Magic of Pokemon/p152
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やってないところでしょう。マリオの頃は、子どもが寝静まったあとで、夜中に大人がこっそりやってたんだから。 ——確かにそうかもしれません。子どものネットワークというのは、そのなかに自ずとポケモンをやっている人が多いから、そういうおもしろさを満喫できますが、私は周りに相手がいないんです。 糸井: 僕も『ポケモン』してないですからね。そういうもんだと思いますよ。いっくらメンコがおもしろいからつて、大人はやらないよ。卓球だって一生懸命やったらおもしろいけど、温泉旅館にあればやる程度でしょ。大人のっくるべき共同体は、他にいくらだってあるし、そこまで気付いてない人は、ルーティンでずっと仕事してるし。 ——じやあ大人がポケモンを知らないっていうのも健全といえば健全? 糸井: あったりまえですよ! (笑) |▶ あれから十年、TVゲームは残った ——最後にお聞きしたかつたことがひとつ。糸井さんは八七年にフジテレビの深夜番組、『糸井重里の電子遊戯大展覧会』で総合司会を務めてらっしやいましたが、番組の締めくくりで、「テレビゲームというものがフラフープみたいなものとして廃れていってしまうか、連綿と続いていくものなのか、これから見守っていきたいものです」ということを仰っていましたが、それから十年近く経って、テレビゲームは、果たしてどういう存在になったと考えますか。 糸井: 「サブメディア」になったんじやないですか。たとえば短波ラジオっていうメディアがある。これはまだ生きてます。FMがそうですし、AMラジオもそう。それがいつもブームをつくっているかどうかは別としても、フラフープのように終わってしまうものではないということはわかった、ということですね。 『ポケモン』もそうだけど、メディアの上にメディアを重ねるという、そういう役割をまだ果たせるということを証明できた。ここから消えていくにしても、短波放送くらいには必ず残るでしょう。 あの時はおそるおそる「残っていってほしい、フラフープみたいになってほしくない」という気持ちで番組つくっていたけども、残りましたよね。思えばあの時はみんなが素人だった。そう、あの場所に、田尻もいたんだなあ。 152
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