Magic of Pokemon/p153

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テレビゲー厶産業発達史

矢本広

テレビゲームは日本で生み出された遊びではない。これの起源をたどると、ー九六〇年前後のアメリカの工学系の研究機関に行き着く。
当時、コンピュータを学んでいた学生たちの間で、『スペースウオー』と名づけられた、ごく初期のテレビゲームのひとつが流行していた。『スペースウォー』を製作したのは、マサチューセッツェ科大学の人工知能プロジェクトに関わっていたスティーブン・ラッセルである。ラッセルは、最新鋭の小型コンピュータであったPDP-1というマシンの機能を試すためのデモンストレーション用プログラムとして、『スペースウォー』という対戦用ゲームを開発した。
この『スペースウォー』は、当時PDP-1の置かれた研究機関の間に広まり、多くの学生に親しまれていつた。その学生たちのなかに、これをビジネスにできないかと考える若者が現われた。名をノーマン・ブッシュネルという。ブッシュネルは、商業用ゲーム機の製作と販売を企画し、ナツチング社に持ち込んだ。ー九七ー年、同社から業務用ゲーム機『コンピュータスペース』が発売される。二十年の後、巨大産業に膨れ上がるゲーム産業は、じつはここから始まったのである。
非商業用のテレビゲームである『スペースウォー』は、当時最新鋭のコンピュータの性能を確かめるための研究資材であり、研究生がめいめい改造したプログラムを仲間に作品として発表するものであり、みなで集まって遊び合うためのパーティーの道具でもあった。
この状況のなかに金銭が介在すれば、現在のテレビゲームをとりまく需要と供給のありようと相似する。それを現実のものとしたブッシュネルは、業界内においては「テレビゲームの父」と称されることが通例になっているが、正確にいえば「テレビゲーム産業の父」なのである。また、金銭の介在なくして、この目新しい遊びが大衆化することもなかったことを考えれば、同時に彼が「大衆娯楽としてのテレビゲームの父」である、ともいえる。
ー九七二年、ブッシュネルは友人とともに、五百ドルの出資によってアタリ社を設立し、独自にゲームビジネスを展開していくことになる。同社は一九七二年の『ポン』、ー九七五年の『ブレイクアウト』と、立て続けにヒットを飛ばし、一躍その名を世に知らしめることになる。
「インベーダー」ブー厶以前しばらく後、この新しい遊び道具は、日本にも輸入され、少しずつ世間に出回りはじめた。とくに

153   PART-3▶テレビとゲームの時代

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