Magic of Pokemon/p144

From Poké Sources
Magic of Pokemon p144.jpg
 
Warning: the text below has not yet been proofread!
The text below has not yet been translated.
Page 144, scan, edit, history
た画面を食い入るように見つめ、ビデオフイルムに潜んでいた危険なバグによって倒れた。
昨年十二月の事件に、恐らくゲームクリエイタ—田尻智は「ー当事者」として強い衝撃を受けたのではないか。「ゲームの周辺を含めたゲームデザイン」に取り組みはじめた矢先、ゲーム界の青年将校は、その野心と理想に見合った、重い宿題を背負うこととなった。
もちろん悪いことばかりではない。「ポケモン事件」がアメリカ三大ネットなどを通じて海外でも報道されたことをきっかけに、アメリカでのアニメ放映、GBソフトとカードゲームの英語版発売が矢継ぎ早に決まった。
ポケモンは日本が世界に送り出す、今世紀最後にして最大の「メディア」になるかもしれない。しかし、それはただビジネスのスケールをめぐる話題であり、筆者はあまり興味を惹かれない。
日本国内ではすっかり膨張しきったかに見える「ポケモン」をめぐる物語——。すべては町田駅前の薄暗い掘つ建て小屋、急ごしらえのゲームセンタ—から始まつた。
あるいは六〇年代末から七〇年代にまだ残存していた穏やかな郊外の自然、自由な教育観をもった教師による薫陶、夏休み恒例のウルトラシリーズの再放送、思春期の屈折した精神をくすぐり騒がす怪しげなカルトムービー都市近郊に暮らす少年たちの、誰もがすれ違ったはずの、ありふれたクリエイティブたち。月日は流れたが、田尻智はその始まりの場所からさほど離れてはいない。東京生まれの東京育ち。ゲーセン野郎出身のゲーム作家で、社長もしている。三十歳の時、彼はひとまず世界一のゲームボーイソフトをつくった。
「彼のコントローラーを持つ手がきれいだと思った。ゲームが終わってコントローラーを置くときにも、彼はけっして放りなげたりしない……」
その時、平林の視線をよそに、田尻はひとり画面に向かい、大声を上げながらゲームを続けていた。

■引用記事・文献
・『新ゲームデザインTVゲーム製作のための発想法』田尻智著(エニックス・ー九九六年)
・『テレビゲーム電視遊戯大全』テレビゲーム・ミュージアムプロジェクト編(㈱ユー・ピー・ユー・一九八五年)•「ゲームはなぜ面白いのか? 電視遊戯考現学講座」田尻智(『季刊ゲーム批評』マイクロデザイン出版局vol. 4・ー九九五七月十日〜vol. 7九六年五月三十日、vol. 9九六年五月三十日〜vol. 14九七年四月十日、vol. 16九七年九月一日掲載分•「未完成の自叙伝㈱ゲームフリーク代表取締役田尻智」平塚晶人(『アントレ』リクルートー九九七年七月号)
■参考文献
•『パツクランドでつかまえてテレビゲームの青春物語』田尻智著(JICC出版

144

← Page 143 – Page 145 →

Note: to add furigana, use {{Ruby-ja}}.