Magic of Pokemon/p159

From Poké Sources
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く状態を「変性意識」と言います。「変性意識」状態というのは、やり方を間違えると倒れる状態なわけです。子どもたちが食い入るように見つめていたという時には、単に画面に近かったとか光の刺激が強いからというのではなくて、その「臨場感世界」にハマってしまつているわけです。
それと、ハマっている世界からこっち(物理世界)に戻す時に、(戻すタイミングが)いきなりだったりすると、倒れることがあります。あまりにその世界(「臨場感世界」)にハマりこんでいると、それだけで倒れたりする。
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つまり、子どもたちが倒れたのは、「パカパカ」といった手法を使うタイミングを誤ったからだ、ということらしい。画面に集中する子どもたちを現実世界に引き戻す手順が荒っぽかったと。
また、制作サイドの問題についてはこうも指摘する。
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今回のポケモン(番組・事件)
には、本質的な問題点というのはありません。問題があるとすると、そういうことを引き起こした人が意図的なのか、無知だったのかわからないが、やり方がうまくなかったということです。僕は作り手が(「パカパカ」などが視聴者に与える)効果を知っていたと思います。でも、ひっくり返られるとは思っていなかったでしょうね。
アニメを守るオタクと言われる人が「アニメは貧乏だから、ーフレー厶にそんなにお金をかけられない。貧乏だから(「パカパカ」などの)特殊効果をやるんだ」と言っているけれども、あんなに金かけている『エヴァンゲリオン』だって(特殊効果を)使っています。金があるないの問題ではなく、赤青の「パカパカ」がどうやら効くよ、というのが業界内で経験則として出てきたんだと思うんです。
「臨場感」を高める時に、いちばん金がかからないやり方として選択したのかもしれないですね。「臨場感」を高めるひとつのやり方として有効だよ、という知識はアニメ業界の中におそらくあったと思います。
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一方で、視覚的刺激が子どもの身体的発育に与える影響を難じる声もある。橋元良明・東京大学社会情報研究所助教授(コミュニケ—ション論)は、テレビが子守り代わりになっている状況に警告を与える。
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映像の話においては、てんかんの話は氷山の一角で、やはり映像の高いテクノロジーを推し進めて、どんどん子どもに押しつけることが果たしていいことなのか、という問題があるかと思います。大人であれば、テレビはメディァの中のできごとだとわかっていますが、子どもの時に子守代わりに大スクリーンでテレビを見せたりすると、親は知育のつもりでやっていても、問題になることがあります。発達期においては、自分の手足と連動してモノが動くという身体運動は非常に大切なんです。
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ここで、筆者はある疑問を感じた。「テレビに育児をさせてはいけない、という論調が一時期ありましたが、すぐに立ち消えになりました。どうしてでしょうか」。
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それは根拠がないからです。ー種の単なる道徳論なんですね。なんで悪いかという理由がなくて「昔はよかった、昔は大自然に触れてよかったじやないか」「テレビにはいろんな悪い番組が流れますよ」という内容。あまり根拠のない道徳論だから、一時的なブー厶になっても、後に続かないんですよ。なぜそれが悪いのかというちやんとした理由がなければならない。
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事件の原因に関しては、いずれ最終的な解明がなされるだろう。制作サイドの責任問題も近く決着するはずだ。
そしてその後は間違いなく、家庭内の問題になる。否が応でも「メディアと子ども」の問題を考える契機となるのだから。

159  PART-3▶テレビとゲームの時代

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