Pokemon Story/Chapter 3/Subchapter 3: Sial

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第3章  アメリカ

3 シアトル

ニューヨークトイショー

NYトイショー

2月9日水曜日。ニューヨークトイショーが、この日始まりました。トイショーといっても、大きな会場を使った展示会ではありません。ブロードウェイにトイビルデイングという、玩具メーカーばかりが入ったビルがあり、そこに各メーカーがショールームや事務所を持っているのですが、バイヤーやライセンスを持ったエージェントなどがそこを訪れ、各メーカーのプレゼンテーションを聞き、買い付けをしたり、ライセンスを与えたりするのです。逆に、まだマイナーで買い手があまりついていないキャラクターのライセンスを持ったエージェントも、そうしたメーカーの新製品をみて、このコーヒーカップにぜひうちのキャラクタ—を付けてくれ、と売り込んだりするのです。もちろん、トイビルディングに入らなければトイショーに参加できないというわけではありません。大手メーカーは、トイビルディングではなく自社オフィスで交渉しているところもあります。
アメリカの玩具業界にとって、毎年2月に開催されるこのトイショーはとても重要
現在大手玩具メーカーはエ場を中国、南米に拠点を置いているため、玩具を企画し生産するため8ヶ月ほどかかるといいます。年末商戦に間に合わせようとすると11月には発売されていなくてはならず、2月に見本市というタイミングがベストと思われます。

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ニューヨークトイショー
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現在大手玩具メーカーはエ場を中国、南米に拠点を置いているため、玩具を企画し生産するため8ヶ月ほどかかるといいます。年末商戦に間に合わせようとすると11月には発売されていなくてはならず、2月に見本市というタイミングがベストと思われます。
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な意味を持っていて、このとき、ほぼその年のクリスマス商戦用の商品構成が決まつてしまいます。この期間に商機を逃すと、どのメーカーも商品の発注生産計画を立ててしまうので、その年はお休みせざるをえないことになります。ポケモンは、1999年2月のトイショーでは、買い手を見つけ出すのに苦労する、キャラクタ—グッズ市場ではまだ弱いキャラクターに過ぎませんでした。
この日午前10時過ぎ、アメリカ第2位の玩具メーカー、ハズブロ本社は、トイショー初日を迎えて、バイヤーたちでごった返していました。ハズブロの規模は、アメリカ玩具業界の巨人マテル社と比べれば、第2位とはいえ規模にかなり差のある会社でしたが、この2年間に追撃体制を整えました。ポケモンを手に入れたからです。久保は、1998年のトイショーのことを思い出して、そう言いました。任天堂は、石原と久保に話した「あらゆるライセンスを統合してNOAに持ってくる」体制が実現したあと、98年1月にニューオーリンズのナツピ(NATPE)でポケモンのアニメのシンジケーションに着手する一方、早速ポケモンのキャラクターを使用したマーチャンダイジングのために、2月のトイショーでメーカーへの売り込みを開始しました。各メーカーにプレゼンテーションしたのはナツピと同じくNOAのエージェントである4キッズです。4キッズのアル・カーンとナツピに参加していた久保は、2月のトイショーでもカーンとともにポケモンの売り込みに同行しました。

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ハズブロビルディングでのトイショー
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トイショーといってもコンベンションセンターでおこなう東京おもちゃショーとは趣が違います。トイビルディングと呼ばれる複数のビルの中で、店のようなブースを持ち交渉をします。ですので、卜イショーは一般に開放されたイベントではありません。ビジネスマン向けの予約をしないとどこにも入ることのできないクローズドコンベンショ
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第3章  アメリカ

そして2人は、ハズブロを訪れたのです。
ちょうど2年前のトイショーでのことでした。
「かなり冷たいあしらいでね。ランチも出なかったし。まあ、その辺でじやあ、ちょっと話は聞いてもいいけどねっていう感じ」(久保)
「ハズブロを選んだ理由は、マテルがディズニーをやっていたことと、これから成長してゆく会社の方が一生懸命に売るんじゃないかって思ってね」(アル・カーン)そのとき久保は、アル・カーンのプレゼンを見て感銘を受けました。
「2人で、ハズブロのジンジャー副社長のところに行ったんです。アルがプレゼンで話し始めたんですけど、品物をな一んも見せないんですよ。ただ話しているだけ。日本のピカチュウとかね、いろいろフィギュアもイラストもあるのに、何もテーブルに出さない。両手はテーブルの上で組んでいるだけなんです。キャラクターの売込みですよ。そんなプレゼン、あります?ぼくもアルも、紙袋にいろいろ持っていたんですよ。もう、よっぽど自分が持っていったものを出そうかと思って。こいつ、本気で売ってんのかと思いますよね、普通。それで、一応話が終わったら、向こうのバイヤ—が聞くんですよ。で、なんかないの?って。そしたらアルが、おもむろに足元からピカチュウを出して、これがそれだって言ったんです」
カーンのこのプレゼンは成功でした。

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ンなのです。その中でもマテル・ハズブロといった大手メー力ーは雑居ビルのような会場ではなく自社のビル内で開催しています。最近ではその非効率を指摘されており、コンベンションのスタイルが変わろうとしています。
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ハズブロ
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世界で第2位の玩具メー力 ー。ハッセンフェルド兄弟 (Hassenfield Brothers) が設立したことが八ズブロ
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「自信があったからね。期待させても、その期待を裏切らないっていう自信がね。見れば絶対に気に入ると思ってたよ。その前に、話をちやんとしておきたかったんだ。キャラクタ—を見せてしまうと、話なんかきかなくなるものなんだよ」(カーン)同席していたハズブロのバイヤーは、アルが取り出した黄色のピカチュウを見て、「あら、かわいいじやない!」と言って、それを持って早速近くの同僚たちの意見を聞きに行きました。評判は上々でした。
「まあ、そういうわけでハズブ口に決まったんですが、あのプレゼンは、大きかったと思いますよ」(久保)
ただ問題はありました。ハズブロが、スタ—ウォーズのライセンシーだったのです。「99年のトイショーのときは、ハズブロはもうスタ—ウォーズー色でしたね。まあ、存在感の大きさの違いっていうことなんでしょうけど、文句は言いました」(久保)しかし、実際の売り上げで見ると、スタ—ウォーズとポケモンとでは勝負になりません。全米1300店舗を持つKBトイズという玩具チェーン店での99年のスタ—ウオーズ関連商品の売り上げは、ポケモングッズの半分に過ぎません。「今年は、さすがにメインをポケモンにしてますね」(久保)ハズブロのビルはこの日、1階と2階をキャラクタ—ごとのブースにしてありましたが、正面階段を上ったところに、大きなポケモンのゲートがあり、広いスペースが

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(Hasbro) の由来。ここ数年では、スターウォーズの玩具化権を高額で独占契約したこと、傘下のタイガー社が「ファービー(言葉を覚えていく人形)」を発売したこと、ポケモンカードをアメリカで販売しているウィザーズ・才ブ・ザ・コースト社を300億円以上で買収したことなどが話題となった。日本の玩具メーカー・トミーとは業務提携の契約を交わしている。業界第ー位のマテルはバンダイと提携。世界中で業界再編成の傾向にある。
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第3章  アメリカ

取られています。入り口のピカチュウのバルーンは、1階ロビーに入るとすぐに見えていました。スタ—ウォーズのコーナーは、2階右手の突き当たりで、狭いスペースでしかありません。1年の間に、立場が逆転してしまったのです。
99年は、アメリカの玩具業界は大きな変化の波を受けた年だったといっていいでしよう。業界の真中に一本線が引かれて、右がポケモンあり、左がポケモンなしです。4キッズから幸運にもライセンスを受けることができたメーカーは、大きな利益を得ることができただけでなく、株価も急騰しました。それは小さな会社ほど顕著で、たとえばカ、ーンの4キッズエンタ—テインメントもその恩恵を受けました。「ポケモンを扱うようになる前、俺の会社の価値は、まあ500万ドルっていうところだった。それがいまでは、少なく見積もっても30倍の価値にはなってるだろう」(アル・カーン)
また、プレイバイプレイトイズ・アンド・ノベルティーズという玩具店が、キーホルダーとインスタント刺青でポケモンのライセンスを取得する契約を4キッズと結んだところ、契約の数時間後に株価が3倍になったという有名な話もあります。アメリカの玩具業界では、線の右側に入れたメーカーは、もれなく幸せになれたのです。現在のアメリカにおけるポケモン関連のライセンスは、ゲームソフトとハードがNOA、アニメ映像がワーナーブラザーズ、玩具がハズブロ、カードゲームがハズブロ

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ウィザーズ・オブ・ザ・コースト
「Wizards of the Coast」が正式名称。戦略的なカードゲー厶「マジック・ザ・ギャザリング(Magic the Gathering)」を製作販売している会社で有名。ポケモンカードでも大成功した結果、ハズブロ社に高額で買われることとなり、自社株を持った一部の社員はアメリカンドリー厶を手に入れた。本社は、首脳陣がボーイング社を辞めて作ったこともあり、NOAと同じシアトルにある。
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に買収されたウィザーズ・オブ・ザ・コーストで、その他にもたくさんのライセンスが出ています。

ハズブロ

この日、ハズブロを訪れたポケモン一行には、三つのイベントが待っていました。トイショーにあわせてニューヨークを訪れているメディアファクトリーとの会議、ハズブロからの2000年クリスマス商戦へ向けてのマーチャンダイズ企画のプレゼンテーション、そして現在売り出しを待っている商品のアプルーバルです。サンフランシスコのVIZと同じように、NOAと石原が揃っているこの日にアプルーバルを受けて、1日も早く生産販売したいのです。
最初の、メディアファクトリーとの会議は、ハズブ口内の大会議室を借りて午前11時頃から始まりました。メディアファクトリーは、すでにお話したように、カードゲームについては、クリーチャーズから製造・販売ライセンスを与えられている会社です。それをNOAのアメリカ展開のために、そのまま権利を小プロに預けるという、多少バイアスのかかる形態になっているために、こうした直接意見を出し合えるミー

第3章  アメリカ

ティングがとても重要なものになっています。出席者は、これまで通りのポケモンー行とNOA、4キッズのカーン、小プロ、そしてメディアファクトリーポケモン事業本部本部長並河研率いる一行です。ここでは、ポケモンカードゲームのハワイ大会や世界交流大会、シドニーオリンピックでのイベント内容とNOAの関与方法などについて話し合われました。
ハズブロからのプレゼンは、ランチブレイクを挟んで、同じ会議室で午後1時半頃から始まりました。ハズブ口側の出席者は、副社長、各セクション担当者、開発担当者など十数名です。ハズブ口にとってポケモンは、今や大黒柱ともいうべきキャラク夕—です。さらにこの2000年という年は、7月にポケモンの金銀バージョンに対応した映画『パワー・オブ・ワン(゠一大の力)』(日本では99年公開の『ルギア爆誕』)が公開され、10月にはその金銀バージョンのアメリカ版が発売されるという重要な年でした。ですから、ハズブ口にとっては、2000年のトイショーのメインイベントが、NOAと日本側版権会議代表者石原への、この日のプレゼンでした。日本側の出席者は、午前中のメディアファクトリーとの会議のときのメンバーに、今度は日本側のもう1大の原作者であるゲームフリークの担当者も加わりました。この日のためにニューヨーク入りしていたのは、商品管理部長の川上直子と3D商品の

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「パワーオブワン (Power of One)」
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アメリカでは映画の宣伝を音楽をベースにしたプロモーションでおこないたいというゲイルさんとノーマンさんの提案から、映画のタイトルには登場するポケモン名を入れませんでした。商品名を入れた音楽はFM放送ではかかりづらいというのが理由です。しかし、僕は今でも「ルギア」という新ポケモン名をタイトルに入れるべきだったと思っています。まあ、終ってしまえば何とでも言えるんですけどね。
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監修担当である御園日月でした。アメリカのポケモンマーチャンダイジングの大半を扱うハズブロのプレゼンが、原作者たちにとっても、重要なイベントだということがよく現れています。
しかしその重要なプレゼンの冒頭、ハズブ口側は大きくつまずくことになりました。会議の開始をハズブロが宣言したとき、石原が発言を求めて、一つの品物をテーブルの上においたのです。
「日曜日に、ぼくはメトロポリタン美術館に行きました。天気がよかったので、セントラルパークを抜けて五番街まで散歩したんですが、そのとき、FAOシュワルツの店に寄って、ポケモンコーナーに行ってみました。そこで見つけたのが、これです」FAOシュワルツは、今アメリカでもっとも成長株の玩具店チェーンで、ニューヨークの五番街のプラザホテルの向かい側のあたりにあります。ちなみに、いま五番街で勢いがあるのがキャラクタ—グッズ専門店で、FAOシュワルツを出て五番街を西に下っていくと、コカコーラ、ワーナー、ユニバーサルと、一等地に4軒もキャラク夕ーグッズ専門店が並んでいて、アメリカの好況とキャラクタ—マーチャンの好調さを物語っています。
さて、ハズブロ会議室に戻りますが、石原が取り出したのは、アプルーバルを受けていない商品の商品化という、提破りの動かぬ証拠品でした。それが満座の関係者の

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御園日月さん
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東京都出身。ゲー厶をプレイしポケモンの世界に惹かれて、97年6月ゲー厶フリークへ入社。現在、商品管理部所属。ポケモン3D商品監修担当。好きなポケモンは、イーブイ、ヒメグマ。
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第3章  アメリカ

前に置かれたのです。
それは、NOAにとっても初耳の商品でした。石原は、ハズブロのこの日の会議まで、誰にもその話をしていなかったのです。
「あれは、一度うちから小プロに送って、版権会議でノーといわれた商品だったのよ。弁解の余地はなかったわ」
怒りだしたのはそう話すNOA副社長のティルデンでした。
「情けなかったのよ、自分が。そういうことが起きているということは、わたしたちのコントロールが不十分だっていうことでしょう。わたしは、わたし自身に怒ったの」(ティルデン)
ティルデンが、なぜその商品化が行われたのかと聞くと、ハズブロは、アプルーバルを受けたと思い込んでいたと答え、それに対してティルデンは、「あり得ません!」とさらに怒りましたが、ハズブロとしては、同じ答えを繰り返すほかありませんでした。悪意ではなく、過失だということです。
「こういうことは、2度と起こってはいけません」
石原は、そういってその品物を再び自分の力バンにしまいました。ハズブロは謝罪し、製造は打ち切り、在庫は処分し、これまで販売した数量などのデータを調査してNOAに報告すると約束しました。

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ハズブロの新製品プレゼンテーションは1時間ほどで終わり、そこから商品のアプルーバルが始まりました。日本の版権会議と同じように、商品一つひとつのサンプルが提出されてチェツクされていきます。それは日本であろうがアメリカであろうが、手間と根気のいる仕事です。言い換えると、それまでのプレゼンテーションは、映画やゲームソフトの発売にあわせて商品をどう発表してどう売っていくか、という総論のようなもので、商品一つひとつについてサンプルをみて検討していくという作業は、各論といえるかもしれません。その各論レベルの仕事を、石原はニューヨークでも、いつもと同じように辛抱強く続け、商品を見ていきました。
「もう、全然違いますね。正規にライセンスを受けた商品とそうでないものは。版権会議の重要性は明らかですね」
そう話しているのは、NOAの荒川です。
「ライセンスを受けているものは、石原さんの目を一度くぐっているわけですね。ですから、おもちやでもぬいぐるみでも、なんでもライセンス商品は、ものがいい。ぼくなんかでも、コピー商品は、一目で分かりますからね。そういう正規品のクオリテイの高さを定着したのが版権会議ですよ」
しかし、そのためには、商品を日本に送らなければなりません。「いま、毎週1000個もの商品のライセンス申請があるんです。それをさばいてい

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アプルーバルシステム
商品企画のうち立体的なものは日本で原著作者のアプルーバル(承認)が必要となります。アプルーバルは、毎週火曜日の版権会議でおこなわれます。
通常、商品企画はスタイルガイドと呼ばれる企画用ガイドブックがあり、その本の中にはCD-ROMがあって、商品で使用できるポケモンイラストがその。口に入っています。ライセンシーはそのイラストを使用し、Tシャツなどの商品を企画します。アパレルやノー卜などの2次元商品は、スタイルガイドのイラストにデザイン処理を加えるだけですから、ポケモンの世界観を大きく逸脱した商品は作りづらく、承認作業はアメ
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くのは大変な仕事量なの」(ティルデン)
それを何とか合理化したいと、荒川は言いました。
「いまね、クリーチャーズに、アプルーバル用のスタッフを常駐させてほしいってお願いしてるんですよ。ただそれにも問題がありましてね。その人にも、石原さん並みの力量が必要になるんですよ。ですから、なかなか実現しないんです」

いま、ポケモン関連商品はすべて、こうした海外出張時の例外を除けば、東京でそのクオリティ管理が行われています。2000年6月末現在で、正規ライセンス商品のアイテム数が、概算で国内外合わせると1万2000アイテム以上あります。石原と版権会議はそのすべてを審査し、アプルーバルを出してきたのです。しかしその数ですら、実はピラミツドの頂点に過ぎず、石原の版権会議に提出される件数は、その10倍、20倍になります。つまり石原は年間数十万点もの商品をチェックしなければならないのです。苛酷な労働と言えるでしょう。しかし、さらにいえば版権会議までたどり着いたサンプルは幸運なサンプルであって、NoAの段階ではねている件数を加えると、さらにその10倍になるかもしれません。いったんあるキャラクターが売れはじめると、世間の商品がみんなそのキャラクタ—の方を向き始めるのは、こうした流れがあるからです。

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リカのNOAが判断して終わりになります。3次元の立体物は、そのポーズやフォルムで世界観を壊してしまうような商品が生まれる可能性があり、最終承認作業は日本でおこなう必要があります。ポケモンがアメリカ進出した当初は、ポケモンの世界観の難しさ、伝達経路の複雑さから承認終了まで時間がかかり、ライセンシーから不満が漏れることもありましたが、現時点ではアメリカ現地でのでの承認もスムーズにおこなわれるようになり、不満は解消する方向にあります。いずれにしても大きなタイインがキャラクター展開には必要で、これらのライセンシーといかにうまくつきあうかは重要なポイントです。
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それを考えると、キャラクタービジネスにおけるエージェントの重要性にも気づかされます。原作者グループが安心していられるのは、こうした版権会議に商品が集まるシステムを信頼すればこそなのです。そしてそのシステムを構築し、維持しているのが、小プロであり4キッズです。原作者たちが日米両国に、それぞれ小プロと4キツズという信頼できるエージェントを持っていることが、ポケモンビジネスが順調に育ってきた、最大の理由の一つなのかもしれません。

2000年ニューヨークトイショーは、ポケモンビジネスにとっては、このハズブロでのプレゼンで完了しました。石原と川口と久保の講演ツアーとトイショー参加は終わったのです。
しかし、三人で祝杯をあげることはできませんでした。石原がまだハズブロでアプルーバルを続けているとき、川口と久保は、シアトルに飛ばなければならなかったからです。シアトルのNOA本社を訪れ、社長の荒川実に会うのです。石原のハズブロでのアプルーバル以後の行動については、筆者も川口、久保とともにシアトルに移動したため分かりませんが、石原の帰国便は、その翌日の2月10日、ニューヨーク線に就航していたANAのポケモンジエツトでした。

第3章  アメリカ

NOA

NOA。1999年に対前年比250%を越える売上増を記録した、アメリカ最大の……と書いたところで、その業種を特定するのに言葉を探してしまいます。N64やゲームボーイ、それにそれら用のソフトは、玩具とは言えますが、エレクトロニクス商品でもあって、家電ともコンピュータ類のハイテク製品とも呼べます。しかし、もっと違う見方をすれば、その取扱商品100%が京都本社から来ているわけですから、輸入商名と言えるかもしれません。ただし、NOAは、仕入先の京都に、仕様変更やアメリカ市場用の付属品など、注文もいろいろ出せる商社です。そして自社内で、輸入した商品に加工も加えている商社です。そうなると、NOAがアメリカ最大の商社だとはいえないかもしれませんが、利益率の高さを考えれば、アメリカでもトツプクラスの優良企業です。
そのNOA本社は、ワシントン州シアトルにあります。車で数時間も走ればカナダのバンクーバーについてしまうという、アメリカ西海岸の北の端です。1981年、社長の荒川がニューヨークからシアトルに本社を移したのは、当時の主力商品だった業務用ゲーム機が日本から船便で送られていたので、その輸送日数を短縮するためでした。

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NOA
(Nintendo of America)
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シアトルは、ハイテク産業のメッカです。シアトル・タコマ国際空港を出たところにあるボーイング社が有名ですが、国道508号線の9番街NW出口を出たところにはマイクロソフト社もあります。マイクロソフト・レドモンド工場です。社員はこの工場をキャンパスと呼んでいるそうですが、背の高い杉の木や縦の木に囲まれた建物は、まさにそのあだ名にふさわしいたたずまいです。
そのマイクロソフト社のお隣さんが、NOAです。一帯は、ワシントン湖とサマミッシュ湖に挟まれた元森林地帯です。製材業のためにかなり伐採されたそうですが、森の中のオフィス街と形容したくなる程度には残っています。NOAがこの敷地を買ったのは1982年で、資金は『ドンキーコング』の収益でした。「ポケモンは、20年、30年と生きるキャラクタ—だと思います。しかし、放っておいたのではそうはならない。田尻さんや石原さんや久保さんにいい企画をたくさん考えてもらい、いつまでも生き生きとしているように大事に育てていきたいですね」幾多の訴訟やアメリカの同業者からの妨害を撥ね退けて、タフな企業経営を20年も続けてきたNOA社長荒川実は、明るい社長室で、屈託のない笑顔を見せながらそう言いました。
ポケモンのアメリカでの成功は、それがポケモンであったからだとマスコミは言い、

第3章  アメリカ

ポケモンがヒットした秘密を分析するといいながら、数字ばかりを追っています。しかし、幾多のタフな交渉ごとを切り抜けてきた荒川の明るい笑顔がなければ、NOAもポケモンもなかったかもしれないのです。本書の取材のためのインタビューを目的として訪れたシアトルですが、最大の収穫は、荒川のこの笑顔だったかもしれません。NOAから、川口や皆川と連れ立って、シアトルマリナーズの本拠地、シアトル・マリナーズ球場に向かいました。新築されたばかりの球場5階の球団CEO(最高経営責任者)室で川口、久保の一行を迎えたのは、新任のCEOハワード・リンカーンでした。リンカーンは海軍除隊後、シアトルの法律事務所の弁護士でしたが、『ドンキーコング』がキングコングの商標権を侵害しているとして、NOAがメジャースタジオのMCAに訴えられた1982年、訴訟の最中に荒川に口説かれてNOA入りしました。その後、横行していた海賊版の一掃で功績を上げ、NOAの共同経営者として代表取締役会長になりましたが、やがて代表権のない会長職に退き、今回のマリナーズCEO就任となりました。
「これが、わたしの夢だったんだよ!」
アメリカ人にとってメジャーリーグの球団オーナーは特別なポジションです。リンカーンは、マリナーズに夢中でした。

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ハワード・リンカーンさん
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Howard Lincoln現シアトルマリナーズCEO(最高経営責任者)。1986年に海軍に入り法務将校になりますが、除隊後、シアトルの法律事務所に入り、そこでNOAとユニバーサルスタジォの「ドンキーコングとキングコングの商標基準訴訟」を担当、見事NOAを勝訴に導きました。83年に副社長としてNOA入社。94年会長。99年9月、シアトルマリナーズCEOに就任。(NOAは2000年2月に艮一社)。
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「ササキはいいね。明日からフロリダのキャンプを見にいくんだ。ササキに会うのが楽しみだよ。今年はササキで優勝できるかもしれない。本当だとも」そのササキとは、横浜ベイスタ—ズで大魔神の異名をとった佐々木主浩のことです。佐々木は新任CEOリンカーンの期待に応え、移籍1年目のこの年、37セーブを上げて大リーグ新人セーブ記録を更新しました。
「ポケモン?そうだね、じやあ、今度Eメールでも送っておいてもらえるかな。そうしたら、お答えできると思う」
リンカーンは、マリナーズのことを機関銃のように話しながら、ポケモンについては、そう言いました。
リンカーンは、1998年5月、ジョージア州アトランタで開催されたE3(エレクトリック・エンターテインメント・エクスポ)で、NOA会長として、次のように演説しました。
「NOAは、今年、ポケモンをアメリカで展開する。ポケモンは、ゲームソフトだけでなく、キャラクタ—としても、かってない成功を収めることになるだろう」「まあ、いいじゃないですか。いま、リンカーンさんは佐々木投手とマリナーズに夢中なんですよ。邪魔はしないでおいてあげましよう」

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また、2000年には、オリックス・ブレーブスからイチロー外野手の獲得にも成功。その入団交渉のために来日もしました。
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第3章  アメリカ

リンカーンと握手して分かれた後、久保がそう言いました。
「なにか、リンカーンにお聞きになりたいことがあったら、ぼくに言ってください。ぼくに調べられることやったら、調べてお返事しますから」任天堂広報課の皆川もそう申し出てくれました。ハワード・リンカーンは、愛されたままNOAを去っていったようです。
アメリカ横断ポケモン講演ツアーは、シアトル・タコマ国際空港での、任天堂チームとの別れで終わりました。
「じやあ、京都でまたお会いしましょう」
川口と皆川は関西空港行きの便を利用し、久保と筆者は成田行きの便を利用することになったのです。再び、川口と皆川に会ったのは、それから2カ月近くあとの3月29日、任天堂社長山内溥との対決の日でした。
あれ、ポケモンは、どこにいっちやったんだろう?
川口と皆川の2人と別れると、筆者の中に、そんな思いが沸いてきました。サンフランシスコで、ニューヨークで、大勢の人間がポケモンについて語りムロっていたときは、確かにそこにポケモンがいるように思われていたのですが、いま、こうして空港

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の広いロビーに、久保と二人で立っていると、ポケモンが見えなくなったような気がしてきたのです。
「そんなことありませんよ。ちやんといますよ、ポケモンは」
久保はそう言って、ポケットからゲームボーイを取り出しました。
「飛行機の中で、対戦でもしますか。そういえば、ミュウ、持ってます?」
持っていませんでした。
「じやあ、ミュウ、あげましょう。親は『コロコロ』ですよ。稀少価値、ありますよ」
帰りの飛行機の中で、筆者の『ポケットモンスタ—』金バージョンのポケモン図鑑は、ようやく250匹揃ったのでした。
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