクターを使用してキャラクタービジネスが可能です。ただ、広範囲のアイテムで独占的にキヤラクターを使用することは認めていませんでした。このやり方のメリットは、実に八方美人的営業方法なのでライセンスを受けたい企業に嫌われることはないでしょう。誰にでもチャンスがあるとも言えますので、フェアなやり方のように見えます。変な癒着も発生しづらいと思われます。
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第2章  ブレイク

って、すべて報告します。それと、任天堂が気にしている権利の承認方法は、全部希望通りにしますって、みんな約束して、小プロに契約書を作らせたんです」その契約書の内容は、液晶携帯技術とデジタル技術、およびカードゲームに関するライセンスを除くアニメ、グッズ、ビデオなどを包括的に取り扱うことのできる、非常に強力な、排他的かつ独占的なライセンスでした。わずかな除外品目を除いて、ポケモンの原作権を使用した商品に関わる一切のライセンス業務の窓口が、この契約を境にして、任天堂から小プロに移ったのです。液晶携帯技術とデジタル技術については、任天堂が直接ライセンスし、カードゲームについては、すでにお話したようにメディアファクトリーがライセンスを持っているのです。
任天堂が他社にこのようなライセンスを与えるのは、海外の子会社であるNOA(米国任天堂)とNOE(欧州任天堂)を除いて初めてのことでした。任天堂が久保の、というよりここまで規模が大きくなれば小学館グループの、と言ったほうがいいでしょうが、この提案を承認した背景には、96年秋の時点では、誰にもポケモンの翌年以降のヒツトが予測できていなかったということがあります。キャラクタービジネスと言えば、誰もがディズニーのミツキーマウスやスヌーピーを思い浮かべるでしょうが、国内の市場規模で言えばそれから1年後にはスヌーピーを抜き、2年後にはディズニーのミツキーマウスに並び、3年後にはディズニーキャ

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反対にデメリットは、大きなビジネスが成立しづらいということです。このキャラク夕ーの玩具を全部任せるというようなことはないので、どこかの玩具メー力ーから大きなバックアップをもらうこともできません。つまりスポンサーを作ることは不可能なのです。スポンサードしてもしなくても、ライセンスがもらえてビジネスできるのなら、誰もスポンサードなんかしません。
また、キャラクターを育てるには大きく育つ前が大変なのであって、その初期段階でがんばった企業と後から来た企業とで差がなければ、育つかどうか分からない段階でも力を貸そうという有り難い企業などいなくなります。要するに、ライセンスはど
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ラクタ—が束になつてもかなわなくなってしまうほど、ポケモンが強大なキャラクターに育っとは、世界の任天堂にも想像できなかったのです。
しかし、任天堂にとっては、成功したからこそこの時点で小プロにライセンス窓口を移すという決断は正しかったとも言えるでしょう。なぜなら、この96年秋の時点ですでに、任天堂のライセンス業務は混乱し始めていたからです。
原因は、想像を超えるライセンス許諾業務の増加と、それに伴うライセンシーの管理です。ライセンス許諾業務というのは、ポケモン関連の版権を使用したいという申請を審査して、ライセンスを与えるかどうかを判断する業務です。商品名に「ポケモン」という言葉を使用するのも、ポケモンのキャラクターを使用するのも、ぬいぐるみを作るのも、みんなライセンスが必要ですが、その一つひとつを審査することも、整理していくことも大変手間のかかる作業なのです。
ただ、このライセンス許諾をいいかげんにしていると、粗悪な商品にまでライセンスを与えてしまって、キャラクターのイメージが壊れるということも起こり得るのです。あるいはむやみにライセンスを与えた結果、ライセンス商品が市場にあふれて消費者に飽きられ、キャラクター寿命を縮めてしまうケースもあります。キャラクタ—のライセンスも、許諾方針によってはキャラクターを消費してしまいかねないという、アニメと共通する危険性をはらんでいるのです。

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んな方法を採っても長所短所が同居するのです。アニメ番組を作ろうとなど思わなければ、オープンなやり方だって悪くはないのです。
アニメ番組を作ろうとするならば、ライセンスする相手を絞り、独占的にキャラクタービジネスを展開させて、その代償としてアニメ番組のスポンサードとロイヤリティを求めるしかありません。確かに年齢層が上向きでビデオだけ売れればよいという番組だと違うスキー厶も存在しますが、キャラクターマーチャンダイズを意識するなら、この方法以外は日本で存在できないように思えます。
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第2章  ブレイク

また、ライセンシーというのはライセンスの許諾を受けた会社のことですが、ライセンスを与える側をライセンサーと言います。キャラクタ—ビジネスで頻繁に使用される言葉には、他にサブライセンスという言葉もあります。これは、現在ではキャラクターの使用のライセンスを受けた会社が、自らその商品を生産せず、第3者の会社へ生産を委託(サブライセンス)し、自分はその販売だけをするライセンス権のことを指すようになりました。ライセンス権はライセンスを与える権利のことで、ライセンシーには本来ライセンス権はありません。
マスタ—ライセンスやサブライセンスを持ってライセンスを与える業務を行う人や会社のことを、エージェントとかエージェンシーと呼びます。ポケモンの場合でいえば、小プロはポケモンの限定的ライセンスを与えられたエージェンシーであり、メデイアファクトリーは、ポケモンカードに関するライセンスを与えられたエージェンシーだということになります。
話を戻しますが、ポケモンのライセンス許諾業務が急激に増加し始めたため、それまで任天堂がもっていた対応方法では処理し切れなくなって、その結果ビジネスチャンスを逃すことも何度か生じていたのが、96年の秋頃の状況でした。ですから、任天堂にとっても、当時は版権窓口=ライセンス業務を小プロに移すことにメリットを見出せたのです。

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ポケモンのライセンスは、当時の状況から考えると、必ずしも小プロだけに獲得のチャンスがあったわけではありません。ライセンス業務の一本化によるメリットを正確にプレゼンし、そこで統一的にライセンスを行うことがキャラクターにとっては唯ー最大の武器なのだということを説明すれば、任天堂はそれを受け入れたかもしれません。久保は振り返ってこう話しています。
「あのころは、たとえばポケモンの情報にしても、『コロコロコミック』が優先だねっていう雰囲気はありましたけど、きちんとした約束があったわけじやないんですよ。他の雑誌、たとえば競合誌の『コミックボンボン』(講談社)の表紙をポケモンが飾ったこともあったわけです。そういう意味でいえば、契約書を交わすまでは、講談社、角川書店にも、あるいはリクルート、アスキーにも、電通や博報堂といった広告代理店にも、ポケモンのライセンスを押さえるチャンスはあったんですよ。任天堂の広報、当時は総務部が広報業務をやっていたんですが、任天堂の広報活動は、1社に偏せずという方針でしたからね」
その状況に、久保はある意味で危機感を覚えてもいたのです。
「ポケモンがここまで大きくなったのは、石原さんと一緒に二人三脚的に、『コロコ口コミック』を使ってやってきたからでしょうっていうのがありましたね。立ち上げのときから、一所懸命に汗かいてやってきたのに、それが大きくなった途端に、誰か

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小プロのライセンス業務
小プロは日本で有数のライセンス業務をおこなっている会社です。日本国内向けにはメディア事業部ライセンス部が担当し、海外マターに関しては国際部が受け持っています。
小学館のコミック雑誌に掲載されているまんがキャラク夕ーは本来まんが家のものですが、管理運用は小プロの任せている作家も少なくありません。
また海外のキャラクターの窓口業務もおこなっています。代表的なのは「スターウォーズ」、「FOX映画作品」などです。
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第2章  ブレイク

においしい部分を持っていかれていってしまうっていうのは、もうひとつ納得もいかないしね」
そこでアニメ化を機に、一気にその曖昧な部分を明瞭にしようと考えたのでした。「アニメ化すれば、映像というものができてくるわけですから、その映像に関する権利というものがあるわけです。そこに、権利を集約して整理するチャンスがありそうだった。で、それが同時に、小学館が他の出版社よりも前に出るチャンスだと考えたんですよ。というより、他の出版社を全部外すことができるっていうことなんです。つまり、その頃、儲けられそうだとどんどん近づいてきた人たちに対して、ぱあつと線を引いたわけです。ここからはもう入れませんよって」こうした久保の言葉からもわかるように、久保がポケモンのライセンス統合を考えるようになったのは、にわかポケモン関係者に邪魔されたくないということからでしたが、一方、雑誌掲載のための情報を独占的に得たいという、編集者としての発想もありました。そしてそれを実現するために必要な措置を講じていくうちに、いつの間にかキャラクタービジネスのドアを開いていたというわけです。小プロは、小学館が関係するキャラクタ—の版権管理と国内外へのライセンス販売、およびその版権を使用したキャラクター素材制作を担当する小学館の100%子会社です。小プロを設立したという一点だけからも、小学館がキャラクターのライセンス

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アニメ化が先?
権利保持が先?
ポケモンのアニメ化することの目的が独占的権利所持のためのように映りますが、現実には違います。
人気をさらに大きく確固たる物にしたいからこそアニメ化するのであって、企画当初、権利所持については副産物のように考えていました。交渉過程で任天堂は、アニメ番組に関してはOKを出しそうでしたが、番組運営に関しては必要最低限のリスクしか背負わないということがわかつてきました。作りたいのはポケットモンスタ—というアニメーション番組です。誰が一番利益を享受できるか明白ですが、任天堂にはメインスポンサーとして番組を積極運営しようという姿勢はあり
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に限らず、知的所有権の運用に、早くから取り組んでいたことがわかります。いまでは大手出版社のほとんどすべてがキャラクタービジネスに手を染め、ライセンスの管理運用のための子会社や社内部署を設置していますが、ポケモンのアニメ化当時は、自社内に眠るキャラクター資産の価値に気づいて積極的に活用している出版社は皆無でした。各社は必要に応じて、外部の代理店などに窓口業務を依頼していたのです。あるいは、キャラクターにかかわる版権の管理運用は、たとえば広告代理店などが行う業務であって、出版社が行うべき業務ではないという、先入観ないしは偏見があったのかもしれません。
それがポケモンの成功によって、出版社でも、いや出版社こそ、キャラクタービジネスの中心的存在になり得るのだということに、各社が気づいたのです。小学館と小プロという出版社グループが、あるゲームソフトに関するライセンスを獲得し、成功させたという事実が、そもそもの仕組みを発案した久保や、ライセンスを与えた任天堂ほかの原作者や、それを受けた小プロおよび小学館が思いもよらない形で、日本の出版界を刺激し、キャラクタ—ビジネスに目覚めさせたと言っていいでしょう。

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ませんでした。広告代理店もJR東日本企画に決定する前、番組を背負うという条件つきで、大手代理店に提案したことがありましたが、成立しませんでした。
番組運営のためには、6500万円/月が最低限必要なのはわかっていたので、ぼくら(小学館+小プロ+J企)は、アニメスポンサー候補会社にポケモンのライセンスの権利の代償にスポンサードを求めるしか方法がありませんでした。ライセンスの重要性を意識し始めたのはここからになります。
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第2章  ブレイク

ライセンス•ビジネス

しかし、それは成功してからのことです。小学館グループにとって歴史的なポケモンのライセンスを小プロに移行するという作業は、ほとんど注目を浴びることなく、静かに進められました。まず小プロが始めたのは、それまでに任天堂が出していたライセンスを統合整理する作業でした。任天堂のライセンス方針は複数ライセンシーが競合することを認めていたので、お菓子ならお菓子で数社、文房具なら文房具で数社ライセンスされていました。小プロは「アニメスポンサーは1業種1社」を原則に、アニメのスポンサーになるかどうかを含めて、小学館グループ主体のポケモンのプロモーション展開への参加の可否を問うという形で進められたようです。「窓口を小プロに移してからは、1社ごとに交渉してゆけばいいわけです。番組スポンサーやりますか?やりません。じやあ、さようなら。やりますか?やります。じやあ、やりましょう。まあ実際はもっとていねいに配慮しながらやるわけですが、そうやって、アニメのスポンサーが最終的に決まる頃には、それまで出ていたライセンスのほとんどは整理されてきたと思います。それを新たに、一緒にやろうって言った企業には、任天堂の了承をもちろん得てですが、小プロからライセンスを出していくわけです。まあ、交渉としては一見単純なんですけどね。面倒で手間と時間のかか

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アニメを意識した契約書
小プロが持つテレビ番組になる前のキャラクタ—ライセンスの契約書には、次ぎのような条項が必ず入っています。「本キャラクタ—がアニメ化、ドラマ化などテレビ番組として企画され、それが決定的になった時、自動的に本契約は消滅します。その場合、〇X日以内で在庫処理をおこなってください……」
アニメ化になると前述したとおりロイヤリティの配分先に広告代理店と放送局が入るため、ロイヤリティの率が上がることがあります。また、契約更新の条件に番組スポンサーを義務づける場合もでてきます。アニメ化が見えた段階で、新しい契約書が必要なことは見えてきますので、あ
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る仕事なんです。小プロはよくやったと思いますよ」(久保)
任天堂と長い取引のあるおまけ付きお菓子のバンダイやシールの天田印刷加工、ベンダーマシンの共同、ガムのトップ製菓など数社では任天堂との直接契約が継続されましたが、窓口は小プロに移され、小プロがライセンサーとしてライセンスを出すことになる同種企業との間で、バツティングを避けるために商品のアイテム調整が行われました。
こうして絞りこまれたアニメ番組のスポンサーは、任天堂と、任天堂からポケモンのライセンスを受けているライセンシー、それにカードゲームを販売しているメディアファクトリーです。ライセンシー企業は、玩具のトミー、おまけ付きお菓子のバンダイ、プリクラなどアミューズメントのバンプレスト、ポケモンカレーなど食品の永谷園、ポケモンプリンなどお菓子の明治製菓、出版の小学館の6社です。ここで、アニメにおける小学館の立場についてお話しておきましょう。アニメのポケモンについては、小学館は番組のスポンサーの1社であり、任天堂のライセンシーの1社に過ぎません。それ以外に、商品化権の配分を数%受けているだけで、番組の原作権は持っていないのです。通常、ポケモンのようにゲームソフト→漫画雑誌の連載コミック→アニメーションという経緯をたどった場合、雑誌を発売している出版社にもアニメの原作権が与えられます。出版社の既得権と言ってもいい権利です。それ

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らかじめ契約書の文中にテレビ化に対する対応は謳ってあるのです。
ところが任天堂の契約書には、この一文がありませんでした。映像化した経験がないので必要なかったと言えばそれまでです。ただ、契約書にないことを押し進めるのには相互の理解と根気のいる交渉がついてきます。小プロにとってラッキーだったのは、テレビ化における契約消滅は、このライセンス業界では常識だったことです。契約書に明記されていなくても、慣行として認められていたのです。また、任天堂•業務部が協力的であったことも円滑に作業できた重要な要因でした。
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第2章  ブレイク

を小学館は、ポケモンについては放棄しているのです。
「プレゼンのときに、ゲームストーリーを原作にするならアニメの原作権もいりません。だから、アニメにしましょうって言ったんですよ」(久保)それは、アニメの原作権者が増えれば、当然その原作権使用料の1社当たりの配分が減ることになりますが、それを避けるためでした。原作者グループが、アニメ化の企画提案を受け入れやすくしたのです。小学館がアニメの原作権を持つか持たないかで、原作権使用料の配分が1社当たりどの程度増減するのかは一概に言えませんが、増減することは確かです。そしてそれは、任天堂ほかの原作者にとって、ビジネス上無視できない要素だったに違いありません。
では、小プロの立場はどのようなものだったのでしょうか。ポケモンのライセンスを持つエージェントということは、クライアントである原作者グループに代わって、ライセンス許諾の判断を下し、ライセンシー企業と契約を交わし、ライセンシーから商晶化権、映像化権、出版権などの原作権使用料を徴収し、窓口手数料を取った上で原作権者に還元するという業務を行うことになります。ですから、この場合にはポケモンがヒットすればするほど、ライセンス商品が増えれば増えるほど、小プロの収入となる窓口手数料が増えるということになります。しかし、ゲームソフトから生まれる副次的な収益に、過大な期待を寄せる者は当時いま

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アニメの原作使用料
作品によって一概には言えませんが、常識的には一話で15万円前後です。
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せんでした。これは任天堂が小プロにライセンス業務を手渡すことを決めた理由についての別の見方でもありますが、石原はこんな話をしています。
「ゲームソフトが生み出す派生物というのは、あの頃は1番目に攻略本、2番目にその他っていう考え方だったんですよ。1番目の攻略本は印税の一部をもらってくるわけですけど、まあ、たいした額じやなかったんです。2番目のその他ですけど、ポケモンでは最初に、ゲームボーイの形をした塩ビの箱の中に、ポケモンフィギュア(人形)が1体とラムネ菓子が入って100円という商品がバンダイさんから出たんですね。初めて三次元の立体になったポケモンを見て、われわれは、すごいねって言い合って、ビツクリして喜んで、こういうものもっと作りたいねって話し合ったんですよ」
これは任天堂が直接ライセンスした、ポケモン商品第1号の「ポケモンクラブ」のことです。初回出荷は25万個でした。
「でもバンダイさんは、『いやあ、ヒトカゲとかゼ二ガメは有名なんで子どもたちも使ってるから作ってもいいけど、他はあんまり作りたくない、せいぜい8種類ってところかな』なんて言うんですよ。それを聞いて、え、もっと作りましょうよ、せめて16種類は作りませんかって提案したら、じやあ売れたら考えます、なんて言われたんです。当時は任天堂ならマリオとルイージとドンキーコングにピーチ姫、それに田宮

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アニメ開始前のポケモンライセンスビジネス
ポケモンというキャラクターがゲー厶ボーイゲー厶からスター卜しカードゲー厶にブー厶の火がついた時、アニメの話が進行したことになります。その際、このヒットしている2アイテムからはロイヤリティを取らないことを明言して、小プロはライセンスビジネス開始したのです。小プロを始めとして誰もが、ポケモンライセンスビジネスがこんなに大きくなるなんて思いもしませんでした。アニメの製作と版権窓口を小プロがやることになったわけですから、アニメ放送前のあらゆるリスクは小プロが背負わないといけません。それに、任天堂に無理をお願いし
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模型のミニ四駆も流行ってましたしね。そんな状況だったので、ゲーム業界では、ゲームソフトからの派生商品といえば、主に攻略本だったんですよ。それに2番目のその他から入ってくるお金も合わせて、社員旅行でもできたらいいねっていう程度だったんです。ですから、任天堂にとっては、ゲーム本体の商売を100とすると、こっちは1とかそれ以下っていうくらいのものでしたから、関係ないよっていう感じでしたね」
一方、小プロはアニメの制作プロダクションでもあります。前にもお話ししたように、アニメ番組では、テレビ局から十分な制作費が出ないため、多くの場合、制作プロダクションはアニメ制作単体では赤字を抱えることになります。ではその赤字分を何で補塡するかと言えば、制作したアニメ作品の2次使用権の運用によって得られる収益です。しかし、2次使用権の運用で大きな収益が得られるのは稀だというのが、業界の常識で、その結果、アニメ産業の制作環境は過酷だと言われているのです。その構造は、ポケモンのアニメでも変わりません。ですから、右手にはポケモンのライセンスを、左手にはポケモンのアニメ制作を持つことになった小プロは、ポケモンが成功すれば天国、失敗すれば地獄という状況におかれていたといってもいいでしょう。文字通りハイリスク&ハイリ夕—ンです。
任天堂をはじめとするポケモン原作者グループと小学館グループの間に、このよう

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て版権窓口を移してもらったのです。ある程度の売り上げ数字をあげて恩返しすることは小プロの義務とも言えました。
結果、ポケモンは大ヒットしライセンスビジネスは未曾有の大ブレイクをするわけですが、アニメ開始前のリスクを考えると小学館関係者は、利益に小躍りするというよりは、とにかくホツとしたと言うのが本音です。
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な関係を築こうと考えたのは久保ですが、小プロにこうした大きなリスクを負わせることについては、上層部から否定的な意見も出ていました。そこを久保と一緒に、稟議書を押し上げていったのが、上司の河井常吉でした。河井は言っています。
「当時はポケモンの将来がどうなるのかなんて、まったく誰にもわからなかったわけですから、そのアニメ制作を受けるというのは大きなリスクを負うということなんですよ。小プロが負うリスクと引き換えに、アニメ化を手に入れたわけです。それを企業としてのチャンスととらえるか、リスクと見るかということですね。それはもう経営的判断のレベルですよ。成功したからということではなくて、小プロに引き受けさせるという経営判断は正しかったと思いますね」たしかに正しかったのです。先ほどの石原の言葉を借りれば、小プロは1番目の攻略本は扱わず、2番目のその他だけ扱っているわけですが、2000年8月現在の数字をご紹介すると、ライセンシーは70社を超え、商品数は6000品目を超えるまでになっているのです。
任天堂と小プロ間のライセンス代理業務契約は、97年3月に正式調印され、前年の96年10月に遡って発効しました。正式調印までの間も、小プロはエージェンシーとしての業務を行っていましたが、最終的に窓口手数料の比率が確定していなかったため、その間のアニメ制作会社としての権利配分金の受け取りを保留し、ライセンシーから

第2章  ブレイク

入金されたほとんどを任天堂に暫定的に送金していました。そこにも、小学館グループのポケモンのライセンス獲得にかける意気込みの一端をうかがうことができます。ポケモンの権利者
ところで、これまであいまいに原作者とか、原作者グループという言い方でお話ししてきましたが、ここでポケモンの権利者とライセンスについて解説しておきましよう。この解説をアニメーションのお話の中でするのにはわけがあります。アニメーションの成功がポケモンの世界的なブレイクにつながるわけですが、そのときアニメ化の過程でライセンスを整理統合したことが、その成功を支えるカギとなったからです。ゲームソフト、カードゲームに続いて出てきたアニメーションは、三段跳びのホップ、ステツプの次のジャンプに当たります。しかも、そのアニメーションからのジャンプが魔法のジャンプで、いまだに着地していないほど、大きなジャンプとなっている。それというのも、ライセンス窓口の一本化が行われていたために、海外での交渉が、そうでない場合と比較して、格段にスムーズに進んだからなのです。まず権利者ですが、ポケモンの原著作権を持つ原著作者は、すでにお話した3社の他にありません。任天堂、クリーチャーズ、ゲームフリークです。原著作権、原著作

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コピーライトの表現方法
通常、キャラクターグッズには権利者の表示として©(マルシ一)が表記されています。日本では北米よりもこの©表記が重要という認識があります。北米では©表記は裁判を起こすときの相手がわかるぐらいしか考えていません。欧米では©表記で全ての権利者を表す必要がないのです。北米の©表記は日本のそれと比較して短くシンプルな物が多いのです。権利著作物の集大成とも言うべき映画の場合、その©表記はエンドクレジットの一番最後にでてくるのです。北米では大切な物は一番最初にでてきます。映画の冒頭で出てくるクレジッ卜表記が一番大切なのです。どこのなんという人がなんと
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者というのは、原作権、原作者と同義の契約上の用語です。本書ではわかりやすく、原作権、原作者と呼んでいます。契約当事者が複数の場合、民法上代表者を定めて契約の当事者とすることができることになっていますが、この3社の場合は、任天堂が代表者になっています。ですから小プロとの契約も、契約当事者は任天堂です。契約の内容は、前にお話ししたように液晶携帯技術とデジタル技術、それにカードゲーム以外の商品についてのライセンス許諾業務と、ライセンシーからの原作権使用料の徴収と分配です。
カードゲームについては、クリーチャーズが3社の代表者となって、メディアファクトリーと製造販売契約を結んでいますから、小プロが関与する余地はありません。ちなみに、クリーチャーズがメディアファクトリーに与えているのは、全世界向けのライセンスです。
小プロは、原作者グループから受けたライセンスを、本とビデオなど出版は小学館、玩具はトミー、食品は永谷園というように、1業種1企業を原則に選定して、ライセンスを与えています。カードゲームのメディアファクトリーも、ビデオグラム、ピンバッジと音楽CDに関しては小プロのライセンシーです。契約の効力が及ぶのは、日本国内およびアジアに限定されています。海外については、次章でお話しすることにしてありますが、アメリカのシアトルに本社を置く任天堂の子会社NOA(ニンテン

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いうプロダクションで製作したのかということが、映画では大きく表記されます。本来はそれが一番重要で、©表記は法的な窓口の表記でしかないのです。
ところが日本では、©表記に全ての権利者を表そうとします。海外で裁判が起きた場合、権利が分散していることを示すのは本来不利なのですが、そんなことはお構いなしです。商慣習上の理由があり、しかもそれが社会に根付いてしまったため、日本の©表記は長いのです。
これ以降は自戒を込めてお話ししますが、ポケモンは日本の中でも長い方になってしまいました。ゲー厶の場合、©Nintendo, Creatures, GAMEFREAKとなります。アニメの©は後
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第2章  ブレイク

ドウ・オブ・アメリカ゠米国任天堂)が、日本国内とアジア地域を除く全世界向けライセンスを持っています。
アニメについては、映像が出来上がってからのことになりますが、映像作品から生まれる原作権を、原作者グループの任天堂、クリーチャーズ、ゲームフリークという3社に小プロ、テレビ東京、JR企画の3社を加えた計6社が共同で所有しています。この6社は、アニメ作品から派生する商品化権を持ち、商品化権使用料の配分を受けることになります。このときアニメ作品の原作権者には入っていませんが、ポケモンのコミックを連載した『コロコロコミック』を持つ小学館と、テレビ東京の子会社で制作プロダクションのSOFTX(現メディアネット)も、商品化権使用料の配分を数パーセントずつ受けています。名より実を取ったということになるでしょう。こうしたライセンスや権利の所在は、商品でもテレビでも、クレジットを注意深く見てみると、ある程度わかります。日本国内では、もし©マークの後ろに、任天堂、クリーチャーズ、ゲームフリークの表示があれば、それはゲームから商品化されたポケモングッズで、水彩画がベースのイラスト(杉森建が描いたゲームイラスト)•が使用されていることを示します。セルアニメのポケモンたちは、『ポケットピカチュウ金銀といっしょ』で使用されているだけで、ほかではパッケージには使われていません。

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で記述しますが、さらに3社追加されてもっと長くなります。さすがにアニメの。は便宜上短縮形を作りました。ぼくがもう少し気を配れば短くできた可能性がありますが、力及ばずの感があります。日本の著作権業界に身を置く人は将来的には考えをあらためるべきですね。
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そしてもし、いま挙げた3社のほかに、テレビ東京、小プロ、JR企画の3社の表示もついていれば、それはアニメ作品から商品化されたポケモングッズです。これは先ほどとは反対にゲームイラストは使用されずセルアニメのポケモンイラストがパッケージに使われます。いまでは、市場に流通するポケモングッズの大半がアニメからのライセンスになっています。表示は多くの場合アルファベツト表示で、イニシアルだけの場合もあります。ただし、プロジェクトごとに、たとえば©ピカチュウプロジエクト2000のように、権利を集約して表示する場合もありますから、いつも同じであるとは限りません。

アニメ化の始動

小プロはもちろん、以上のような任天堂とのライセンス契約に向けての準備をする一方で、アニメーションの制作にもとりかかっていました。ライセンス業務を担当するのはライセンス部で、テレビ番組を制作するのはテレビ企画部ですが、どちらもメディア事業部に所属するセクションです。
ポケモンのアニメ制作の特色は二つあります。独立プロデューサー制を採っていることと、制作会議を設けていることです。まず、制作会議からご紹介しましょう。

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第2章  ブレイク

制作会議は、ポケモンのアニメーションを制作する上での最高意思決定機関です。会議のメンバーは、クリーチャーズの石原恒和、ゲームフリークの杉森建、任天堂の小田部羊一という原作者グループの3人に、独立プロデューサーの吉川兆二、監督の湯山邦彦、小プロから発注を受けたアニメ制作プロダクションオーエルエム(以下OLM)の作画監督一石小百合を加えた6人を中心に、多くの関係者が参加しました。アニメーションになったポケモンの世界観やキャラクター設定、ストーリー構成といつた重要な事柄は、すべてこの会議で決定されました。この会議設置の目的は、ゲームソフトが持つ世界観を損なうことのないようなアニメ作りをするということでした。それは、アニメ化企画の提案の際、久保が原作者サイドに確約した「いいものを作る」ための制度的保証の一環でした。もちろん後になってみれば、いいものを作っておいたからこそ、二次使用権の運用益もでることになり、小プロのライセンスの窓口手数料の収入も増えるわけですが、放送前の先行きが見えない状況では、大きな賭けでした。
次に独立プロデューサー制ですが、これは『爆走兄弟レッツ&ゴー』制作のときに久保が初めて採用したシリーズ構成専任プロデューサー制の流用です。ポケモンでも再び起用された吉川は、前にお話ししたようにポケモンにはアニメ化の企画段階から参加していて、9月のプレゼンには久保とともに京都の任天堂本社まで行っています。

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制作会議
上記ではポケモンアニメの全てについて6人が中心となって決定したようににも受け取れますが、現実にはちょっとニュアンスが違います。アニメをスター卜する前に製作会議と称する会議を何回もしましたが、その会議は田尻さんも小プロ・OLM関係者も出席した大人数の会議です。重要なことはそこで決定していきました。
会議をスター卜した頃は、田尻さんと石原さんにポケモンの世界観を聞いていくQ&Aスタイルが多かったのですが、アニメ制作チー厶が徐々に理解度が深まるにつれて、いろいろな意見交換ができるようになりました。
ポケモンのアニメは大きなシリーズ構成を決める前にこ
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ポケモンでは、その肩書きが独立プロデューサーに変わりました。その「独立」と言う言葉の意味について、吉川は次のように話しています。
「独立という言葉の意味は、人柱ということですね」
そう吉川は切り出しました。
「久保さんは、このポケモンっていうのはアニメにしたら絶対にうけるって思って、石原さんとか、いろいろネゴシエーションしていったわけです。その過程で、もし出来上がったアニメを見て、任天堂の山内社長から、こんなもんはダメだって言われたり、あるいは、スタ—卜してからでも、つまんないって言われたときに、いったい誰が責任を取るんだっていう話になったんですよ。そのときに、彼がアニメの総責任者ですって言って、わたしを立てたんです。つまり、久保さんも含めて、代理店にしろおもちや屋さんにしろアニメの制作会社にしろ、みんなプロデューサーという立場の人を立てますよね。それが、アニメがダメっていうことになったときに、誰の責任だって関係各社が責任のなすり合いをして、みんなで飛んじゃったら、任天堂さんとの付き合いがなくなっちやいますよねえ。そうなると、それぞれ会社としても影響が大きいじゃないですか。だから、会社を背負っていない人間をチーフプロデューサーに立てようということになったんですよ。それがわたしです。久保さんは、他の会社のプロデューサーの皆さんを守ります、だからやりましょうって言いたかったんですよ。

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の大きな製作会議を開催しており、出席メンバーが映画の製作会議とほぼ同じな関係から、映画とテレビの会議を兼ねることもでてきました。
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第2章  ブレイク

わたしは久保さんからは、うまくいったらキミの手柄、うまくいかなくてもキミのせいって言われているんです」
企業もののドラマのーシーンになりそうな話です。この話を聞いて愉快になるのは不謹慎でしょうか? しかし、話している当の吉川も笑っていました。「そのとき久保さんからは、もし失敗しても、任天堂と仕事ができなくなるのはキミだけだから、そうなったらソニーを紹介しようって言われました。だからわたしは、単純に人柱のプロデューサー。アニメーションのオープニングでは、原作者の田尻さんの名前があって、石原さんの名前があって、その次にわたしの名前があるんですよ。アソシエートプロデューサーっていう形で。で、わたしの次が任天堂の小田部さんなんです。小田部さんというのは、アニメーション界で、あの宮崎駿さんを、おい、宮崎! って呼べる方なんです。いえ、実際には威張ったりなさる方じやないんですけどね。そういう方の前に、なんでわたしの名前が出ているのかといえば、こいつです、こいつが責任者なんですっていうことなんですよ。全然偉くないプロデューサーなんですけど」
久保が全幅の信頼を置くアニメプロデューサー吉川兆二は、1958年生まれですから久保より1歳年長です。出身は田尻と同じ東京都町田市です。少年時代に読んだ手塚治虫の『火の鳥』に触発されて漫画家を志し、『ーニの三四郎』などで有名な小

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吉川プロデューサーのポジション
上記では僕がいろいろなことを吉川さんに言って、無理やりプロデューサーにして仕事を頼んでいるように見えますが、現実には全く……その通りです。
ただ、吉川さんは自分の能力について語っていないようなのでぼくがその点を追記します。
一般的にクリエイターとクリエイターが同等の立場で仕事を一緒にしようとすると、必ずと言っていいほどぶっかります。センスが全く同じなわけはないのですから、ぶっかって当たり前です。さらに、個性の強いクリエイター同士がぶつかると周りがどんどん疲弊します。吉川さん自身、クリエイターの要素の強い方
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林まこと、続いて『かぼちゃワイン』の三浦みつるに弟子入りもしました。
「三浦みつるさんという方は、手塚さんの虫プロの終わり頃にいた方なんです。だから三浦さんの効果線の使い方とかというのは手塚さんの直伝なんです。わたしも、そういうのは勉強したかなあと思います」
しかし、吉川は26歳で転向することになりました。
「漫画って特殊なんですよね。主人公が描ければいいっていうところがあるんですよ。華のある主人公が描ければいいっていうね。華のある主人公。それが描けなかったんですよね。それが自分の弱いところだと思って、筆を折ったというところがあります」
それ以後は、長く「おまけ」のプロデュースを手掛けてきました。
「ロッテの〃おまけ〃を専門で扱っている企画会社に入って『ネクロスの要塞』というのをやりました。そこから、その『ネクロスの要塞』という〃おまけ〃の企画を出してきたレツドカンパニーという会社に移って、そこに長くいましたね。その頃は〃おまけ〃の全盛期で、ビックリマンチョコが月産3000万個というような時代でした。その頃に、ネクロスの要塞をやっていたわけです。ですからわたしは、出身は〃おまけ〃です。わたしが世に出たのは〃おまけ〃なんです」吉川はレッドカンパニーで、おまけだけでなくゲームソフトやアニメも手掛けるこ

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ですが、彼らの間にはいって意見調整させると天下一品の仕事をします。クリエイターの信頼を得やすい性格なのです。僕はどちらかというと営業的要素の強いプロデューサーですが、吉川さんは圧倒的にクリエイティブ要素の強いプロデューサーなのです。僕はミニ四駆のアニメ依頼、吉川さんとつきあっているわけですが、本当に良い人材に巡り会えたと思ってます。今では毎週ー回ある僕の部署の会議にも出てもらっていてゝ「ビックリマン2000」などのアニメも一緖にやっています。
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第2章  ブレイク

とになります。最初にかかわったアニメ作品は、『魔神英雄伝ワタル』でした。「これはガンダムSDと同じような小さなロボツトをタカラが作って、それと連動させる形で作ったアニメなんです。1年間やったんですけど、出だしは悲惨でしたが、夏場にはガーツと上がって、10%を超える視聴率で終えられたんです。それでレッドカンパニーの中でアニメ担当になったんですよ」さらに吉川は、このヒットアニメ以後、3本のアニメを手掛けることになりますが、その3作目に、タカラがスポンサーになって放送されたテレビ東京の『サイバーフォーミュラ』という作品がありました。
「ちょうどF1が流行っていた頃で、このアニメもレースものなんです。そのシリーズ構成のディレクションをやりました。毎週金曜日の放送だったんですが、タカラとしては、金曜日の放送でレースをやって、その優勝した車を土曜日に発売したいんですね。そうすると、最初から、じやあ、1年間に何回レースができるんだっていうことになるわけです。でも、制作プロダクションとしては、1カ月に1回のレースで年間12レースならやれる、というのが出て来るわけです。実はアニメではロボットものより車ものの方が画力が問われるんです。車は現実にあるものだし、四輪が接地してなくちやいけないし、パースの採り方から何から、現実にあるものだけに、結構難しいんですよ。だから、レースとなると大変なのでそのくらいが限界なんです。年間12

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「レッドカンパニー」
企画会社としては日本の草分け的な存在。社長は「さくら大戦」のプロデューサーとして有名な広井王子氏。吉川さんは、制作部長どして会社に泊まり込みで働いていました。
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レースだと決まると、監督と話をしながら、いろいろ決めていけるんです。ここで誰が勝って次のここでは誰が勝ってって。最後には主人公を優勝させなくちゃいけないんですけど、終わったときの順位表を最初に作ってしまうわけです。そのとき、ああ、こうすればアニメのシリーズ構成になるんだっていうことが、ある程度わかったんですよ。それはRPGものでも同じですね。それでアニメって面白いなあって思って」
吉川は1995年にレツドカンパニーを退社して独立しましたが、ちょうどテレビアニメ『爆走兄弟レッツ&ゴー』の制作に取り掛かっていた久保は、そのシリーズ構成専任プロデューサーとして、吉川を起用したのでした。久保と吉川は、吉川がアニメ『魔神英雄伝ワタル』を制作しているとき、『コロコロコミック』がこれを企画展開して取り上げて以来の付き合いでした。
「ちよつと自慢しちやうとですねえ、『爆走兄弟レツツ&ゴー』をやってるときに、アスキーからゲームが出たんですけど、そのゲームに、アニメでそのひと月前に、やっとパワーアップしたばかりの主人公の車がゲームに入っているんですよ。普通できないことなんです。アニメもゲームもかなり前に作り始めますから」この吉川のシリーズ構成とタイミング調整の手腕に、久保は深い感銘を受けました。任天堂へのプレゼンの際、『爆走兄弟レッツ&ゴー』にシリーズ構成専任プロデューサーをおいたことの成功例として久保が取り上げたのも、このエピソードでした。

第2章  ブレイク

吉川は『爆走兄弟レッツ&ゴー』のシリーズ構成を98年のアニメ終了時まで続けますが、途中の96年夏から、ポケモンのプロデューサーも兼任することになりました。吉川が培ってきたアニメ番組におけるシリーズ構成能力は、ポケモンでも余すところなく発揮されることになります。
「話があってから、すぐゲームをやってクリアしました。でも、ポケモンは全部を集めてはいないです。50匹くらいかな。かみさんは全部集めましたけどね。ただ、概要を知っておかなくちやならないから、何度も何度もやってはいます」この話を聞いたとき、吉川にポケモンのゲームの感想を尋ねてみました。「はっきり言って悔しかったですね。悔しいっていうのはね、ずっと自分も子どものものをやってきてるじやないですか。レツドカンパニーにいたときに、同じようなことは結構考えてはいたんですよ。でも、モンスター系をずっといろいろ作ってきたんですけれども、モンスタ—がこれだけの数いる場合って、全部を集めようなんて、普通思わないんですよ。どんな作品をやってもそうだったんです。全部のポケモンに対して愛情を持って作ってるっていうのが、非常に感じられた。それに、そのもっていき方がとってもうまかったんです。で、ああ、こういうのが作れなかったのが悔しいなって、正直、思いましたね」
それからしばらくして、吉川は田尻と話し合う機会を持ちました。その話のなかで、

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アスキー発売のミニ四駆ゲームスーパーファミコン対応「シャイニングスコーピオン」]]

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吉川は再び悔しさとショツクを味わいます。
「その話を聞いて、やられた一って思いました。ポケモンの世界って、宿屋がないじやないですか。町から町へ旅していって、町には宿屋があって、宿屋に泊まると体力が回復するっていう、RPGの方程式で作ってないんですよ。あのポケモンセンタ—って、普通のRPGでは宿屋になるんですよ。で、なんで宿屋にしないでポケモンセンタ—って呼ぶんだっていうのがあったんです。そうしたら、田尻さんは、あれは少年の夏の日の1日のお話なんだっておっしゃったんですね。それを聞いて、あ一そうか、やられた一、ですよ。ショツクでしたねえ。自分が子どもの頃、夕暮れになると非常に淋しくなった。夜になるのが非常に悲しい。遊んでた時間が、永遠に続けばいいのにって思うんですよ。それをポケモンで表現したかったって言うんですね。だからあれは、実は夜がないんですね」吉川がショックを受けたのは、この話にではありません。
「その話を聞いたときに、自分の思いがそれだけ強くて、それがきちんと反映されているゲームってすごいなあって思ったんですね。それで自分のことを振り返ったんですよ。反省したというか、それをやっちゃったっていうのは、すごいなっていうのがありました」
吉川は、この日を境に、自分のクリエイティブをこの仕事にすべてぶつけてみよう

第2章  ブレイク

と決意します。田尻のゲームに、負けたくなかったのです。
制作会議のメンバーの中で、監督の湯山邦彦も、アニメのポケモンの世界観形成に、大きな影響を与えた1人です。
「ポケモンの話がきたとき、これ、絶対やりたいって思いました。ぼくの子どもがやっていたので知ってたんです。だから、ゲームをみんなが始めるまでは、スタッフの中では、ポケモンのこと、ぼくが一番よく知ってたんですよ」監督の湯山邦彦は、1952年に東京で生まれ、大阪で育ちました。吉川より6歳年上ですが、吉川と同じように手塚治虫のアニメに魅了されて、初めは漫画家、次にアニメ界を志しました。湯山が触発された作品は『鉄腕アトム』でした。長じて、ア二メ制作プロダクションの葦プロに入社します。葦プロは『マシン口ボ』など玩具とリンクした子ども向けアニメを製作しているプロダクションです。
「葦プロで初めて演出をやったんです。作品は、『銀河鉄道999』でした。そのあと、監督作品として最初のシリーズものではテレビ東京の『プリンセスミンキーモモ』や、NHKの『アニメ三銃士』があります。それから、青山剛昌さんが『名探偵コナン』の前に描いていた『ヤイバ』、ポケモンの話があった頃は、OLMで『ウェディングピーチ』をやっていましたね」
OLMは、小プロからの発注を受けてアニメを制作しているアニメ制作プロダクシ

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湯山邦彦さん
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総監督。
人呼んで「練馬の大いなる意思」。1952年生まれ。代表作は、魔法のプリンセスミンキーモモ、劇場版スレイャーズ、恐竜冒険記ジュラトリッパー、幻夢戦記レダ、TWDEXPRESSローリングティクオフ、愛天使伝説ウエディングピーチ、新気まぐれオレンジロード、ウィンダリア。
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ョンです。社名のOLMは、オリエンタル・ライト&マジックの頭文字です。クリーチャーズの伊藤あしゅら紅丸のクレームを受けて、久保が新たに選定し直したアニメ制作プロダクションが、このOLMでした。
一般にアニメの監督は、アニメ制作の現場を受注するプロダクションから仕事を受けますが、湯山も例外ではなくOLMからの依頼で、ポケモンの監督を務めることになりました。ですから、伊藤が久保が当初考えていたプロダクションにクレームを付けていなければOLMが選ばれることはなく、従って湯山がポケモンのアニメの監督になることもなかったのです。監督が湯山でなかったらどうなっていたか、ということは誰にもいえません。けれども、湯山が監督をしたアニメのポケモンが成功していることは、紛れもない事実です。そのOLMへ発注した小プロの湯山評を聞いてみましょう。話すのは、小プロ・メディア事業部テレビ企画部プロデューサーの盛武源です。「湯山さんは、アニメ界での経験も長く、実績もある監督さんですが、ぼくたちの意見にも耳を傾けてくれるんです。柔軟な方ですね。それに、デジタル映像への理解もあるし、ゲームの重要性も十分認識しておられるんですよ。アニメ界で実績のある演出家、監督さんとしては稀有な存在だと思います」そして湯山はポケモンに巡り合うわけですが、ポケモンに出会ってすぐにゲームを始めました。

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盛 武源さん
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プロデューサー(小学館プロダクション所属プロデューサー)。
1963年2月28日生まれ。88年、所属していた株式会社ビデオジャポニカが小プロと合併。合併後、制作部へ配属。「ドラえもんの英会話教室」などのビデオを製作後、ポケットモンスターを担当。
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「子どもがやるのを見て、かなり知ってはいたんですが、本気でやったのは話があっ てからですね。ぼくはそれまであんまりゲームはやらなかったんですよ。生まれて初 めてです、あんなにゲームをやったのは。やりまくりました。楽しかったですよ。ク リアしましたよ、全部集めて」
湯山の感想はこうです。
「田尻さんがゲームを作られたときにこめられたものもそうだと思うんですけど、あ る種の、今まで漫画とかアニメとか小説とかのなかで子どもが好きだったもの、そう いうものが全部詰め込んであるような気がしたんですよ。怪獣のアニメであったり冒 険小説であったりのなかにあったものがね。ぼく自身も、アニメ化するときに、今ま で自分がやってきたことの集大成だという気がしています。今まで培ったもの、ノウ ハウ、やりたかったこと、そういったあらゆるものが、全部、ポケモンのなかででき ているんではないかと思っているんです」
湯山はこのとき、最初に選んだポケモンのフシギダネの大ファンになっています。 ここにプロデューサーの吉川と監督の湯山という、現場の責任者2人のゲームの感 想を並べてご紹介したのは、2人の言葉が、実はポケモンのアニメの制作現場の状況 を如実に表していると思われるからです。田尻との約束を受けて、久保が制作現場に出した、「まず、ゲームをやること」という指示は、見事なまでに徹底して守られて

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神田修吉さん
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アニメーションプロデュー サ
1959年香川県出身。オー エルエム取締役。代表作は、 アニメ三銃士、TOHeart 、鋼鉄天使くるみ、剣風伝 奇ベルセルク、愛天使伝説ウ エディングピーチ、ハイスク ールオーラバスター、クイー ンエメラルダス。
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いるのですが、それだけでなく、ゲームをプレイした彼らは、ロを揃えて「参った」と言っているのです。小プロからの発注を受けて、アニメーションの制作にあたっているアニメ制作プロダクションOLMの共同経営者であり、番組ではアニメーションプロデューサーを務める神田修吉も、次のように話しています。「ぼくはゲームボーイを持っていなかったので、このゲームをやるので初めて買ったんですよ。多分、一生のうちでこんなに単四電池を使うことはないだろうっていうくらいやりましたね。やり尽くすっていう意味では、赤緑青、全部やり尽くしました。一番最後に始めたんですが、一番最初に全部集めたんですよ。それで、全部集めたっていう話を石原さんにしたら、ご褒美ですって、ミュウをいただいたんですよ。金銀も、思いっきりやりましたね。ええ、250集めましたよ。セレビイですか?いえ、持っていませんね。イベントとかには忙しくて行けないですから」その結果、神田も赤バージョンをプレイするとき、最初に選んだポケモンのフシギダネの大ファンになりました。セレビイは、赤緑青バージョンのミュウに当たる金銀バージョンの幻のポケモン。2000年8月25日から27日まで幕張メッセで開催された任天堂のイベント「スペースワールド2000」の会場で、10万人の子どもたちにプレゼントされました。また、神田が単四電池と言っているのは、彼が買ったのが発売後間もないゲームボーイポケットだったからです。その神田のゲームの感想はこう

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奥野敏聡さん
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オーエルエム (オリエンタル•ライト&マジツク) 代表取締役社長。1959年12月30日生まれ。北海道出身。久保とは同郷、同学年となります。法政大学中退。在学中より企画・プロデュース会社に勤務。1993年、OLM設立。1995、OLMデジタル設立。
かるい気持ちで付けた会社名に後悔しつつ、現在に至る。
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第2章  ブレイク

です。
「あのゲームボーイというハードでできるゲームという意味においては、画期的にすごいと思いますよ、ポケモンは。せっかく買ったからと思って、後でゲームボーイで遊べるほかのゲーム、かなり買って遊んでみたんですよ。やっぱりっらいんですよ、続けることが。あんな広がりをもったゲームはないですよね、あんなに小さな画面で」
さらに、こんな指摘もしています。
「ポケモンは、すごく優しいですよ。普通だったら、RPGとか戦略ゲームというのは、開発者というか作った人の意地悪な部分というものを感じることがあるんですよね。RPGって、ほんとに困ってどうしょうもなくなるっていうことがあるじやないですか。それがない。そういう意地悪さのような部分が感じられないって、とってもいいですね」
こうしてゲームのなかのポケモンワールドををさまよいながら、湯山たちアニメスタッフは、ポケモンに対する自分なりの解釈を固めていきました。
「ポケモンは、どこまでいっても夏休みの1日なんだと、抽象化し、ゲーム化したものなんだという解釈が、すっと入っていったんです。すごく遠くに行ってるように見えるんだけど、それは朝虫捕りに出かけていった延長線上にあるんですね。そういう

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ことが本読みの段階でいろいろ出てきて、解釈が決まっていった。たとえばお母さんの扱いをどうするかとか。親の影とかがこのゲームは非常に薄い。子どもたちは自由に旅している。本来なら、10歳の子どもが旅していれば親も心配するはずなんですけど、そうじやないんですね。その感覚はなんだっていうと、夏休みの1日なんです。子どもたちはどこか、裏山とかに行ったり、ちよつと町に行ったりする、あの感覚なんですよ。そう考えると、お母さんの位置づけも決まってきます」この点の解釈について、神田も補足してこう言いました。「そんな危ないことをしてるとか、ついていかなくちや、というような気に親がならないっていう解釈なんです」
また湯山は、ポケモンのアニメと映画の差異についても話しています。「映画はね、夏休みの小旅行というイメージなんですよ。ちよつと隣町まで行って見たとか、知らない隣町のお化け屋敷に行ってみたとか、そういう感じかなと思っているんです。そういう少年時代への、ある種のノスタルジーのようなものが、ぼくらの世代から見ると、感じられるんです。子どもの頃野原を駆け回ったとかという、あの感じがあったんです。その感じから、作っているんです」ここまで制作スタッフに読みこまれ、感情移入されてアニメ化されたゲームソフトは、他にもあるのでしょうか。筆者は知りません。

第2章  ブレイク

「負けちゃいかん」

吉川も湯山も、神田やその他のスタッフたちも、次第に自分なりのポケモンの世界のイメージを持つようになってゆきました。そして、そこからさまざまな提案が生まれていったのです。吉川は、最初の制作会議で早速一つの提案をします。「制作会議で最初に提案したのが、ポケモンはしやべっていいか?っていうことだったんです。なぜならば、アニメーションをするときに、しやべらないと意思の疎通というか、伝わらないじゃないですか。それを説明するために〃尺を食う〃のは非常につらいなって思ったんです。すると、田尻さんと石原さんが、150匹のポケモン全部に、〇、X、△という印を付けた表を作ってきてくださったんですよ。これはしやべっていい、これはだめ、これはもしかしたらしゃべれるかもしれないっていう分類表です」
この表のことは、湯山もよく覚えていました。そして、ポケモンをアニメ化してゆく上で、もっとも基本的な考え方を固めることになったのです。
「それをみると、しやべっていいっていうポケモンはほとんどいないって設定なんです。ぼくたちのなかでは、最初はしゃべるような気がしていたので、あれには驚きま

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二ヤース
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アニメ内で人間の言葉を話せる数少ないポケモン。
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した。でも、実際にアニメを作っていくと、彼らの理解は正しいんだと思うようになったんです。ポケモンを動物の側にいるものとしてとらえているんですね。ポケモンが、動物の側にいて、それとコミュニケーションがとれるから嬉しいんであってね。なんでもそうなんですけど、アニメも一番のテーマはコミュニケーションだと思っているんです。いろんなものに出会って、どうやってコミュニケーションをとるかっていうのが、一番根底を流れているテーマだと思うんです。しゃべれちやうと、言葉によるコミュニケーションになってしまうので、そこで終わる部分があると思うんです。しゃべれない異質のものと子どもたちが、どうやって理解し合っていくのかが、ポケモンの一番の醍醐味なんじやないかなって、ぼくは思っているんです」(湯山)
ゲームソフトのポケモンが持つ世界観は、アニメの制作スタッフたちの心まで魅了してしまいました。彼らはみんな久保とほぼ同世代ですが、小学生の子どもたちから30代、40代の彼らに至るまで、世代を超えて人の琴線に触れるポケモンというゲームは、やはり不思議なゲームというほかありません。
だからこそ、負けちやいかんと、吉川は思いました。
「アニメスタッフに、自分の気持ちをそのままぶつけました。ゲームに負けちやいかんって言ったんです。まずゲームはすごいなって、自分のなかで認識しました。だからそれに負けちやいかんっていうことを言ったんです。なぜかって言うと、やっぱり

第2章  ブレイク

すごいなっていうあるRPGのゲームがあって、そのアニメーションを作ろうっていったときに、ゲームがすご過ぎるから、そのすごさをアニメーション側がちやんと表現していないんですよ。たとえば、そのゲームは音楽もすごくて、その曲を聞くだけでゲームの中に入っていけちやうっていうくらい有名になったんですけど、だからたとえば音楽面でも、その曲を使えば、雰囲気はやっぱりあのゲームだよなっていうことになっていて、ゲームとアニメが遊離してるんですね。ああいう作りをしちやいかーんって思ったんですよ。湯山さんや神田さんに最初に言ったのは、ポケモンというのは、ゲームのなかにいて、ゲームボーイだから表示はされても動きはない。だから、これを動かしたら、アニメーションの勝ちだって。どうやって鳴くんだっていうのを、鳴かして動かしたら、これはアニメーションの勝ちですっていうことを言ったんですよ」
吉川は、ここで失敗例として挙げたアニメ作品とその原作であるゲームのタイトルを、同じ世界にいる者同士の礼儀として明かしませんでしたが、内容も音楽もともに有名なRPGで、アニメ化されたものといえば、一つしか思い当たりません。確かにそのアニメは、大変不評でした。
「その意味でも、スタッフがみんなゲームをやり込んだっていうのは、重要でした。やり込んだおかげで、みんなが、このポケモンはこういうふうに動かしたらこうなる

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だろうって想像して遊んでくれたんですよ。だから、自分たちはこんなものを作りたいんだっていう意識に、自然となっていったんですね」(吉川)
そういうスタッフの意気込みは、制作環境が良好だったから生まれたという面もあるだろうと、吉川は指摘しています。
「安い金額でずっとやらされていると、空きを作るのが怖いっていうか、作れなくなるんですね。ああ、今月は1カ月空いちゃつたっていうことにならないっていうか、しないわけです。空きそうになったら、全然関係のない作品のこのパートをやろうというようなことで埋める。そういうことをずっとやっていると、本気でこの作品をどういうふうに作っていこうかっていうことにならないんですよ。システムの問題もあると思うんですけど、そういう点が、OLMはかなり改善されていたんですよ」つまり、ポケモンの場合には、アニメのクリエイティブをスタッフが楽しめる環境があったということです。ちなみにここでいう環境とは、すなわち経済的な余裕の有無ということですが、OLMが、まだ当たるとも当たらないともわからない放送前の制作段階から、吉川が指摘するような良好な制作環境をスタッフに提供できたのは、ポケモンの発注元である小プロが、原則的に制作費を前払いする方針の制作会社だつたことが大きな理由だったでしょう。
通常、アニメの制作費は、テレビ局から広告代理店を経由して、放送日の翌月末に

制作プロダクションに支払われます。その制作費が支払われるのを待って、アニメの実制作に当たるアニメ制作プロダクションに制作費を支払うという会社も多いのです。しかしそうした場合、アニメの実制作作業は、通常は放送日の5カ月〜半年も前から始まっていますから、アニメプロダクションは、第1回目の制作費が支払われるまでの6〜7カ月間にわたって、自己資金を支出して耐えていなければならないのです。しかし、小プロはそれを肩代わりする格好で、1996年12月には、早くも第1回目の支払いを実行しています。プロダクションにとっては大きなバツクアップとなったに違いありません。小プロが、放送開始までに前払いした制作費の総額は、2億円弱にも及んでいます。しかもこの事前に立て替えた資金は、番組放送後まで回収できないのです。どの制作会社にでも真似ができることではありません。その小プロがOLMに支払う制作費については、神田が次のように話しています。「一般論として、テレビのアニメーションを作るときに、どこに比重を置くかというのがあって、だいたいセル画の枚数だったりするんですね。で、ポケモンの場合は、30分で3500枚。この枚数は、テレビのアニメーションを作る際の、ある種の業界標準のような一つのラインなんです。ポケモンも話数によっては、枚数かかつちやつた回とかあるんですけど、3500枚というラインを割り込んで作らなくちやいけないとかはないですね。そして贅沢なことに、監督が湯山さんの他に、日高政光君とい

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OLM
株式会社オーエルエムが
正式社名。本社は東京・駒沢。社長は前述の奥野さん。アニメーション制作会社では新興勢力だが、ポケモンアニメでは一線級のスタッフを集め小プロの下で制作しています。アニメの場合、監督•脚本などはフリーの人間を契約で雇う場合が多く、制作会社は大きくなくても十分に制作は可能です。関連会社にデジタル映像制作会社•OLMデジタルがあります。
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うのがもう1人いて、監督が2人いるんですよ。湯山さんが総監督ですね。演出家は6人います。この体制にしておいてほんとによかったのは、劇場アニメが動いたり、スペシャル番組ものが動いたりしたときも、テレビの仕事は毎週必ずあるわけですよ。1人の人間が、劇場やりながらテレビもやるっていうのはどうやっても不可能なんです。その意味でも、キーパーソンになる人間が、多少重複気味における状態になっているので、恵まれているとは思います。アニメーションは絶対的に手作業なんで、どうやっても人間を減らしてというのはできないし、余裕があるんであれば、人は厚くしておきたい。スタッフの数は、多ければ多いに越したことはないと思っています」この神田の話からは、少なくとも相場よりは安くない制作費であることがうかがえると同時に、作品の質を守るための体制作りに手を回せるだけの余裕が感じられます。ただ、映画などの話が出てくることからも、セル画枚数の話を除いて、これは開始当初に限った話というわけではなく、現在の状況と考えた方がよさそうです。ヒットしてからの制作費アップということがあったのかもしれません。さらに小プロは、放送が始まってからは、テレビ東京が支払う制作費と実際に必要な制作費の差額を補塡することになりますが、その額は実際に必要な製作費のほぼ2分の1にも及びました。つまり、テレビ東京から支払われる制作費は、アニメのポケモンの制作費の2分の1にしかならなかったのです。これも、小プロと小学館サイド

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日高政光さん
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監督•演出。
1960年10月19日生まれ。代表作は、パワードール、ぶっとびCPU、獣戦士ガルキーバ。ロボットアクションは得意のジャンル。ポケモンのバトルに生きています。
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第2章  ブレイク

のアニメ制作にかけるなみなみならぬ熱意の証明です。
何度も言うように、ポケモンがキャラクターマーチャンダイズの分野で大きな成功を収めるという保証は、どこにもありませんでした。こうした小プロの大きな支出は、すでにアニメ化の企画段階で予測できたことですが、そこまで遡ればなおさら、採算がとれるかどうかは大きな賭けだったでしょう。当初、アニメ化に反対していたクリーチャーズの伊藤あしゆら紅丸も言っています。
「放送が始まる頃には、ポケモンの人気も安定してきたなという印象がありました」それを見て、小プロはほっと胸をなでおろしたでしょうが、それまでは、大きなりスクを抱えながら、先行投資を続けていたのです。
それを考えると、やはり誰かが相当強くポケモンの成功を確信していたとしか思えません。小学館では久保ということになります。久保にそれを尋ねて見ました。「ええ、確信していましたよ。ヒットするキャラクターには、必ず備わっていなければならない21項目のチェックポイントというのを作っているんですけど、ポケモンは、それに全部当てはまったんです。ぼく自身プレイして、このゲームは優れていると思いましたが、客観的に見ても、ポケモンがヒットしないわけがない、そう思っていました。そこに高いレベルの映像をぶつければ、地滑り的大勝利になるでしょう」久保は笑いながらそう言って、付け加えました。

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アニメの製作費
テレビシリースのアニメ番組の場合、製作費はいろいろな形で支払われます。ただそれにはパターンがあるのでそれをご紹介しましょう。
パターン①
製作費全額をテレビ局が負担する場合。日本テレビ系列に多い考え方。その見返りとして、テレビ局はロイヤリテイの配分と著作権などを求めてくる場合が多いのです。制作会社としては有り難い反面、テレビ局の発言力も強まるので痛し痒しか?
パターン②
テレビ局の製作費で全ての制作実費が補えない場合。テレビ東京系列に多い考え方。テレビ局から来る製作費はだいたい半分くらいのケースが多く、ポケモンも同類な例。
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「それでも、そのとき想像していた地滑り的大勝利の規模は、実際の成功に比べたら、ごくささやかなものでしかなかったんですけどね」

ピカチュウ

こうして、小学館グループが賭けに出たなかで整えられた制作環境の中で、アニメ制作スタッフは、ますます意気込んでいったのですが、その意気込みに、原作者側も応えました。
「ポケモンは、ゲームチームが最初からすごく好意的ですね。アニメチームに対して、目が優しいと言いますか、こうしたいんですけど、こう考えているんですけどどうですか、こういう展開をしたいんですけど、と言ったときに、一緒に面白がってくれるんです」
そう話すのは、神田です。
「一般論として、ゲームをつくっている人たちと一緒に仕事をすると、非常に狭いんですよ、目が。制約がきっいんですね。自分でやった仕事もそうでしたし、人から聞いた話も同じですね。ここはこうでなくてはいけない的な部分が多くて、ゲームの本線から外れられないんですよ。それを思うと、ポケモンのゲームチームは、自由度が

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代理店が番組スポンサーからくるCM料を供出しないとアニメ番組は成立しません。コピーライト(@)に広告代理店名が入っている場合、このパターンで制作していると考えて間違いないでしょう。
パターン③
アニメ製作会社またはその制作出資グループが全額製作費をもって製作する場合。八リウッドなどのメジャースタジオの作品や深夜アニメ番組に多い考え方。深夜番組はそもそもスポンサー金額が安いのでテレビ局から来る製作費は期待できません。ゆえにビデォの販売益をあてにした作品がどうしても多くなります。ビデオの販売益をいろいろな権利者へ分配するとスキー厶が成立しなくなるため、どうしても制作側が全額出資の形
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[[NB: In the above text, Kubo mistakenly uses the 'at' symbol (@) instead of the copyright symbol (©).]]

とても高いんですよ。寛容で。大体アニメ化にあたって、最初に言われたことが、まずゲームをやってくれ、ゲームをやってゲームのなかでやったことを感じてくれということでなんです。何々をしてくれるなとか、何をしてくれって言うんじやなくて、ゲームチームが、どう思ってゲームを作ったのか、まずそれを感じてくれって言うんですよ。子どもがなぜこのゲームにはまったのかということを、まずプレイして感じてくれって。極端に言うと、それが唯一のシバリだったかなって思うくらいです」彼らの言葉を借りれば、ここではアニメチームとゲームチームの間には、他のゲームソフトのアニメ化の現場では見られない信頼関係が築かれていたということになるでしょう。
「その通りですね。かなり高いレベルで連携が取れていると思います。足の引つ張り合いもないし、逆にここはこうしたら面白いよっていうような、お互いに提案しあっていくような、とてもいい関係だと思います」(湯山)その一例として、湯山と神田は、アニメーションのストーリーを、「主人公サトシが、ピカチュウを連れて、ポケモンマスターになるための修行の旅を仲間2人と続けていく」という設定にしたいと提案したときのことを挙げました。
「一番最初に3匹のうちから1匹選んでゲームは始まるじゃないですか。それを、ゲ—ムに出てくる3匹の内の1匹を選ぶんじやなくて、ピカチュウでやりたいと提案し

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になるのです。海外作品の輸入の場合、日本での製作費は吹き替え代や権利処理代ぐらいしかかかりません。テレビ局から製作費をもらっても仕方ないので、制作側で全額出資する場合が多いと思います。
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たんですよ。まあ、テレビでもそのうち3匹がどんどん集まってくることは考えていたんですけど、何よりも一番は、ピカチュウでやりたいと。で、その旅をしていく上において、仲間が欲しいので、ゲームでいうジムリーダーの中から2人をいっしょに旅をすることにしたいということも。普通考えられないじやないですか。ジムリーダーは、ジムにいるキャラじゃないですか。そいっと仲良くなって、そいつを連れて旅をしたいんだって言ったんですよ、ゲームサイドに。こんな提案したら喧嘩っていう展開もあるなあって思いながら、提案を持っていったんですけどね」(神田)
そのときのゲームサイドの返事は?
「ああ、いいですよって言われました」
ゲームサイドの反応はそれだけだったそうです。あまりのあっけなさですが、ゲームの設定が多少変わっても、それがゲームの世界観を崩すようなものでなければ受け入れようというのが、ゲームチームの基本方針でした。ある作品を、異なったメディアで表現するということはそういうことだという認識が、当然のようにあったのです。湯山は、ピカチュウをポケモンのメインキャラクターとして選び出したときのことについてこう話しています。
「ゲームと同じように、最初に出てくるヒトカゲ、フシギダネ、ゼニガメのなかから1匹選んでしまってアニメにしたら、ゲームで他のポケモンを選んだ子どもたちが、

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アニメのピカチュウ
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第2章  ブレイク

淋しい思いをするんじやないかなと思ったんですよ。ぼくは3人子どもがいるじやないですか。だから、どれか選んでもあとの2人がかわいそうだなって思って。それは避けた方がいいだろうっていうことがあったんです。だとしたら、最初にもらえる3匹とは全然違うやっを選べばいいだろうと。たとえば、プリンでもピッピでもよかつたんですけれども、あんまり非日常的なポケモンは、世界観にそぐわないし、日常的にいそうでほんとはいないような、かわいいポケモンということで考えると、ピカチユウ。まあ、大きかったのは、その頃『コロコロコミック』でやった人気投票でピカチュウが一番だったということですね。人気もあって、そばにいてもおかしくないポケモンということで、ピカチュウになりました。形はねずみなんですけど、尻尾だけはイナヅマになっているという、現実とファンタジーの中間にあるというのも、ポケモンの世界観に合ってたんですよ」
また、結局ピカチュウをはじめとするポケモンたちが、二ヤースを除いてしやべらないという方針を最終的に固めてゆく過程にも、アニメチームのポケモン観が変化しながら深まっていったことがよく示されています。「ピカチュウはしやべつちやダメっていう設定を石原さんと田尻さんからもらっていたんですけど、サトシと旅をするわけですし、やつぱりしやべらせたいっていう話をしたら、じやあしやべっていいっていうことになったんです。でも、やっていくうち

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岩田圭介さん
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テレビ東京映画部チーフプロデューサー。1955年静岡県出身。79年入社後、営業〜編成〜報道を経て93年から映画部でアニメ番組をプロデュース。主な担当作品は「新世紀エヴァンゲリオン」「ラブひな」など多岐に渡っている。
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に、やっぱりポケモンは動物なんだとどんどん思うようになってきた。だからピカチユウも、しやべっちやうと、動物じやなくてピカチュウという動くキャラクターになってしまって、それはすごく気持ち悪い感じがしたんです。逆に、ピカチュウのかわいさを殺いでしまうような気がしたんです。だから、やっぱりしやべるのはなしだねっていうことになったんです」(湯山)
ところで、取材で、あるひとつの事柄について複数の当事者から話を聞いてゆくと、ときどき面白い偶然が発見できることがあります。たとえばピカチュウの話ですが、サトシが連れて行くポケモンはピカチュウがいいと、最初に提案した人物が、筆者が取材した限り、この湯山を含めて3人いました。湯山の他の2人の提案者は、久保、そしてテレビ東京映画部の岩田圭介です。岩田は、アニメ化が決まったときに、ピカチュウをサトシの相手役にするようアニメチームに依頼したと言い、久保は、『コロコ口コミック』連載漫画はピッピが主人公だが、アニメの主人公は漫画にも登場していて黄色いキャラクターがいいなと思っていたと述べています。三原色で他のキャラクタ—と色が重複することのない色は黄色であり、信号の黄色の意味は「注意」で日本人はみな黄色は注意と刷り込まれているはずだから、自然と注目度は高いはず。その条件を満たすのはピカチュウかな、と考えていたというのです。もちろんここでこのお話を披露するのは、皮肉や意地悪からではありません。3人がそれぞれにアニメ

[[BOTTOM TEXT|
ピカチュウを主人公にしたのは誰?
ぼくは前述の大人数の製作会議で決定したと記憶しています。結局、みんなの意見が一致してピカチュウになったわけですから、誰がどうのこうのということは無いはずです。最終的な決定の責任者は湯山監督だと思います。コロコ口コミックの編集者としてはコロコロのまんがで主人公のピッピをアニメでも主人公にした方が良いのではと吉川さんにも聞かれ確認を求められましたが、ぼくとしては、黄色いキャラクタ—にかけてみたいと思いましたね。
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第2章  ブレイク

のポケモンのことを考え、恐らくそれぞれに偶然同じ着想を得たのでしょう。それほどまでに、ポケモンのアニメ作品が、参加しているスタッフ1人1人にとって、彼ら自身のものになっているのだろうということを、お話ししたかったのです。いずれにしても、こうしたアニメチーム側から提案された、ゲームの世界の設定の大きな変更を、ゲームチームは受け入れました。のみならず、主人公のサトシがピカチュウを連れて旅に出るというアニメの世界の設定は、ゲームのなかにフィードバックされ、ピカチュウバージョンとも呼ばれるポケモンの4番目のバージョンの黄バージョンでゲームの枠組みの一っとして採用されています。
「そういう体験は、まずないですね。ゲーム側はゲーム側でアニメーションを楽しんでいるということを感じて、やっててとても嬉しいですね」(湯山)
神田はまたこんなことも言っています。
「逆に、却下された提案ってあったかなって考えてみると、考え込んでしまうくらいないんですよ」
吉川も会議にたくさんの重要な提案をしましたが、ロケット団の設定変更もそのーつです。ロケット団は、ゲームの中ではトキワタウンのジムリーダーサカキ率いるギヤング団で、世界中のポケモンを捕まえて売買し、大もうけしょうと企んでいます……というのが、アニメの原作となった赤緑バージョンでの設定です。アニメでは、

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首藤剛志さん
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シナリオライター。1949年8月18日生まれ。福岡県出身。代表作は戦国魔神ゴーショーグン、アイドル天使ようこそようこ、まんがはじめて物語、宇宙戦士バルディオス、さすがの猿飛、超くせになりそう、銀河英雄伝説、機動戦艦ナデシコ。
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シナリオライターグループの主力ライタ—だった首藤剛志発案、吉川兆二脚色で、ムサシという美しい声を持った女の子(声優林原めぐみ)と、コジロウというハンサムな男の子(声優三木眞一郎)のカップルに、ニャースというばけねこポケモン(声優犬山犬子)という組み合わせの、魅力あふれる悪役一味を生み出しました。「二ヤースだけはしやべらせてくださいってお願いをしました。というのは、ロケツ卜団を、まあ言ってしまえばタイムボカンみたいにしたかったのと、ケンケンみたいなのが1人いた方がいいだろうと思ったからなんです。はなつから、ニャースを悪者にしてしやべらせようと思っていました」(吉川)タイムボカンという名に懐かしさを覚えられた方もおられるでしょう。ちなみにロケット団には、ちやんと「なんだかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情け……」という口上もあります。
アニメストーリー上、ロケツト団は、ゲームと同じようにアニメでもポケモン狩りをしているのですが、なかでもピカチュウがお気に入りで、ピカチュウを盗もうと、サトシたちの後を追っているという設定です。それが、サトシたちのポケモンマスターを目指す旅をたどるメインのストーリーとともに、サトシたちとロケツト団の掛け合いがアニメの重要なサブストーリーになっています。ロケット団人気は回を重ねる毎に上昇し、その存在はピカチュウと並んで、アニメのポケモンが成功した2大要因

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大橋志吉さん
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シナリオライター。1959年4月10日生まれ。代表作は、ゲゲゲの鬼太郎、幽遊白書、気まぐれオレンジロード、北斗の拳、ひみつのアッコちゃん、マクロス7。
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第2章  ブレイク

の一つだというのが通説になっています。
しかし、このしゃべるポケモンのニャースとロケット団の組み合わせの成功は、実は偶然の産物でした。湯山がその事情をこう説明しています。
「ニャースはですね、あまり深く考えずにですね、ポケモンはしゃべってもいいだろうくらいのところで始まったときに、こいつネコだしということで、早くからしやベらせちやってたんですよ」
アニメとなったニャースが、声優犬山犬子の個性豊かな声を借りてしやべり始めるのは、ロケット団が登場するアニメ第2話からです。ですから、ポケモンはしやべらせないという方針が固まった頃には、もう修正が利かないところまで仕上がっていたのです。
しかし放送が始まれば、当然のことですが、子どもたちはポケモンの中でしゃべれるのは二ヤースだけだということに気づきます。そして、その理由を問い合わせてくるようになったのです。
「しゃべるポケモンもいるよっていうことで二ヤースを設定したのに、気がついて見たらしゃべれるのは二ヤースだけになっていたんです。逆になってしまいました。それで、しやべらせちやった後始末のシナリオを書いてもらって、子どもたちに、しやべれるようになったわけをお話ししたんです」

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園田英樹さん
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シナリオライター。1957年佐賀県生まれ。劇団帰燕風人舎主宰。代表作は、時空探偵ゲンシクン、トラブルチョコレート、絶対無敵ライジンオー、勇者エクスカイザー、ダーティ•ペア、忍者戦士・飛影、エースをねらえ2。
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それは第68話「ニャースのあいうえお」として放送され、子どもたちも納得したのでした。

試写会

これまでの神田と湯山の話からもおわかりのように、ポケモンの制作会議は、密室の会議ではありません。必要があれば、神田も行くし、田尻や川口も来ることがあれば、久保ももちろん顔を出し、意見を述べることがありました。いずれにしても、ここで大切なことは、こうした事柄が自由な空気の中で議論され、すべてが制作会議の話し合いの中で決まっていったということでしょう。原作者側はいつでも会議を奉行所のようにも裁判所のようにもできたのです。しかしもちろん彼らにそんなつもりは毛頭なく、それが本当に討議を重ねてアニメのポケモンの世界を築き上げていくための会議だったというところに、アニメチームのモチベーションは亠咼まったのです。
吉川は言っています。
「ありがたかったのは、ゲームとアニメの間が、非常にいい関係になれたことですね。石原さんたちは、アニメーションというものを非常によく理解していて、愛情を持つ

[[IMAGE CAPTION 1|
太田昌二さん

アニメ制作担当。
1965年1月13日生まれ。北海道出身。OLM所属。代表作は、ガデュリン、鉄拳チンミ、スローステップ、愛天使伝説ウェディングピーチ、剣勇伝説YAIBA、鬼切丸。
撮影監督。
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[[IMAGE CAPTION 2|
白井久男さん

スタジオコスモス代表取締役。1946年12月20日埼玉県出身。代表作は、となりのトトロ、攻殻機動隊、カードキャプターさくらなど。
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第2章  ブレイク

て見てくれて、アニメスタッフが口出しするなんてって言って切るということがなかったんです。だからいまでも石原さんは、アニメのアフレコスタジオにもいらっしやってるしね。素晴らしいことです。そしてアニメスタッフはアニメスタッフで、ゲームをちやんとやりこんだ。そういう関係になれたんですよ」
吉川のこの言葉を聞いて思うのは、「アニメスタッフなんて」と言われて、彼らは何度切られてきたのだろうか、ということです。石原にしても杉森にしても、アニメチームのクリエイティブに対する敬意を持って、彼らにしてみればごく普通の態度でアニメチームに接し、素直にアニメ制作への好奇心を表現していたに過ぎなかったでしょう。しかし、吉川の言葉から推測できるように、アニメ制作の現場に足しげく通い、アニメチームの意見に耳を傾け、その制作に少しでも参加しようとする原作者など、彼らは見たことがなかったのでしょう。彼らを「アニメスタッフなんて」と言って切ってきたのは誰なのでしょうか?

アニメーション作品『ポケットモンスター』の制作は、丁寧に、丹念に進められました。プロット、シナリオ、絵コンテ、作画、動画、作曲、作詞、録音、ダビング、アフレコ、編集。最終的に1話30分3500枚のセル画のなかに『ポケットモンスター』の命を吹き込むために、神田が言うようにすべてを人の手によって、一つひとつ

[[IMAGE CAPTION 1|
一石小百合さん
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[[IMAGE CAPTION 2|
キャラクターデザイン・アニメーター。
ー月ー日神奈川県生まれ。代表作愛天使伝説ウェディングピーチ、負けるな!魔剣道2、人魚の森、バットばつ丸、ーZUMO、妖精ホバティーデイック。
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進めなければなりません。大勢のスタッフによるさまざまな作業です。そしてなにひとつおろそかにできない作業です。大勢のスタッフが全員、ここでご紹介したように、ゲームに負けない映像を作ろうと自分の能力を最大限発揮してアニメ制作にあたったのだとしたら奇跡的です。しかも制作現場の全員がゲームのポケモンをプレーしました。監督、作画監督、シナリオライター、絵コンテマン、作画マン、動画マン、プロデューサー、演出家、作詞家、作曲家、音響技師、声優。ゲームをプレーしたことによって、彼らはポケモンという同じ世界でつながることになりました。もしポケモンのアニメ制作チームの全員が自分の能力を最大限発揮しようという姿勢で仕事をしたのだとしたら、それはポケモンの力ということになるのかもしれません。吉川は、それを運と呼びました。
「アニメでは、湯山さんという監督がいなかったら、アニメのスタッフをここまで集約して作れなかったと思うんですよ。で、それを考えると、あの大がいなかったら、ああはならなかった、この人がいなかったらこうなってはいないだろうっていうことが、ポケモンではすごく多くて。そういうすべての大たちが出会う確率っていうのは、すごく低いはずなんですよね。そう考えると、やっぱり運っていう感じがするんです」
もしそれを運と呼ぶのだとしたら、ポケモンに出会えた大たち1大1大が、出会えた幸運を嚙みしめているのかもしれません。湯山も言っています。

[[IMAGE CAPTION 1|
三間雅文さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
音響監督。
1962年5月20日東京出身。大学在籍中にラジオ局のバイトでラジオドラマに魅了され、この世界へ。現在はテクノサウンドに在籍。代表作は、ドラゴンクエスト、ッヨシしっかりしなさい、宇宙戦艦ヤマモトヨーコ、カードキヤプターさくら、はじめのー歩、マクロス・プラス、パーフェクト•ブルー、イニシャルD、吸血ハンターD
]]

第2章  ブレイク

「ポケモンの仕事をしようというとき、人間関係がとてもいいかたちになったのは、多分ポケモンという作品が持っている運の強さだと思います。ゲームのポケモンという作品自体が持っているものでしょう。作品の力と言い代えてもいいかもしれません。アニメチームにとって、ある意味でポケモンは借り物なんです。しかし、それを借り物ではない、自分の表現で表現できているという満足感。そういうものがあるんです」
クリーチャーズの伊藤あしゆら紅丸が、あるときこう言ったことがあります。「みんなね、子どもなの。子どもだから、ポケモンはできたの。そこに1人だけド口ド口した大人の世界のダークサイドパワーを持った人がついてるの。でもそういう人がいたから、何でもありの大人の世界の中で健全な制作体制を維持してこられたとも言えるんですよ。それが、久保さん」
アニメーション制作の枠組みを作った久保は、石原とともに、制作の進行を静かに見守っていました。
1997年3月28日金曜日、東京都千代田区一ツ橋の如水会館内「スターホール」で、アニメーション作品『ポケットモンスタ—』第1話「ポケモンきみにきめた!」の完成披露試写会が行われました。それまでにラッシュや内輪の試写会に参加した者

[[IMAGE CAPTION 1|
辺見俊夫さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
アニメ編集。
JAYFILM取締役。19 56年11月27日生まれ。代表 作は、ああつ女神さまつ、走 れメロス、ブレンパワード、ー 下級生、花の魔法使いマリー ベル、新機動戦記ガンダムW (ウィング)など。
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を除けば、招待されたほとんどの関係者は、この日、初めて動くポケモンを見るのです。
午後2時ちょうど、場内の明かりが落とされ、映写が始まりました。
「ポケモンゲツトだぜーツ!」
声優松本梨香のこの一声で始まるアニメ『ポケットモンスタ—』のオープニングテーマ曲『めざせポケモンマスター』が、場内に流れ始めました。映画『ロッキー』のテーマ曲を思わせる、軽快さと勇壮さがみなぎる前奏の間、画面でアニメーションが始まりました。同時に、松本梨香が唄い始めます。

♪ たとえ 火の中水の中 草の中森の中
土の中 雲の中 あのコのスカートの中  (キャ〜!)
なかなか なかなか
なかなか なかなか 大変だけど
かならずGETだぜ!
ポケモンGETだぜ!

[[IMAGE CAPTION 1|
金村勝義さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
美術監督。
スタジオじやつく取締役。
1959年ー月26日埼玉県出身。東京デザイナー学院在学中にアニメーション美術に魅了され、卒業後スタジオじやつくへ入社、現在に至る。美術監督デビューはナイン2。代表作は、ツヨシしっかりしなさい、ドラゴンクエスト、劇場版タッチ、陽あたり良好、孔雀王2、陽だまりの樹、モジャ公。
]]

第2章  ブレイク

テーマ曲が流れている間、画面にはオープニング・クレジットロールが流れていました。そこには、これまでポケモンとともに歩んできた人々の名前が、次々に浮かんでは消えていきました。クレジットロールに名前が出ないスタッフも、会場には大勢いました。しかし彼らは、そのクレジットロールの背景のなかを、もうずっと前からそうしてきたんだよとでも言いたげに、自由に駆けてゆくサトシやピカチュウを、自分のクレジットロールのような思いで見つめていました。

♪ いつもいつでも うまくゆくなんて
保証はどこにも ないけど (そりやそうじや!)
いつでもいつも ホンキで生きてる
こいったちがいる

本編が始まりました。

ピカチュウ「ピカチュウ」
サトシ「かわいい。最高じゃないですか」

[[IMAGE CAPTION 1|
松本梨香さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
サトシ役。
サンミュージック所属。横浜市出身。ミュージカルもこなせる役者という製作サイドの希望をかなえたのがこの人。ポケモンの主題歌はもちろん様々な音楽活動をおこなつている。
]]

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オーキド博士「そうかな」
サトシ「そうですよ。ピカチュウ、よろしく」
ピカチュウ「ピカ」

サトシ「キミは、オレがきらい?」
ピカチュウ「ピカ、ピカ」

サトシ「ちよつと待てよ、オニスズメー! 石を投げたのはオレだ!」
ピカチュウ「ピッカー」

サトシ「ピカチュウ、これに入れ。この中に入るの、きらいなのはわかってる。でも、この中にいれば、おまえ、助かるかもしれないんだ。さあ、入ってくれ。あとはオレにまかせろ」
ピカチュウ「……」
サトシ「おまえら、オレをなんだと思ってんだ。マサラタウンのサトシ。オレは、世界ーのポケモンマスタ—になるんだ。おまえらなんかに負けない。みんなまとめてゲツトしてやるぜ!」

[[IMAGE CAPTION 1|
大谷育江さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
ピカチュウ役
マウスプロモーション所属。東京都出身。世界中どこへ行ってもピカチュウの声は大谷さんの声。
]]

第2章  ブレイク

ピカチュウーピカチューウ!」

ピカチュウ「ピカ……チュウ」
サトシ「オレ、だな」
ピカチュウ「チュウ」

本編が終わり、エンディング・クレジットロールが始まるとともに、オーキド博士 の声優石塚運昇とポケモンキッズが唄うエンディングテーマ曲『ひやくごじゅうい ち』が場内に流れ始めました。

♪ なかまのかずは そりや
やっぱ りぜったい がっちり
おおいほうがイイ!

ぐたいてきには そりや
はっきり きっかり たっぷり

[[IMAGE CAPTION 1|
石塚運昇さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
オーキド博士役。
アクセント所属。福井県出身。シェイクスピアシアターに出演後、様々な演劇•ナレーション活動を開始。劇場での予告編ナレーションはこの方がー番多いかもしれません。
]]

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ひやくごじゅうイチ!

新世界のめくるめく30分間が過ぎました。
誰も席を立とうとはしません。拍手もありません。久保は一瞬、心配になりました。明かりが入りました。目をぬぐっているものが何人もいました。やがて、まばらに拍手が起きました。ためらいがちな拍手でしたが、次第に強くなりました。強くなるにっれて、着席していた参加者が立ち上がり始めました。そしてようやく場内は、拍手の渦に包まれました。
「素晴らしかったですね。感動しました。ゲームフリークが苦労した作品がここまで来たんだと思うと、もう涙が出て。本当に感激しました。あんな体験は初めてでした」(ゲームフリーク・川上直子)
「ポケモンの世界観をわかっている優れたシナリオと、ポケモンの世界観をわかっている優れた演出。素晴らしかったですね」(クリーチャーズ・伊藤あしゅら紅丸)
「個人的な気持ちですけど、これが湯山さんとやった作品だったことが、一番嬉しい」(OLM・神田修吉)
「OLMじやなかったら、負けてたでしょうね。勝つたというわけじゃないけど、対

[[IMAGE CAPTION 1|
飯塚雅弓さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
カスミ役。
八重垣事務所所属。東京都出身。ラジオのパーソナリテイ・コンサートや写真集出版などマルチに活躍中。
]]

第2章  ブレイク

等の作品にはなったと思います」(独立プロデューサー・吉川兆二)
「自分たちの描いたキャラクタ—がアニメで動くというのは、絵描きにとって究極の夢の一つですから、本当にうれしかったです。しかもぼくは、小田部さん、首藤さん、湯山監督の作られた作品の熱狂的ファンでしたから、良いスタッフに恵まれたというか、恐れ多いというか。今でも、制作会議などでお会いするたび、すごくアガります……」(ゲ—ムフリーク•杉森建)
この日が、ブレイクの幕開けでした。
ここに、ポケモンの記念すべきアニメーション作品『ポケットモンスタ—』第1話「ポケモンきみにきめた!」の全クレジットを掲げておきます。

テレビアニメ『ポケットモンスター』
第1話「ポケモンきみにきめた!」

(オープニングクレジツト)

[[IMAGE CAPTION 1|
こおろぎさとみさん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
トゲピー役。
ぷろだくしょんバオバブ所属。 東京都出身。「クレヨンしん ちやん」「おじやる丸」「しま しまとらのしまじろう」など に出演。
]]

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原案 田尻智
スーパーバイザー 石原恒和
アソシエイトプロデューサー 吉川兆二
アニメーション監修 小田部羊一
企画
川口孝司
久保雅一
総監督 湯山邦彦
掲載
小学館コロコロコミツク
別冊コロコロコミック
小学ニ年生
小学四年生
幼稚園
ちやお
シリーズコンストラクション 首藤剛志
アニメーションキャラクター 一石小百合

[[IMAGE CAPTION 1|
上田祐司さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
タケシ役
アーッビジョン所属。福岡県 出身。「爆走兄弟レッッ&ゴ ー」「•••MAX」でも声で 出演している。
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第2章  ブレイク

美術監督金村勝義
色彩設定吉野記通
撮影監督池上元秋編集
辺見俊夫
伊藤裕
音楽宮崎慎二
音楽監督三間雅文

オープニング・テーマ『めざせポケモンマスター』
作詞戸田昭吾
作曲たなかひろかず
編曲渡部チェル
歌松本梨香 (ソニーレコード)

音楽プロデューサー吉田隆
メディアファクトリー

[[IMAGE CAPTION 1|
林原めぐみさん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
ロケット団のムサシ。東京都出身。綾波レイ (エヴアンゲリオン) からバカボン、八ローキティの声も担当する。CDも数々発売しておりヒツトチャートの常連。ラジオ、ナレーション、執筆活動などその活動は幅広い。
]]

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音楽協力 テレビ東ミュージツク
協力 ジェイアール東日本企画
番組宣伝神宮綾 (テレビ東京)
アニメーションプロデューサー 神田修吉
アニメーション製作 OLM
監督 日高政光
プロデューサー
村瀬由美 (テレビ東京)
柳沢隆行
盛武源

(エンディングクレジット)

設定協力 陣内弘之
キャラクター 原案杉森建
脚本 首藤剛志
絵コンテ 湯山邦彦

[[IMAGE CAPTION 1|
三木眞一郎さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
ロケット団のコジロウ81プロデュース所属。東京都出身。「KAIKANフレーズ」(YUKI)「超速スピナー」(中村名人)などかっこいい声もギャグっぽいのもいけてます。
]]

第2章  ブレイク

演出 鈴木敏明
作画監督
酒井啓史
一石小百合
キャスト
サトシ松本梨香
ピカチュウ大谷育江
オーキド博士石塚運昇
カスミ飯塚雅弓
シゲル小林優子
ハナコ豊島まさみ ポケモン図鑑 三木眞一郎
アナウンサー 上田祐司
キャスティング協力 81プロデュース
原画
志村泉村田雅美松坂定俊能地清児玉健二酒井啓史動画チェック 榎本富士香

[[IMAGE CAPTION 1|
犬山犬子さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
ロケット団の二ヤース役。クリーチャーズ所属。東京都出身。舞台•映画に活躍するマルチタレント。ニッポン放送での「ポケモンアワー」パーッナリティをつとめる。CMナレーションも数多い。
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動画
斎藤徳明 須藤百合枝 山下聖美 東京アニメーションセンター
アニメアール遠藤プロダクション
色指定検査 沼田貴子
特殊効果 西村龍徳
仕上げ
スタジオエル 真玉橋明美 山田多美恵 葦プロダクション
背景
スタジオじゃっく宮内早苗 高橋和博 高尾克巳 日比野晶子
タイトル•リスワークマキ・プロ
撮影
スタジオコスモス 前原勝則 大藤哲生 黒田洋一野口博志 池上伸治 範島尚 久
ネガ編集 STUDIO EDIX
フィルム イーストマン
現像 イマジカ
タイミング 平林弘明

[[IMAGE CAPTION 1|
関 智一さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
ケンジ役。
アトミックモンキー所属。東京都出身。俳協ボイスアク夕ー、ススタジオ第—期生。「カードキャプタ——さくら」「名犬ファング」などに出演。
]]

第2章  ブレイク

ビデオ編集金沢直樹

エンディング・テーマ『ひやくごじゅういち』
作詞 戸田昭吾
作曲たなかひろかず
編曲渡部チェル
歌 石塚運昇

音楽プロデューサー 南沢直義
音響製作担当 中村明子
録音調整 平野延平
録音助手梨本亮子 効果神保大介
音響制作 HALF H•P STUDIO
プロモーションサンクス福本康隆
アニメーション制作
OLM

[[IMAGE CAPTION 1|
戸田昭吾さん
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
1960年11月21日生まれ86年東京糸井重里事務所入社。糸井氏の元でコピーライティング修行後、株式会社エイプにて「マザー2」「モノポリー」などのシナリオを担当。95年クリーチャーズ入社。プランナーとしてポケモンソングの作詞も手がける。代表作は「めざせポケモンマスター」「ポケモン言えるかな?」「風といっしょに」「OK!」など。
]]

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TEAM OTA
制作担当 太田昌二
制作進行亀谷友康
制作
テレビ東京
SOFTX
小学館プロダクション

[[IMAGE CAPTION 1|
たなかひろかずさん
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1957年12月13日生まれ80年任天堂入社後数々のハード、ソフトの製作に関わる。ポケットカメラ&ポケットプリンターの原案とディレクションを担当後の1999年任天堂を退社、クリーチャーズへ入社。ゲー厶開発と平行して作曲、編曲活動を開始した。代表作は「マザー1/2」「めざせポケモンマスター」「ポケモン言えるかなア」など。
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