Magic of Pokemon/p3

From Poké Sources
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どのようなもの言い、どのような言葉、どのような立場で料理され盛りつけられていったのか、という視点から、メディアの舞台での事件の語られ方を整理・編集して示してみることが、「われわれの真実」のために求められる。
だが、誰もがそんな悠長なことができるわけでもない。また、やる必要もない。たとえそこまでしないことにはメディアの舞台に乱反射する事件の実態をとらえて〃すっきりする〃ことができなくなっているのだとしても、それは単なる「情報」消費者であるわれわれのそれぞれがやるべきことではない。これはむしろ、メディアの現場で仕事をする側がどこかで手当てしておかなければならない、いわば情報生産業としてのアフター・サービスの部分に当たると思う。しかし、新聞であれテレビであれ雑誌であれ、今の日本のメディアの生産点にはとてもそんな余裕はなくなっているし、もっとはっきりいえば、そういう発想すらもう宿りにくくなっているようだ。だから、われわれは、頼まれもしないのにあえてこんな本をつくってみた。
もちろん、今回の「ポケモン事件」も、高度情報化社会と呼ばれるめまぐるしさのなか、放っておけばいずれ一過性のものとして消費され、忘れ去られる事件のひとつにすぎない。しかし、そこには今の日本の社会、われわれの暮らしを考えてみようとするときに見過ごすことのできない大きな根深い問題がいくつか、確かに見え隠れしていた。少なくともわれわれの目にはそれがはっきりと見えた。
それは、身近な暮らしに直接関わりのない大文字の能書きでかたづけられるものではなく、まさにわれわれそれぞれの手もと足もとの日常に関わってくる問題だった。子どもと情報環境の変貌、ゲームとともに育ってきた世代の感覚、産業としてのゲームとそこから発して今や子どもの現実のかなりの部分を覆い尽くすに至っている商売のメカ二ズム……。あえて大げさにいえば、高度経済成長期以降の、この日本の「豊かさ」はわれわれの暮らしをどのように変え、そしてその結果、何を〈いま・ここ〉にもたらしているのか、そしてそれをわれわれは〈いま・ここ〉の内側からどう自覚してゆけるのか——。「ポケモン事件」とは、単なる異様な事件というだけでなく、こうした同時代の切実な問いとも必ず関わってくる〃できごと〃だったのだ。
そのことに気づいてもらい、みなさんの心のなかにシャキツとした補助線を一本引く道具として、このささやかな本を手にとり、そして読んでいただけたら、頼まれもしないのに向こう意気一発でこの本をつくろうと集まり、限られた時間のなか、ドタバタと走り回って資料を集め、取材をし、原稿をまとめたわれわれとしてはとてもうれしい。

  ー九九八年三月        大月隆寛

3   はじめに

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