Magic of Pokemon/p2

From Poké Sources
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はじめに
「われわれの真実」を求めて

昨年暮れ、テレビアニメの『ポケットモンスタ—』(テレビ東京系列)を見ていた子どもたちが全国で一斉に倒れる、という事件があった。今、この本を手に取っていただいている方は当然、ご存じの事件だろう。さらに、その被害者となった年ごろのお子さんをおもちの方ならば、メデイアだけでなく、学校やご近所などを介して身近にさまざまな「情報」に接し、それぞれ感想や印象をおもちだろう。病院で手当てを受けた子どもの人数は、報道によれば全国で六百人あまり。だが、全国一斉にある時間帯に救急車の出動要請が集中し、しかもそのほとんどが小・中学生だったというのは、〃できごと〃として相当に異様な印象を受けた。ある知り合いは「まるでハメルンの笛吹きみたいだ」と言っていたが、まさにそんな感じだった。
メディアの舞台での報道のされ方もどこかひっかかるものを感じながら、しかし、その異様さの決定的な根っこをさぐり当てられないもどかしさをぬぐえないままになっていた。ありていにいって〃すっきりしない事件〃という雰囲気だったし、さまざまな「解説」が出そろったはずの今でも、その雰囲気は続いている。
この本は、「ポケモン事件」をめぐるそういう居心地の悪い雰囲気を拭い去って、誰もが「ああ、要するにそういうことだったんだ」と〃すっきりする〃ことができるように、とっくられたものだ。
とはいえ、ほんとうに〃すっきりする〃ためには、「事件の真実はいったい何だったのか」といった「正解探し」の方向にだけ生真面目に動いてゆくのでは、おそらくダメだ。むしろ、事件がどのように語られ、報道され、広い範囲に「情報」としてばらまかれ、そして人々がどのようにそれを受け止め、事態を言葉にして理解してゆこうとしたのか、その一連の〃流れ〃のなかに宿るある種の〃気分〃をまずとらえることが必要なのだと思う。
今のような高度情報化社会における「われわれの真実」とは、ただひとつの「正解」としてではなく、さまざまな「情報」の乱反射してゆく場に宿るそのような〃気分〃に投影されるものだったりする。だからまず、さまざまなメディアを介して彪大にばらまかれる多種多様な、時にあやしげなものも平然と混じってくる「情報」の〃流れ〃の全体像をとらえ、そのうえで、〃できごと〃としての事件が

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