Magic of Pokemon/p122
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「ポケモン」が、いっしか 暮らしのなかにあふれ出した どえらい金鉱を掘り当てた「コロコロコミックシステム」とは 大月隆寛 『ポケモン』とその周辺を〈女・子ども〉でない「大人」に向かって説明しようとするとき、いちばん困るのは、『ポケモン』というのが子ども向けの〃おはなし〃であることはわかってもらえても、それがそもそもマンガなのかゲームなのか、はたまたテレビアニメなのか、そのあたりの区別が普通の人にはちよっとっきにくいということだ。 もとは任天堂のゲームボーイという携帯用ゲーム機のために設計されたゲームである。けれども、今回問題になったのはテレビアニメの『ポケモン』だし、現時点では多くの子どもたちにとっての『ポケモン』とはゲームだけではなく、むしろその他さまざまに展開されている「キャラクタ—」としてのポケモンの印象が強いだろう。そう、「キャラクタ—」と化したポケモンは、子どもたちを中心とした暮らしの広がりのなかのあちこちに散らばっていて、どのメディアがポケモンの〃本籍地〃なのか、はおそらくもうどうでもいいことになっている。 もとはゲームだったポケモンが、このように「キャラクタ—」となり、それこそ八犬伝の珠のように(古いなあ、オヤジ)暮らしのなかに散らばってゆくに際しては、『コロコロコミック』というメディアがひとつ、大きな役割を果たしていることは間違いない。 ▶| マンガを〃商品〃にした『コロコロ』 『コロコロコミック』というのは、ひとまずマンガ雑誌である。もう少し詳しくいえば、小学館から出されている幼年向け月刊マンガ誌である。けれども、これをただ「マンガ雑誌」といってかたづけてしまうと、このポケモンをめぐる事態のとめどなさ、膨大さの背景がよくわからなくなる。マンガ雑誌というのは、ありていに言って、戦後の、もっと言えば高度経済成長期の産物である。 それまでのマンガとは、主としておもちやの流通経路で貸本屋経由で流通するものか、でなければ、さまざまな付録とともに 122
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