Magic of Pokemon/p160

From Poké Sources
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サブ・カルチャーにまっわる子どもの事件と大人の論理

佐藤賢二

『ポケモン』の事件が起きた時、自分は即、「ああ、また、ようわからん大人が、ようわからんままゲームやアニメや漫画をたたき、それに対して『ファン』がヒステリックに怒り、で、両者はすれ違いのままなんの解決にもならず、って図式の繰り返しになるんだろうなあ」と感じた。
かって「ゲーム」や「漫画」や「アニメ」や「怪獣」といった子どものメディアは、正しく「所詮子どものおもちや」だつた。ゆえにこそ、つくり手や少数の「ファン」たちは、その質や地位の向上を目指し努力をしてきた。自分はそのこと自体には敬意を払っている。今回の事件で『ポケモン』そのものに擁護の声が多くあがったことでもわかるように、今日、それら子どものメディアは、一見市民権を獲得したかのようにもみえる。しかしその内実は、先人たちの意思が普及し理解されたというよりも、単に無自覚なままずるずると市場に流通することに成功しただけではないか、という印象もなくはない。『ポケモン』の事件が起こるずつと以前から、子どものまわりにはつねに新しいメディアが現れては消え、それにまつわる事件があり、大人たちはそれに対し、論議と困惑を繰り返してきた。
そこでひとつ、こうした「子どものメデイア」にまつわる環境と、そこで巻き起こされた事件・論議の歴史を振り返ってみようと思いたった。今回の事件は、作品内容についてではなく、その表現技法が問題視されたという点で従来の事件とは性質を異にするかもしれないが、調べてみると、「ああ、あの事件の背景にはそういうことがあったわけね」と、あらためて気づかされることも多かった。しかしその反面、この手の論議は本当に三十年一日なんだな、と思うところもある。
歴史的資料の収集には、雑誌記事については最大のデータベースである大宅壮一文庫を大いに活用させてもらった。自分はとりあえず、終戦後の資料から、念入りに目を通すことから始めた。

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