Magic of Pokemon/p145

From Poké Sources
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糸井重里インタビュー
「愛のあるヤッが勝ちだ!」
人生の先輩として、同じゲーム制作者として、そしてひとりの友として、糸井が語った田尻智とは……。
聞き手▶矢本広・左藤哲眼    構成▶佐藤哲服

コピーライターの大御所として知られる糸井重里氏はまた、ベテランのゲーム・クリエイターでもある。糸井氏はあの『インベーダー・ゲー厶』時代からゲーム偏愛者であったが、ゲームをプレイすること以上に、黎明期にあったゲーム産業の、有り体にいえば「自由な」空気を愛した。ー九八九年、彼は自らシナリオを手がけたファミコン用ソフト『MOTHER』(同年七月二十七日、任天堂より発売)を世に問うた。時を同じくして、『ポケモン』(同年六月二十七日、ナムコより発売)の作者、田尻智氏もファミコン用ソフト『クインティ』でゲーム作家としてデビューした。じつはその後、糸井氏の設立したソフトハウス「APE(エイプ)」に、以前から親交のあった田尻智氏がゲームボーイ用ゲームの企画書を持ち込んだところから、『ポケットモンスタ—』の開発は始まるのであるが、この経緯については、一三〇ページの『ポケモン誕生物語』に詳しいので、そちらを参照していただきたい。
糸井と田尻——年齢では父子ほども違うこの二人のゲーム作家のえにしは深い。ゲームファンとして長い友人関係を保ち、同時期にゲーム業界にデビューし、同じように任天堂のハードにゲームを提供している。しかし同時に、二人のゲーム観は微妙な緊張関係をもって対峙している。筆者は糸井氏へのインタビューを通じて、田尻智と糸井重里という二人のクリエーターが出会った時代のディテールを片鱗でもっかみたいと考えた。氏は『キャベツ』と仮称されるゲームの開発中にもかかわらず、取材を快諾してくれた。糸井氏の証言は単なる思い出話にとどまらず、「ポケモンとは何か」という私たちの基本的な問いにも広く示唆を与えてくれた。同時にそれは糸井氏から"青年将校〃田尻に発せられた、老獪な繰り言といたわりの入り混じった声援のようにも聞こえた。

145   PART-3▶テレビとゲームの時代

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