Game Freak/Part 2/Chapter 3: Quinty Production Secrets

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3 クインティ制作秘話

ついに長い間夢見てきたゲーム作りへの想いを形にする日がやってくる

■ファミコンソフトを作ろう!

ゲー厶が大好きで、攻略することに情熱を燃やす人間ならば、一度は夢見るのが「自分の手でゲー厶を作ってみたい」ということだろう。事実、そうした希望を実現させて、プロの作り手になった人間たちが、いまのゲー厶業界を支えているともいえる。
ゲー厶がごく一部の限られた領域でのビジネスではなく、世界規模での産業となった現在でこそ、ゲー厶クリエイター養成の専門学校などは数多く作られているが、田尻が「ゲー厶を作りたい」という想いを抱きはじめた時代には、そんな、ゲー厶を作るための道筋は無きに等しかった。かつてのゲー厶というのは”ゲー厶クリエイター“が作るものではなく、単に大学で電子工学を学んだだけの”技術者“が作るものだったからだ。
ゲー厶の作り方を知っている者など、どこにもいない。誰も教えてくれない。技術者たちは、ただひた

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すら基板の図面を描き、ハンダごてを握って、試行錯誤しながら配線し、プログラミングしていった。黎明期のビデオゲー厶とは、グラフィックの美しさや物語の芳醇さなどとは、無縁の地点にあった。無類のゲー厶マニアとして、アマチュア・ゲー厶研究家たちの間でめきめき頭角を現していた田尻も、やはり自分の手でゲー厶を作ることの魅力にとりつかれたー人だった。
田尻がゲー厶を作りたいと考えはじめたのは、意外に早かった。しかし、どうすればゲー厶を作ることができるのかを知るには、彼はまだ若すぎた。
それから何年もの時が過ぎた。やがて工業高専でコンピュータの基礎を学び、ビデオゲー厶・コレクタ—としてゲー厶基板の構造を研究し、ゲー厶ライターとしてゲー厶デザインの方法論を自身の内部に蓄積していった田尻は、自分にゲー厶を作る時期がやってきたのを感じるようになった。そのきっかけが、ファミコンの出現である。
ー九八六年。当時、一般のゲー厶ファンの間で爆発的に人気を集めていたのが、その三年前に発売された任天堂の〈ファミリーコンピュータ〉だった。
面倒な機能を取り除き、純粋に家庭内でゲー厶を楽しむだけに特化したマシンであるファミリーコンピュータ——通称ファミコン用のゲー厶ソフトならば、ゲー厶センター向けのゲー厶ほどの手間をかけずに作ることができるのではないか。そして、どこの家庭にもあるファミコンなればこそ、その作品を広く多くの人々に遊んでもらうことができるのではないか。田尻はそう考えたのだ。しかし、その仕様が一般に公開されているパソコンゲー厶の世界とは異なり、ファミコンは、誰もが自由にソフトを作ることができるようなものではなかった。ファミコン用ソフトを作るためには、ハードメ

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ー力ーである任天堂と正式な契約を交わし、高額の機材を揃えなければならなかったのである。もちろん、契約および機材の導入にかかる金額は一般に公開されているものではないが、それなりの規模の企業でも契約を躊躇するほどの金額であったことは間違いない。
このような状況であったから、会社組織はおろか、満足な資金すらも持たない田尻たちゲー厶フリークには、どうすることもできなかったのだ。
このとき、田尻の頭のなかにひとつの方法がひらめいた。
すなわち”自主制作の可能性“である。
自分たちが、直接任天堂と取り引きをしようとすれば、膨大な資金が必要となる。けれど、自主制作として自分たちだけでゲー厶を作るのなら、その必要はない。もちろん、完成したソフトを任天堂の許諾もなしに市場へ流せば、法に触れることになる。だが、完成した暁にはしかるべきメーカーに持ち込んで、任天堂との契約はそのメーカーに委託すればよい。ゲー厶フリークでは著作権だけを保持し、販売後に生じる利益からロイヤリティを受け取ればよいのだ。
ただし、ここで問題となってくるのは「ファミコンソフトの制作に必要な機材をどうやって調達してくるか?」である。
ゲー厶フリークがソフトの制作に着手する時点で、任天堂はおろか、販売を委託するメーカーとも契約していない以上、専用の開発機材もなければ、ファミコンソフトのためのプログラミングのノウハウもわからない。道具もなく方法もわからないのでは、とうていゲー厶ソフトなど作ることはできない。そこで、田尻たちが考えたのは「専用の機材が無いのなら作ってしまえばいい」ということだった。

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まず、ファミコンのためのソフトを作るには、ファミコンがどんなハードウエアであるのかを知らなければならない。彼らは新たにファミコンを一台購入してくると、おもむろにその外殻を留めているネジをはずした。蓋を開け、内部の基板を取り出し、使われているチップやCPU(コンピュータの心臓部)の種類を調べ、配線の状況などを確認する。
また、当時ファミコンのオプションとして発売されていた〈ファミリーベーシック〉を手に入れ、そのキーボードを接続し、ファミコンの基本動作をつかさどるプログラムを分析した。ここまでの作業なら、コンピュータのプログラミングをかじった人間であれば、わりあい容易にできることでもある。問題は、そこから先の作業だった。
ファミコンにつなげたキーボードでは、ファミコンの中身を見ることができても、ゲー厶のプログラムまではできない。それをするためには、やはり専用の開発機材が必要となるのだ。そこで彼らは秋葉原まで出向き、裏通りにある小さなパソコンショップで、香港製の〈アップルⅡ〉——つまりは海賊品を手に入れた。現在とは違って、当時はアップル社純正のパソコンは高価すぎて、彼らに買えるものではなかったのだ。
なぜこのパソコンを選んだのかは、簡単なことだ。アップルⅡとい一つマシンには6502という型番のCPUが使われており、これと同様のものがファミコンにも搭載されていたからだ。プログラムを打ち込む側と、動作させる側との心臓部を統一させることで、作業の負担は格段に軽くなる。ゲームフリークではこのマシンを使って、ゲームのプログラムをファミコン上で動かすためのボード(基板)を作った。また、エプソン社製の旧式なパソコンなども手に入れ、それらはおもにプログラミングをするために使っ

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た。まだフロッピーディスクが8インチや5インチだった時代の遺物である。
このようにして、つぎはぎながらも基本的な開発環境を整えたあとは、ひたすら本格的な制作作業のための準備を進めていった。作業を続けるうちに機材が足りなくなれば、友人から古いパソコンを借りたりもしたという。

■増田順一との出会い

ゲー厶フリークが、ファミコンソフト自主制作のプロジェクトを始動させられた大きな優位点は、ゲー厶開発に必要なメンバーが仲間内で揃っていたことだった。
ゲー厶の企画考案は、田尻を筆頭に数名の仲間が担当した。
キャラクターデザインは、小学館主催の新人漫画賞に入選を果たし、プロとして名乗りをあげたばかりの杉森建が担当した。
プログラミングは、地方から上京してきていたプログラマー志望の学生や、ゲー厶フリークと交流のあったゲー厶の解析を得意とするアマチュア・グループなどが担当した。
ところが、ゲー厶には音楽も欠かすことができない。しかし、音楽を作る---つまり作曲という作業には、絵を描いたりプログラミングをしたりするのと同じか、あるいはそれ以上に特別な能力が必要となる。当時のゲー厶フリークの周辺には、そうした能力を持っている人間はいなかった。

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そこで白羽の矢を立てられたのが、増田順一だった。

現在、ゲー厶フリークで開発部部長を務める増田順一は、ー九六八年、神奈川県横浜市で生まれた。高校時代はブラスバンド部に在籍し、楽器演奏に取り組む一方で、その頃所有していた東芝の〈パソピア7〉を使い、打ち込みで作曲をする趣味に興じたりもしていた。
当時の増田は、YMO、クラフトワーク、タンジェリンドリー厶、ウルトラボックスといったプログレッシブロックやテクノポップに傾倒し、彼らの使うシンセサイザーの音色をよく真似したという。これらのミュージシャンは、当時の価格にして数千万円はするであろう高価なシンセサイザーを使っていたが、増田はリズムボックスとホビー・パソコン一台だけという頼りない機材を必死に駆使して、少しでも憧れのミユージシャンに近づこうとしていた。
夏休みを利用して、増田は毎日のようにデータを打ち込んだ。その記憶媒体にはミュージック・カセットが使われていた。音楽そのものをテープに収録するのではない。音楽のデジタルデータを磁気テープに収録するのだ。
できあがった作品の発表の場は、おもに学園祭でのステージだった。視聴覚室に作られたステージ上にコンピュータをセットし、テープからデータを読み込ませて再生する。このデータの読み込みには、いらいらするほどの時間がかかる。
いまのデジタルミュージックのように、スイッチひとつですぐに音楽が流れてくるわけではないので、同じ趣味の友達と一緒に出演し、交互に演奏を披露した。一人が音楽を鳴らしている間に、もう一人

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が次に演奏する自分の曲のデータを読み込ませる、というわけだ。
彼らのコンサートは、視聴覚室が満員になるほどの成功を収めたというが、しかし増田は高校を卒業しても、音楽の道へ進むことはしなかった。
彼が進路として選んだのは、日本電子専門学校のコンピュー夕・グラフィックス(CG)科だったのだ。増田はいう。
「その当時、僕は自分がイメージしたものを作るということに興味がありました。だから、その対象は音楽でもCGでもよかったんです。どちらに進むのかは、最後まで揺れ動いていました。ただ、あの頃はCGによる映像という分野が急速に伸びてきていた時期でもあったので、今後のことを考えるとCGなのかなあと思って、それを学ぶための学校を選んだわけです」当時のCG——コンピュータで絵を描くという作業は、いまのようにグラフィック・ツールが発達している時代と違って、単に絵心があるだけでこなせるようなものではなかった。ある程度のプログラミングに関する知識も必要とされていた。だからこそ、増田はCGに挑戦してみようと思ったのだ。小、中学生の頃の増田は、田尻や杉森らと同じく、熱心なゲー厶少年でもあったという。小遣いの大半はゲー厶代に消えた。もしものときのためにと通学鞄の底に入れておいたお金まで、ゲー厶をするために使ってしまったこともある。
そんな彼ではあったが、『ゲー厶フリーク』誌との出会いは意外に遅かった。パソコン雑誌の記事などでその存在だけは知っていたが、実際に『ゲー厶フリーク』誌を読んだことはなかったのだという。そんな彼を田尻に引き合わせてくれたのは、専門学校でのクラスメイトの一人だった。

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田尻は、ファミコンソフトを自主制作するにあたって、唯一欠けている作曲の担当者を探していた。そのため、ありとあらゆる知り合いに「作曲のできるやつを知らないか?」と声をかけていた。そうしたときに、たまたま二人に共通の友人がお互いを紹介してくれたのである。
田尻にとつて、プロの作曲家に仕事を依頼するようなわけにはいかない状況である以上、自分たちと同世代のアマチュア音楽家の存在は頼もしいものだった。また、CGの学校へ通いながらも音楽への興味を捨てきれずにいた増田にとって、テレビゲー厶の音楽を作るという話は非常に興味深いものだつた。さっそく増田はデモテープをゲー厶フリークまで持参し、自分の作品を聴いてもらうことにした。すると田尻はその能力をすぐに認めてくれ、正式にゲー厶フリークでの音楽作業を担当させてもらえることになったのだ。
こうして増田は、専門学校に通いながらの二年と、卒業後会社勤めをしながらの一年とを合わせた三年間、ゲー厶音楽の制作をすることでゲー厶フリークとの関係を深めていったのだった。

■企画会議

アマチュア時代のゲー厶フリークがゲー厶を作るということは、通常の企業がゲー厶を作るのとは大きく意味が異なっていた。なぜなら、彼らがゲー厶を作ろうと考えた理由の第一が「自分たちで遊びたいと思うゲー厶を作るーことだからだ。

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売れそうなゲームを作る、というような利益の追求は彼らの動機にはなかった。もちろん心の奥底には「ゲー厶が売れたら儲かるだろう」という気持ちが、少なからずあったに違いない。けれど、彼らにとって「自分たちが遊びたいゲー厶」こそが”いいゲー厶“であり、”いいゲー厶“は必ずや”売れるゲー厶“になるはずだ、との強い信念があったのだ。
ゲー厶フリークのメンバーは、幾度となく企画会議をひらいた。
それは決して堅苦しいものではなかった。ゲー厶の好きな友達どうしが集まって、スナック菓子をつまみながらファミコンに興じたり、ただ漫然とゲー厶の話をしているだけで、じつは普段の彼らの姿とそれほどの違いはない。けれど、遊びのなかから遊びは生まれる。自由な空気で会議をすることで、彼らは柔軟な発想を求めた。
この頃のゲームフリークは、当然のことながら会社組織ではなく単なるアマチュア集団であったから、事務所に毎日出勤しなければならない義務もなく、学校やアルバイトが休みの者だけがふらりと顔を出す、という状況だった。ただ、代表の田尻だけは、フリーのゲー厶ライターという仕事を持っており、ゲ—厶フリークの事務所として借りているアパートが自分自身の仕事場も兼ねていた。そのため、一日の大半を事務所で過ごすことも多かった。
田尻は仕事の合間を縫っては、アマチュア集団ゲー厶フリークによる〈ゲー厶制作プロジェクト〉のコンセプトを煮詰めていった。
その頃考えられたコンセプトとは、次のようなものだった。

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一、巷で流行しているような、大仕掛けなゲー厶デザインには追随しない。
二、ゲー厶の黎明期を彷彿とさせるような、古き良きゲー厶性を追求する。
三、古いゲー厶スタイルでありながら、新しいおもしろさを提案する。

大袈裟なものを作ろうにも、乏しい資金と、しょせんはアマチュア集団の寄せ集めでは、技術的に新しいことなどできはしない。いや、それ以前の問題として、そんなギミックだけのゲー厶を作る気などは毛頭なかった。こけおどしに頼らなくとも、優れたアイデアさえあれば、濃密なゲー厶性は提示することができるはず。そして、そこにこそゲー厶フリークがゲー厶を作る意義があると信じていた。何度も企画会議をおこない、アイデアを出し合った。しかし、会議をするたびに出てくるアイデアは、まったくとりとめのない、バラバラなものだった。田尻のコンセプトには皆が共感していたものの、それぞれが作りたいと思うゲー厶は、まったく違っていたからだ。
ある者はシューティングゲー厶を作りたいといい、またある者はパズル性のある謎解きゲー厶を作りたいといった。当時大ヒットしていた『スーパーマリオブラザース』(ー九八三年任天堂)に影響され、横スクロールのアクションゲー厶を作りたいという者もいた。
結局、いくら話し合っても企画としてまとまらないので、各自がゲー厶の企画案を提出することでコンペティションをすることになった。プロジェクト参加メンバーは、一定期間の間に自分が作りたいゲー厶の企画書を書き、それを持ち寄って多数決で決めようというわけだ。
その結果、当時の主要メンバーの一人であるBという男のアイデアが採用されることになった。そのア

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イデアとは、画面を7X5マスの方眼に区分けし、その上をキャラクターが移動してゆくという、パズル性とアクション性をミックスしたスタイルのものだった。
メンバー全員の多数決による決定なので、田尻としては反対することができなかったが、内心では複雑な気持ちだった。なぜなら、田尻はこのゲー厶のアイデアが『チクタク・バンバン』や『ガッタンゴットン』といった、既存のゲ—厶に酷似していることに気づいていたからだ。
「せっかくゲー厶フリークが作るんだから、もっとオリジナリティのあるゲー厶を作りたい……」そう思ってはみたところで、自分の企画がそれ以上のものであるという自信もなかった。「みんなが、これを作りたいというなら、それでもいい。ゲー厶は僕一人で作れるものじやない。みんなの力で作るんだ。だから、みんながやる気になっているのなら、そっちへ向かって進んだ方がいい結果を生むのかもしれない……」
田尻はそう考え直すと、Bのアイデアをゲー厶フリーク第一回作品として、正式決定させた。

■企画の変更と修正

企画がほぼ固まり、基礎プログラミングが進みはじめた頃。突然、企画立案者であったBが、ゲー厶雑誌編集者の道を目指すためにゲー厶フリークを離脱する、という出来事が起こった。このことは、ゲー厶制作プロジェクトにとって非常に大きな痛手となる。なぜなら、ゲー厶のプランナ

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ーは企画が固まったらそれで役目が終わり、というものではないからだ。
本制作に入っても常に新しい追加アイデアは出し続けなければならないし、制作中に行き詰まることがあった場合、プログラミング技術ではなく、企画や仕様の変更で切り抜けなければならないことも多い。そして、それはすべて企画担当者の仕事となる。それなのに、企画者が中途で抜けてしまっては、どうすることもできなくなるのだ。
だからといって、無理にBを引き留めるわけにもいかなかった。
彼にとって編集者を目指すというのは職業の選択であり、それは言い換えれば人生の選択でもある。これに対して、自分たちがゲー厶フリークでやっていることは、あくまでも遊びの延長でしかない。もちろん、作ったゲー厶が正式に商品化されればお金が手に入ることになり、それは仕事なのだといえるだろう。けれど、この時点ではまだどちらに転ぶのかもわからない不確定なものである。そんなもののために、一人の人間の一生を左右するかもしれない決断は、まだ田尻にはできなかったのだ。Bはゲー厶フリークを去っていった。あとには、Bのアイデアを実現化するための、基礎プログラムだけが残された。これをすべて捨て去り、もう一度はじめから企画を立て直すのは、あまりにも無駄が多すぎる。そのため田尻は、否応なしに自分がこの企画を引き継がなければならなくなった。このことは田尻にとって、ある意味では不幸中の幸いでもあった。初期の企画に納得のいかない点を感じていた彼は、これをいい機会として、基本システムだけをそのまま残し、まったく別のゲー厶に作り替えていくことができるからだ。
与えられた条件は、ただひとつ。

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「7X5、つまり35マスのパネルをスライドさせるというプログラムを活かせるもの」ということだ。これを基本ルールの下敷きにして、新しく別なゲー厶を考案するのである。ゲー厶というものは、企画立案、仕様書作成、プログラミング、といった作業の流れを経て制作されていく。しかし、こうした流れの通りに、迷わず一直線に完成まで突つ走れるというものではない。プログラムを組んでも、その部分をテストしておもしろくなければ直す。せっかく出したアイデアでも、不都合が発見されれば修正する。場合によっては削除さえもする。このように幾度も迷走してこそ、真のおもしろさにたどり着くことができるのだ。
いわゆる”クソゲー“と呼ばれるゲー厶が生まれてしまう理由は、こうした過程を踏んでいないことが、その大きな原因である。結果的につまらないアイデアだろうと、最初に提出された仕様書に従つて忠実に作られていく。納期を最優先事項として、余計な回り道などせず、とにかく完成させてしまう。そんなものがおもしろくなるはずはない。
けれど、そうした安易なゲー厶制作に身をゆだねているクリエイターも多い。せっかく出したアイデアを、せっかく組んだプログラムを、そうは簡単に捨てられないものだ。しかし、それができなければ、優れたゲー厶などはとうてい作ることができないのも事実なのである。
田尻は、はじめてのゲー厶制作でそれを経験することになった。それは、彼がこの先ゲー厶クリエイターとして生きていくうえでの、最大の幸運だったともいえる。否応なしに課せられたルールの制限が、田尻にゲー厶作りの本質を垣間みせてくれたのだから。

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あらためて企画を練り直すにあたって、田尻は以前から頭にあった思いっきを実践させてみようと考えた。それは “動詞からの提案” である。
田尻はかって、ユニバーサル社のゲー厶アイデア・コンテストで入賞作品のタイトルを見たときに、「おもしろいゲームというのは、いつも新しい動詞を提案している……」
ということに気がついていた。
『パックマン』ならエサを“たべる”であり、『ディグダグ』なら穴を“ほる”であり、『スーパーマリオ』なら敵を“ふみつける”。
これらのゲー厶は、どれも新しい動詞を提案しており、また、その動詞によるアクションこそが、そのゲー厶のおもしろさの核になっている。ならば、まだゲー厶で使われていない新しい動詞を発見してやれば、それはそのまま新しいゲー厶のアイデアにつながるのではないか?田尻はそう考えたのである。新しい動詞をみつけるために、様々な言葉をつぶやいてみた。
「あるく、はしる、うつ、とぶ、まわる、すべる……」
これではだめだ。どれもすでに使われているような言葉ばかりだ。
「みる、きく、はなす、つかむ、たたく、ひっぱる……」
なにかしらピンとくるものがないうえに、今回のゲー厶には合わないような気もする。
事務所で机に向かい、あれこれと考えてみても、なかなかこれだと思う言葉はみっからなかった。試しに国語辞典を開いてみたりもしたが、やはりいい言葉が出てこない。食事をしに外へ出ても、頭のなかではいつも動詞を探していた。たまに町田市の実家に帰っても、無表情でぶっぶっとつぶやいている姿

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に、家族から気味悪がられたりもした。
そんなある日。事務所に戻ってゲー厶企画用の方眼紙の束を見ていたとき、田尻の脳裏にひとつの言葉が浮かびあがってきた。
ーめくる……」
それはまさに、天恵ともいうべき瞬間だった。めくる、めくる、めくる。言葉を何度も口に出し、”めくる“という動詞が持つ可能性を検証してみた。
「めくる、めくる……。フィールドには7X5のパネルが敷き詰められている。その上を、ヒト型の敵キヤラクターが歩きまわっている。めくる、めくる……。中央には、プレイヤーが操作する主人公が立っている。敵は、主人公めがけて襲いかかってくる。めくる、めくる……。敵をやっつけるためには、どうすればいいか? めくる、めくる……。そうか! 主人公が床のパネルをめくって、敵を転ばせてやればいいんだ。これなら、すでにできている基本プログラムも、そのまま流用できるじやないか!」こうして、基本のアイデアを思いついてからは、まるで堤防が決壊するかのように、アイデアがあふれ出してきた。
転ばせた敵はすぐに起きあがって、ふたたび襲いかかってくる。完全に消滅させるためには、画面の端に追いつめて転ばし、壁にぶつけてやればいい。すべての敵を消滅させれば、そのステージをクリアしたことになる。そうして、また次のステージがはじまる。ひとマスあたりの床のパネルは、そこに何枚かが重なっていることにしょう。めくってもめくっても、同じパネルしか出てこないところもあれば、何枚かめくるうちに、変わったパネルが出てくるところもある。パネルにはいろんな効果のものがあり、めく

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[[IMAGE CAPTION 1|
▲パネルをめくって転ばせた敵を周囲の壁にぶつけてやれば、その敵は飛び散り、やっつけられたことになる。
]]
[[IMAGE CAPTION 2|
◀床のパネルには、いくつもの種類があり、それを主人公が踏むことで、各種の効果が凳揮される。
]]
[[IMAGE CAPTION 3|
© 1989 GAME FREAK / NAMCO LTD.
]]

っていくうちに特定の効果のパネルを出現させ、それを踏みつければ特殊な効果が発揮される…。
はじめに”めくる“という動詞を思いついてから、ゲー厶のおおまかな骨組みが構築されるまでは、あっという間だった。田尻はこのアイデアを企画書として書きあげると、翌週の会議に提出した。結果として、この企画はゲー厶フリークのメンバーからも好評を得ることができ、本格的にゲー厶制作のプロジェクトは再スター卜したのだった。

■ゲー厶の外にあるヒント

のちに『クインティ』と命名されることになるこのゲー厶は、登場キャラクターの不思議な個性が話題になったゲー厶でもある。キャラクター・デザインはもちろん杉森の手によるものだが、それ

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らのアイデアの背景には、田尻の趣味が色濃く反映されている。
田尻は「ゲー厶を知らなければゲー厶は作れない」という一方で、「ゲー厶だけの体験から作られたゲー厶には知的興味は感じられない」ともいう。それは言い換えれば、『バーチャファイター』が好きで好きでたまらなく、毎日それしかしないような人間が作った格闘ゲー厶は、永遠に『バーチャファイター』を越えられない、というようなことだろう。
ゲー厶には映像があり、動きがあり、物語があり、音楽がある。だからこそ、ゲー厶の作り手は様々な文化に触れることでそれらの知識を吸収し、作品作りに反映させる。田尻は、そうしたことを若い時期から積極的に実践してきていたのだ。
田尻は自他ともに認める大の映画ファンであり、その興味の範囲は幅広い。なかでも好んで鑑賞していたのが、実験映画やカルト映画と呼ばれるジャンルの作品だ。それらの作品に登場する人物たちの奇妙な姿や行動に、田尻は「多大なゲー厶性を感じる」という。
たとえば、歩く代わりに、ひたすら泳ぐだけのやつ。
たとえば、バレエを踊っていても性別のわからないやつ。
たとえば、人の真似しかできないやつ。
「人間は普通なのがいちばんつまらない。ちよつと人と変わっているくらいの方が、よっぽど魅力的なんじやないか?」
こうした発想は、そのままゲー厶のキャラクターデザインに反映された。様々なカルト映画から受けた影響をヒントに、敵キャラクターのアイデアを考えていったのだ。

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ところで、ここでまた田尻は自分にひとつの枷を与えた。それは、
「敵は、最低限でも人間の形をしていること」
というものである。
いくら異形なる者がおもしろいといっても、丸や三角などの幾何学的な物体では、プレイヤーは感情移入することができないうえに、それをおもしろいとは思ってくれない。人間の形をしているくせに常識はずれの奇妙な行動をとるからこそ、興味を持ってもらえるのだ。
プロジェクトのメンバーからは、数多くの敵キャラクターに関するアイデアが出されたが、田尻はこうした哲学にもとづいて、アイデアを篩にかけていった。
「たとえば、シオマネキっていうカニがいるだろ?あんなふうに、右手だけが異常に大きいやつなんてどうかな。そいつが乗っている床のパネルをめくると、はじき飛ばされてスーツと滑って行くんだけど、重心が偏っているから、途中でクイッて曲がるんだ」
「うーん、おもしろいような気もするけど、考えオチだよなあ。それに、外見が変形し過ぎていて、プレイヤーが共感できないと思うんだ」
「こんなのはどう?ロシアの踊りで、コサックダンスつていうのがあるだろう。いつもコサックしていて、足を前に蹴り出すたびに足元のパネルがめくられるわけ。敵として出てきたら迷惑なやつだよね」「あつ、それはイケる。プレイヤーがパネルをめくって攻撃するんだから、敵にだってそういうやつがいてもいいよな」
「ものすごいデブっていうのはどうかな? なにしろ重いから、こっちがパネルをめくっても、ほんの少

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ししか、はじき飛ばされないんだ」
「ということは、何度もめくり続けて、少しずつ壁に追いやっていくわけか。それは笑えるなあ。そうだ! だったら、そいつには相撲とりみたいなシコを踏ませようか。その弾みで、パネルがパタパタとめくられていくんだ」
こうしたことを考えているのが、ゲー厶制作にまつわる作業のなかでも、とくに楽しい時間である。アイデアはいくらでも湧いてきた。
ゲー厶フリークのメンバーは数え切れないほどのアイデアを出し、それぞれについて「キャラクターとして魅力があるか?」「ゲー厶としてのひろがりが出るか?」などを検証していった。ここで、『クインティ』に登場するキャラクターのなかから、田尻の「育った環境」と「映画への情熱」そして「ゲー厶作りという仕事」の三つを結びつける、重要なものについて述べておこう。
それは〈スイマー〉である。
とあるステージに登場するこのキャラクターは、海水パンツにゴーグル、スイミング・キヤツプという典型的なスイマーのスタイルをしており、平泳ぎで進んでくる。しかし、彼が泳いでいるのは、水面ではない。床のパネルの上なのだ。
彼が前進するために足を蹴ると、水しぶきの代わりに後方のパネルがめくられる。ステージの端までくると、立ちあがってコースを変え、床の上に飛び込み、また泳ぎ出す。見ているだけでも愉快な気分になる、なんとも奇妙なキャラクターである。

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田尻がこうしたアイデアを思いついた背景にあるのが、アメリカン・ニューシネマの代表作といわれる映画『泳ぐひと』(ー九六八年フランク・ペリー監督)であった。
この作品は、バート・ランカスター演じる主人公が、自宅への帰り道に点在する友人たちの家の庭にある自家用プ——ルを川に見立てて、それを泳ぎ継ぎながら自宅まで帰っていくという物語だ。日本では、たとえ郊外といえども自宅にプールを持っているような家庭はほとんどない。けれど、同じ郊外生活者という点で、田尻と、この作品で描かれている世界との間に、大きな共通点を見い出すことはできる。
『泳ぐひと』に限らず、田尻の敬愛するジョン・ウォーターズやデビット・リンチという監督たちもまた、郊外都市の出身であり、郊外生活者たちの奇妙な生活ぶりをデフォルメした映画ばかりを撮り続けている。田尻自身がそれをどこまで意識しているかはわからないが、彼の考え出した〈スイマー〉というキヤラクターに、その無意識の表れを見ることができるのではないだろうか。

■ナムコ作品へのオマージュ

このように、『クインティ』は敵キャラクターの個性という部分に注目すべき点がたくさん隠されているが、そのなかでもとくに秀逸なのが〈バレリーナ〉の存在だ。
頭髪がないために、男女どちらともつかないこのキャラクターは、プリマのようにクルクルと回転しな

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がら主人公を追いかける。一定時間移動を続けていると回転の速度があがっていき、やがてその場に静止するや、見事なスピンを披露してくれる。主人公がパネルをめくり足元をすくってやると、へなへなとくずおれ、切なげな顔をする。
-見、不気味なようでいて、しかし見ているうちにどことなく愛らしくも思えてくるという、摩訶不思議なキャラクターである。
このバレリーナもそうであるが、『クインティ』の敵キャラクターには、田尻たちが過去に熱中した、ナムコ・ゲー厶のエッセンスが、巧妙に採り入れられている。
バレリーナは、原則として主人公のいる座標を狙って追いかけてくる。ところが、その動きには惰性が働いているため、接触する寸前に主人公が身をかわすと、バレリーナはそのまま行き過ぎる。やがてゆるいカーブを描きながら反転して、ふたたび追いかけてくる。これを繰り返していれば、主人公はバレリーナに接触(つまりミス)することなく、いつまでも自分の周囲を衛星のようにまわらせることができるのだ。
これは『ゼビウス』(ー九八三年)において、マニアックなプレイヤーたちが好んで挑戦した”ジェミニ誘導“というテクニックにヒントを得たものだ。
ジェミニ誘導とは、『ゼビウス』で特定の敵が発射する誘導弾を引きつけ、ギリギリの位置でかわし続けることでいつまでも自機の周囲に旋回させ、誘導弾が正面に来たときに自機が発射したミサイルが当たると、隠しボーナス点が入るというテクニックである。そこにはバレリーナの原点があることがわかるだろう。

第2部  ゲームフリーク  238

また、『クインティ』で最初のステージに登場する〈ウォークマン〉にも、同じく『ゼビウス』からの引用を見ることができる。
『ゼビウス』では、ゲー厶開始直後に〈卜ーロイド〉という敵の戦闘機が出現するが、この敵は、一見するとプレイヤーの戦闘機に対して突つ込んでくるように見えて、じつは直前まで来ると反転し、そのまま去っていくようにプログラムされている。
つまり『ゼビウス』は、冒頭の数分間だけはプレイヤー自身がその場に留まってさえいれば、敵にやられることなく安全に先へ進める、というような間口の広さを持っているのである。そして、同様のことが、『クインティ』のウォークマンにおいても再現されている。
慣れないプレイヤーは、ゲー厶開始直後にウォークマンたちが自分のそばへ寄ってくることに驚異を感じ、むやみに逃げようとして、反対に別のウォークマンがいるところへ突つ込んでいってしまう。けれど、よく観察をしてみれば、じつはウォークマンたちはプレイヤーの寸前まで来ると、踵を返して、ふたたび離れていくのである。
つまり『クインティ』でもまた『ゼビウス』のように、落ちついてプレイをしていれば、初心者でも最初の数ステージは安全に先へ進める間口の広さを用意してあるのだ。
他にも『ディグダグ』(ー九八二年)からの引用も、非常におもしろい形として見ることができる。それは、音楽とゲー厶とのシンクロ(同期)という手法である。
『ディグダグ』では、主人公が穴を掘っているときには軽快な音楽が鳴っているが、プレイヤーが穴を掘るのをやめると、音楽もそれに合わせて停止する。少し掘っては休み、少し掘っては休み、という行動を

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繰り返すことで、ゲー厶のBGMは断片化され、奇妙なリズム感を生み出すのだ。
これが『クインティ』では、プレイヤーの動きをそっくり真似して動く〈まねっこミミー〉というキャラクターに応用されている。
音楽担当の増田によると、「ミミーのテーマは、十六分音符や三十二分音符ばかりで構成しているので、どんなにコマ切れな動きをさせても、ゲー厶と音楽とを完全にシンクロさせることができる」のだそうだ。プレイヤーの手の動きとミミーの動き(゠音楽)がシンクロすることで、いかにも真似をされているという実感が湧くこのシステムは、ある意味ではネタもとになった『ディグダグ』のおもしろさを凌いでいる、といっても過言ではないだろう。
また、増田は『クインティ』の音楽のうち何曲かは、当時、本業として通っていた会社への行き帰りの間に作ったという。
電車での移動中に思いついたメロディーを、あえて譜面に書いたり、テープに吹き込んだりすることをせず、ときどき思い出しては頭のなかで再生する。すぐに忘れてしまうようなメロディーは、ろくなものではない。もしも家に帰るまできちんと憶えていられれば、その曲はそれだけ印象的なメロディーだということになるのだ。
通勤途中に音楽の着想を得ていたから、というわけでもないだろうが、増田は「じつは『クインティ』とサラリーマンは似ているんです」ともいう。
キャラクターがマス目に沿って歩いていく姿は、まさに当時の自分も含めた会社員たちの姿でもある。あるいは、駅のホームで皆が一列に並び、電車のドアが開くと全員が一斉に動き出す様子は、ミミーの

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動きにも通ずるものがある。増田がそうしたことを考えながら、あのミミーのテーマを作ったのだと想像するのは、なかなか楽しいものである。

■絵と動きこそがゲー厶の武器だ

デビュー作『クインティ』でゲー厶フリークが試みたいくつかの手法のうち、もうひとつ重要なのは「画面内部から可能な限りの文字情報を排除する」ということだった。
ナムコ作品に限らず、ゲー厶センターで活躍した往年の名作は、どれもがルールの新しさであったり、キャラクターの動きのユニークさであったりというように、そのゲー厶のおもしろさを文字情報に頼らずに表現していた。
しかし『ドラゴンクエスト』に代表される”RPG“というジャンルが家庭用ゲー厶の世界に登場してからは、文字で情報を伝えることの可能性が注目されるようになつた。ナレーションをつけたり、町の人々が言葉を話すようになって、ゲー厶はより一層に深みある物語を表現できるようになったのだ。以来、ゲー厶は当たり前に言葉を語るようになった。
このことで大きな可能性を得た作品も数多くあるが、その反面、無意味な饒舌に陥ってしまったものも少なくない。どんなに優れたストーリーを構築しても、それを表現する文章が稚拙であったり、説明のためのセリフが長々と表示されるだけでは、ゲー厶としての喜びは希薄になる。

241  第3章  クインティ制作秘話

おもしろいゲー厶の”アイデア“を考えるのは、一部の才能ある人間だけにできることだ。けれど、最低限の教育を受けた日本人であれば、誰にでも”日本語“は書ける。そして「日本語が書けるのだから、おもしろいセリフも書けるはずだ」と誤解する。その誤解はそのまま「おもしろいセリフが書ける自分には、おもしろいゲー厶が作れるのだ」という、より大きな誤解につながっていく--。ゲー厶フリークが『クインティ』を作っていた頃は、そうした”ゲー厶における文字表現のあり方“が、プ口の制作者たちの間でも真剣に議論されていない時期であった。そこで、ゲー厶フリークではゲー厶の原点に立ち返り、『クインティ』から徹底的に文字情報を排除し、できるだけキャラクターの”動き“で情報を伝えるような努力をした。
ゲー厶スタート直後には、プロローグを文字ではなく、キャラ劇(クインティが魔法をかけるアニメーション)を見せることで、物語の導入部を提示する。各キャラクターの性質や強さは、その数値をステータス画面で見せるのではなく、動きやデザイン、キャラクターの表情などで伝える。最終的に『クインティ』からは、ほとんどの文字が取り去られた。残っているのはステージ数と得点の表示、あとは操作キャラクターの残り数と、獲得したスターパネルの数くらいのものだ。それでもすべて数字による表現でしかない。
田尻によれば、本当はスターパネルの数すらも取り除きたかったのだという。
スターパネルは、一〇〇枚集めると操作キャラクターの残り数がひとつ増え、移動スピードも速くなる。であるならば、プレイヤーが適当にスターパネルを取っていって、いつの間にか一〇〇枚たまっているというようなシステムであっても、ゲー厶的にはなんら問題はないのだ。問題がないのなら、それをわざ

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わざ数で表示するのは、無駄な情報ということになるのではないのか。
しかし——、と田尻は考える。
スターパネルの数を表示しておけば、プレイヤーはあとどれだけスターを取れば1UPするのかを知ることができる。もしもスターの数が九九枚ならば、どうしてもあとひとつが欲しくなるだろう。最後の敵を一体だけ倒せばステージがクリアできるのに、欲張ってスターを取りに行ったために、敵にやられてゲー厶オーバーになる。そんな状況も生まれてくるはずだ。
無駄な文字情報は排除するべきだけれど、それを表示することでゲームに戦略性が生まれ、さらにおもしろくなるのならば、残すべきだ。
ゲー厶フリークのこうした考え方からは、作品本意ではなく、あくまでもエンターテインメントを作っているのだ、という意識の高さがうかがえる。
田尻はいう。
「スタイルにこだわるあまり、ゲー厶としてわかりにくいものになってしまったのでは本末転倒です。それがゲームをプレイするうえで必要な情報ならば、あえて文字や数字で表示して、わかりやすくしてあげることが必要なんです」
ゲー厶のなかにあるあらゆるものを絵で表示し、また、動きでそのおもしろさを表現できるのが、コンピュータゲー厶という表現方法ならではの武器だ。しかし、スタイルにこだわるがゆえに伝えたいことが伝わらなくなったのでは、意味がないのだ。

243  第3章  クインティ制作秘話

■夢とそれに直面する現実

途中、幾度も暗礁に乗りあげながらも、ゲー厶の制作は確実に前へ進んでいつた。ところが、『クインティ』の制作がはじまってから二年ほど経ったある日、大きな現実が田尻たちの前に立ちふさがった。メンバーの就職、という問題である。
田尻自身は、将来を見据えたうえで本気でこのプロジェクトに取り組んでいたのだとしても、開発メンバー全員が同じ気持ちでいたとは限らない。いつ形になるのかもわからなく、それが売れてお金になるという保証もない。遊び気分、とまではいわないにせよ、学校を卒業すれば、生活のために就職をしなければならない。ゲー厶フリークでの作業では食べていくことができないのだから、当たり前の話だ。当時すでに田尻はゲー厶ライターとして活躍の場をひろげており、その原稿料によって生活をしていた。杉森もまた、田尻の仕事の手伝いをするなどして、どうにかやっていくことができた。それ以外のメンバーも、就職している者は生活費の心配をすることなく、本業の合間を縫って作業に関わればよかった。まだ学生の身分である者は仕送りなどで生活をしていける。
けれど、このプロジェクトでもっとも重要な立場にいたメイン・プログラマーだけは、地方から上京してコンピュータの専門学校に通っており、卒業してしまえば仕送りが途絶える。ならば、生活のために就職をしなければならないのは当然のことである。しかし、彼が受け持っている作業量は、とても会社勤めをしながらこなせるようなものではなかったのだ。

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「完成するまでは、なにがあっても続けていこう……」
プロジェクトのはじめに、みんなで誓った言葉。その約束を守るため、プログラマーはとりあえず就職をしながらも、一日の仕事を終えてはゲー厶フリークにやってきて、終電の時間までプログラミングすることを続けた。それは、かなりハードな毎日だったろう。
いっしか、彼にとってゲー厶を作ることは楽しみではなく、ただの辛い作業のように感じられはじめていった。
やがて、ゲー厶制作に対するテンションの高さは、尻すぼみのようになり、作業の遅れが目立っていった。田尻は「このままでは、僕らのゲー厶が完成することは永久にないのでは……」と危機感を覚えるようになった。
ある初夏の晩。
田尻はひとつの決心をした。いつものように勤め先の仕事を終えてからゲー厶フリークにやってきて、ボロ雑巾のようになりながら作業をしているメイン・プログラマーを夕食に誘うと、次のように切り出した。
「きみは、いま会社でどれくらいの給料をもらっているんだ?きみさえよければ、僕がその給料と同じ額を毎月支払おう。だから、会社を辞めてもらえないだろうか。そして、このプロジェクトに専念してほしい……」その頃の田尻は、雑誌に寄稿するゲー厶紹介記事の原稿料で生活していたが、その仕事量を二倍に増やすことで、プログラマーを養っていこうと考えたのである。自分と彼との間で実質的な雇用関係を

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結ぼうというわけだ。
もちろん、それは簡単なことではない。本業とゲー厶フリークでのプログラミング作業とを掛け持ちしていた彼と、同等かそれ以上の苦労を田尻が背負わなければならないのだから。メイン・プログラマーは田尻からの急な申し出に迷いながらも、夜通しの説得に応じ、結局は勤めていた会社を退職した。ゲー厶フリーク専属のプログラマーとなる決意をしてくれたのだ。その日からは、ゲー厶フリークに籠りきりになったプログラマーと、そばについた田尻とのマンツーマンで、『クインティ』の制作作業はエンジンをフル回転させはじめた。
「そのときはあまり意識しなかったのですが、僕にとってはじめて、他人に対して社会的な責任を負うケース、つまりゲー厶フリークが会社の雛形にステップアップした瞬間だったんですね」と、田尻は著書『新ゲー厶デザイン』のなかで回想する。会社を作るためにゲー厶を作っているのではない。お金を儲けるためにゲー厶を作っているのではない。しかし、ゲー厶を作ることで、あるいはそれが売れることで、大きなお金が流れ出していき、また流れ込んでくる。そこには様々な責任と、それを管理するためのシステムが必要になる。田尻はそうしたことを無意識のうちに感じ取りながらも、そのときはただ、ゲー厶を完成させることだけを考えていた。
もう、あとには引くことができない。ひたすら完成まで走る続けるしかなかったのだ。

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