Magic of Pokemon/Interview with Shigesato Itoi

From Poké Sources
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糸井重里インタビュー
「愛のあるヤッが勝ちだ!」
人生の先輩として、同じゲーム制作者として、そしてひとりの友として、糸井が語った田尻智とは……。
聞き手▶矢本広・左藤哲眼    構成▶佐藤哲服

コピーライターの大御所として知られる糸井重里氏はまた、ベテランのゲーム・クリエイターでもある。糸井氏はあの『インベーダー・ゲー厶』時代からゲーム偏愛者であったが、ゲームをプレイすること以上に、黎明期にあったゲーム産業の、有り体にいえば「自由な」空気を愛した。ー九八九年、彼は自らシナリオを手がけたファミコン用ソフト『MOTHER』(同年七月二十七日、任天堂より発売)を世に問うた。時を同じくして、『ポケモン』(同年六月二十七日、ナムコより発売)の作者、田尻智氏もファミコン用ソフト『クインティ』でゲーム作家としてデビューした。じつはその後、糸井氏の設立したソフトハウス「APE(エイプ)」に、以前から親交のあった田尻智氏がゲームボーイ用ゲームの企画書を持ち込んだところから、『ポケットモンスタ—』の開発は始まるのであるが、この経緯については、一三〇ページの『ポケモン誕生物語』に詳しいので、そちらを参照していただきたい。
糸井と田尻——年齢では父子ほども違うこの二人のゲーム作家のえにしは深い。ゲームファンとして長い友人関係を保ち、同時期にゲーム業界にデビューし、同じように任天堂のハードにゲームを提供している。しかし同時に、二人のゲーム観は微妙な緊張関係をもって対峙している。筆者は糸井氏へのインタビューを通じて、田尻智と糸井重里という二人のクリエーターが出会った時代のディテールを片鱗でもっかみたいと考えた。氏は『キャベツ』と仮称されるゲームの開発中にもかかわらず、取材を快諾してくれた。糸井氏の証言は単なる思い出話にとどまらず、「ポケモンとは何か」という私たちの基本的な問いにも広く示唆を与えてくれた。同時にそれは糸井氏から"青年将校〃田尻に発せられた、老獪な繰り言といたわりの入り混じった声援のようにも聞こえた。

145   PART-3▶テレビとゲームの時代

——糸井さんと田尻さんはそれぞれ『MOTHER』と『クインティ』というゲームで同時期にデビューされたわけですが、糸井さんが『クインティ』というゲームに接した感想はどうでしたか。
糸井: とってもよくできているんだけど、『クインティ』というゲームは論文でいえば「各論」なんですよ。「第何章」というところを徹底的に書き込んでいつたゲームで、「狭い」んです。つまり『クインティ』を含んでいる世界というものをもっと考える必要があるんだろうな、というのが僕のあの時の感想です。でも各論ひとつでもゲームは成り立つわけで、それは全然文句はないんですけど。彼自身のこだわりの狭さというのも、まだ若いからあったわけで、きっと『クインティ』を包み込む世界をつくれないと、田尻はダメだったんですよ。でもチャーミングな失敗作ですよね。僕は逆に、「各論なんてどうでもいい」みたいなところにすぐいっちやうタイプなんで。バーンと大風呂敷拡げて、「まとめられなくなっちやったあ」っていうところがあるんで。クリエータ—としては、その両方もっていたら日最高ですよね。

|▶ ヤツのホームタウンは「ゲーム」だった

——田尻氏が各論的なゲームづくりに固執したのは、彼がもともとアーケードゲーム、八〇年代前半から中盤にかけてのアーケードゲームのなかでゲーム的な教養というモノを積み重ねてきた、その延長線上の必然だったようにも思えるのですが。
糸井: そうでしょうね。絶対自分のホームタウンみたいなものがあって、それがヤツの場合は「ゲーム」だったってことですよ。ゲームフリーク(田尻智が代表をつとめるゲーム制作会社——編集部注)は、いわばレースの世界では「ムゲン」みたいな会社だった。そこからホンダやヤマハや、最後はトヨタやベンツを目指すというプロセスに向かうわけです。ムゲンをずっとっくり続けると決める必要はないのだから。
全然知らない人から、「あれ、おもしろかった」と言われる喜び、コミュニケーションとしてやはり大勢に伝えたいという欲求は必ずある。「広く伝えたいということと濃く伝えたいということは必ずしも矛盾しないんじやないか」ということは、大人になるに従ってだんだんわかるわけですよね。
で、田尻も他人のゲームやっていくなかでそれがわかってきたんだろうけど、オレは宮本茂さん(ファミコンソフ卜『マリオブラザーズ』シリーズの制作者——編集部注)の影響って無意識にものすごく大きいと思うよ。

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糸井重里1948年11月10日群馬県生まれ。法政大学文学部中退。紅余曲折後にコピーライターとして独立、その後の活躍は周知のとおり。89年7月27日、ファミコン用ロールプレイングゲーム、「MOTHER」(任天堂)を発表し、ゲーム作家としてデビュー。その後、制作会社「APE(エイプ)」を任天堂と半々の出資でたちあげる。辣腕プロデューサー石原恒和(現㈱クリーチャーズ代表取締役)らを擁したエイプは、自らのゲーム制作だけでなく、ゲーム界の若い才能を発掘してゲームのプロデュースも行なうという志をもっており、その強い恩恵を受けたのが田尻智であった。エイプは田尻智の『ヨッシーのたまご』(1997.12)などをプロデュースしヒッ卜させる一方、糸井氏は『MOTHER』の続編となる『MOTHER 2』を1994年7月に発表、大反響を得る。最近では趣味性の高い『糸井重里のバス釣りフィッシングN0.1』(1997.2.21)を発表。現在は新作NINTENDO 64用ソフト『キャベツ(仮称)』を制作中。
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——確かにゲームのシステム部分をデザインするときに、手がかりとして「動詞の言葉」を探っていくやり方(本書・一三二ページ参照)など、いかにも宮本茂さんの影響下にある発想に思えますが。
糸井: そういう人はものすごく多いですよね。宮本さんが彼の個性として、「それしかできない」ところからスター卜した方法が、ひとつの文法になってしまった。田尻の場合も、実際にゲームをつくる方法論は宮本さんから学んだものが圧倒的でしょう。その間にいろんなゲームをやつて、ゲームの構造を見抜きながら、徐々に田尻自身の世界をつくっていった。
——そこで彼が総論としてのゲームをつくるための基礎体力づくりとして、各論に異常に固執するという過程は絶対に必要だった?
糸井: 素振りやったりランニングやったり盗塁の練習したりしないと野球は成り立たないから。僕は当時、そんな田尻を「いいなあ」と思つていたわけだから、とってもいい健康な育ち方してるんじやないですか。

▶| 「おもしろいから聞け」って言える人は何人もいない

——田尻さんの本『新ゲームデザイン』(エニックス刊)も、各論にこだわりぬくという彼の実践レベルのおもしろさを

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感じさせるところがあります。じつはそういう批評的な本を書ける人材が、ゲームの世界で非常に少ないと言われて久しいのですが、もしかして田尻さんのように批評家にまわる素質がある人が、みな作り手にまわってしまったことに遠因があるのではないでしょうか。
糸井: 違うよ。もともとそんなにいないってことだよ。要するにバラの花が一輪咲いていて、そのバラについてどれだけ語れるか、それって「読むカ」じゃないですか。読めない人のほうが多いわけだから、読み込めば読み込むほどみんなから浮く。「そんなに考える必要ないんじやない?」って言う人が百人いるなかで、「ちよつと待て! おもしろいから聞け」って言える人は、何人もいないんですよ、やっぱり(笑)。
正直いって今、ゲーム雑誌の取材って受ける気がしないんですよ。こういうことを言いたいなあって思つていても、これが活字になったときに、編集部のチェックというプロセスの段階で、「こんなの読めねえよ、みんなが」って言われたら、僕の思っていることは読者に伝わらないわけだから。
早い話、『MOTHER 3』の取材に何人来ても、「じや、乗り物は何種類ですか?」っていう話になるわけ。そりや読者が違うっていえばそれまでなんだけど、「お前ら、何十年そういうこと言ってるんだよ」って思うよね。それでいいと思っている人と会話するのって諦めるしかないわけですよ。
ゲームの世界だって今までの活字メディアとリンクしているわけだし、パソコンやインタ—ネツトの世界と地続きなわけだからさ。そこを理解しないで小学生のレベルで「みなちや〜ん、こんどのポケモンはモンスタ—が二百五十六種類ですよ〜ん」ってな話を、オレからする必要ないじやない。それ、勘弁してよって思うんだけど。まあチームのために引き受けなくちやならない面もあるんでやりますけど、おかしくなりますよね。
——田尻さんはポケモンの原形の企画書を書くにあたって、ゲームの外側の遊びっていうものをすごく意識して考えていたそうです。それはたとえば『クインティ』を巡る糸井さんの批評が、彼の気持ちに引っかかっていたということはあるのでしょうか?
糸井: それは彼に聞かないとわからないですけど、僕はいつも外側を意識している人間だから、「ああ、あいつはああいう方法なんだ」というのは見ていた可能性はありますよね。
僕は開放型で全部の仕事をしたいと考えてきた。金魚鉢があったら、それを塞ぐのではなくて、急に金魚鉢のそば

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に猫が現れるとか、水を入れ替えるとか、外側に植木鉢並べたらどうなるかとか。そんなことをいつも考えている。逆にいえばそこでしか僕がゲームの世界に関わっている意味はないと思うし。
『クインティ』つくれって一言われたら、田尻と勝負にならないですよ。アイツの方が絶対すごいですよ。『クインテイ』をどういうふうに世界全体のポジションのなかで見せていくのかというのが、僕の仕事だから。
でも僕が田尻に影響を与えたとしたら「なんか遊んで暮らせるかもしれないな」って間違ったことを教えたのが一番の影響じゃないかな?(笑)

|▶ メジャーなメディアじやなくても、総論は成り立つ

——から七年前になるんでしょうか。ゲームボーイ(以下GB)が出た当初、田尻氏のなかで通信ケーブルにまっわるフラッシュ・アイデア、パツと浮かんだアイデアを糸井さんのところへ持ってきた。それがきっかけになって生まれた『ポケットモンスタ—』によって、ようやく田尻氏の「総論」の部分が出てきたということでしょうか。
糸井: そういうことでしょうね。やっぱりかっこいいと思うのは、GBってマイナーなメディアなんですよ。メジャーなメディアじやなくっても、総論は成り立つっていうのはポケモンのお陰で証明できたわけで、僕はあのブームでためになったのはそこだと思います。大きいことをやるか小さいことをやるかで判断するのではなくて、どれだけネツトを拡げていけるかっていうのが、これからの勝負なんで。
生きているメディアだったら、ちっちやくたっていいん

149  PART-3▶テレビとゲームの時代

です。〃ゲーム界の青年将校〃である田尻(本書・一三七ページ参照)としては、「細い回線でも繫がれるんだ」っていうことを、大人たちに証明できたんだから、ものすごく気分いいじゃないですか。
そのうえメジャーの大人たちが「私も乗せてください」って、わ一っと殺到したわけでしょ。ざまあ見ろと思いますよ。僕も見え方はメジャーかもしれないけど、実際の資本金だとか動かしているお金なんか、本当にマイナーだから、田尻がああいうふうにうまくいったというのは、やっぱり希望あるなあって。嬉しいですね。
——ということは、ポケモンというゲームに対する訐価は、糸井さんのなかでは、かなり高いということですか。
糸井: 仕組みがOKだったら、失敗したってOKですから。結果オーライっていうのは、山ほどありますからね。僕がもしあのチームにいたら、もっと文句付けていたと思うんですよ。でも犬のおしっこじやないけど、自分の全部に匂いのマーキングする必要はないんで。僕は自分が目を離しているところから全然違うモノが生まれるっていうことを認めたい。
途中で「おまえ、このネーミングはひでえだろう」つ、て言った覚えあるもん。田尻にじやないけど、いろいろできあがってきて、見本で「ポケモン図鑑」みたいなものを見ているときに、「雑だなあ〜」って。よく平気でこんなの入れられるなって、「フシギバナ」とかさ。「田尻い、おまえ手伝うから言ってこいよ〜」みたいな(笑)。でも、もういいんですよ、そんなの。まったく敵の連中がつくったらブツブツ文句言いますけど、友達がやっているぶんには、「それでいけえ!」って言っちやいますよ。田尻が自分でも食い足りないなと思うようなら、相談に乗りますしね。

|▶ もう『ポケモン』には飽きたけれど……

——いまやポケモンはゲームとしてのポケモンではなくて、メディアとしてのポケモンとなっています。今、ポケモンというメディアの遊ばれ方、周りの皆さんの踊り方を見ていて、こんなところがおもしろいというのはありますか?
糸井: もう、その意味では飽きたですよ。「ポケモン現象」には僕は飽きているんですよ。だってわかったもん。これ以上はビジネスの話だけでしょう。僕はそこにはあまり興味がないから。後は田尻たちやクリーチャーズ(『ポケモン』制作スタッフ会社——編集部注)の連中が、ここから先、ポケモンで学んだことを活かしてがんばっていかなくちやならない。それは新しい苦労を背負っていくことですよ。

結局日本の税制のなかで、ソフトハウスが「このタイトルさえあれば一生自由にゲームをつくれる」ってほど稼げるはずないんだから。その意味では、田尻たちの現状というのは、出版社がバカあたりした単行本でビル建ててるのと同じですから。
——たとえばポケモンのシルバーとゴールドが発売されることへの期待も、とくにないわけですか?
糸井:うん。僕にはないです。ただこのあいだ笑い話していたんだけど、「今年のゲーム業界の予言」とかあるじやないですか。はっきりできる予言は、「金と銀は売れる」だけ。これ以外の予言は全部わからない。『ファイナル・ファンタジーⅧ』が出ても売れるかどうかわからないし、何々の発売は今年中かとか、そんないろんな予言は全部外れる可能性があるけど、「ポケモンの『金』と『銀』は売れる」、これだけは言ってもいいんじやない? って。

|▶ 愛情のあるヤツが勝ちだ

——そういえば、田尻さんがどこかで、ポケモンは「子どもの時に接した円谷プロ系の男児向けサブカルチャーへのオマージュの側面がすごく大きいんだ」ってことを仰っていて、そういう文化が形を変えて受け渡されていくみたいな構図に美しさを感じるのですが。
糸井: でもそれは誰でもあるじやないですか。誰もが、自分がとってもよく知っている、愛すべきモノをもっている。そこが生きたということにすぎない。
田尻は「モノを集める」だとか、「何かに夢中になる」ということを知っている人だったんですよ。やっぱ愛情のあるヤツが勝ちだっていう夢は、語りたいですよね。ただ、愛情はないけど詳しいという商売もあるよ。田尻が言っている程度のことは、バリッとビジネススーツ着たヤツが徹底的にやりましょうって言ったら、もっと上回るものができるかもしれない。それを田尻は知っておく必要はある。
愛情の濃さっていうのは勝負ができないから。愛情ってキャツチフレーズにしちやだめなんですよ。
私は今、個人的に『ポケモン』をやっているんですが、RPG(ロールプレイング・ゲーム)などをずっとやってきてゲームにすれた立場でプレイした感じですと、このゲームの本当のおもしろさは、直接やっているもの同士で情報交換したりコミュニケーションとったりするところであって、自分としてはそこにしかおもしろさを見出すのは無理だなと思うのですが。
糸井: ポケモンを楽しむためには、共同体がないと無理なんですよ。ポケモンがマリオと違う点は、大人がゲームを

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やってないところでしょう。マリオの頃は、子どもが寝静まったあとで、夜中に大人がこっそりやってたんだから。
——確かにそうかもしれません。子どものネットワークというのは、そのなかに自ずとポケモンをやっている人が多いから、そういうおもしろさを満喫できますが、私は周りに相手がいないんです。
糸井: 僕も『ポケモン』してないですからね。そういうもんだと思いますよ。いっくらメンコがおもしろいからつて、大人はやらないよ。卓球だって一生懸命やったらおもしろいけど、温泉旅館にあればやる程度でしょ。大人のっくるべき共同体は、他にいくらだってあるし、そこまで気付いてない人は、ルーティンでずっと仕事してるし。
——じやあ大人がポケモンを知らないっていうのも健全といえば健全?
糸井: あったりまえですよ! (笑)

|▶ あれから十年、TVゲームは残った

——最後にお聞きしたかつたことがひとつ。糸井さんは八七年にフジテレビの深夜番組、『糸井重里の電子遊戯大展覧会』で総合司会を務めてらっしやいましたが、番組の締めくくりで、「テレビゲームというものがフラフープみたいなものとして廃れていってしまうか、連綿と続いていくものなのか、これから見守っていきたいものです」ということを仰っていましたが、それから十年近く経って、テレビゲームは、果たしてどういう存在になったと考えますか。
糸井: 「サブメディア」になったんじやないですか。たとえば短波ラジオっていうメディアがある。これはまだ生きてます。FMがそうですし、AMラジオもそう。それがいつもブームをつくっているかどうかは別としても、フラフープのように終わってしまうものではないということはわかった、ということですね。
『ポケモン』もそうだけど、メディアの上にメディアを重ねるという、そういう役割をまだ果たせるということを証明できた。ここから消えていくにしても、短波放送くらいには必ず残るでしょう。
あの時はおそるおそる「残っていってほしい、フラフープみたいになってほしくない」という気持ちで番組つくっていたけども、残りましたよね。思えばあの時はみんなが素人だった。そう、あの場所に、田尻もいたんだなあ。

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