Game Freak/Part 1/Chapter 4: Completing Pokémon

From Poké Sources
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4 ポケモンの完成に向けて

長い長いトンネルを抜けやがてマサラタウンの街の灯が見えてきた……

■ポケモンのバランス

ゲー厶フリークは、いくつものゲー厶を作り、経験を積んだ。『ヨッシーのたまご』と『マリオとワリオ』の成功で、任天堂やクリーチャーズからの評価も、いままで以上に高めることができた。ようやく機は熟した。これまでは、付かず離れずで取り組んでいた『ポケットモンスタ—』だつたが、いよいよ本格的にプロジェクトを再始動させるときがやってきたのだ。
ゲー厶の器は、ほぼ形ができあがりつっある。次は、そのゲー厶に登場させるポケモンを作ることだ。この場合、もっとも重要なのは「ポケモンは何体登場させればいいのか?」ということである。開発当初、『ポケットモンスタ—』のために用意されていた容量は、たったの1メガビットしかなかった。この限られた容量のなかに、ゲー厶を動かすプログラムも、マップ・データも、メッセージ・データも、音楽データも、そしてモンスター・データも、すべて仅めなければならない。

第1部  ポケットモンスター  102

このように、ゲー厶の開発現場では、常にデータを格納する領域の割り振りが重要な問題となり、各パートの担当者は、自分が担当する部分のデータ領域を少しでも多く確保するために必死になる。幸いにして『ポケットモンスター』の場合には、ディレクターでありゲー厶デザイナーでもある田尻自身が、プログラミングの基礎知識を持っていた。また、システムエンジニアを担当する増田も、単なる技術屋ではなく、ゲー厶デザイナーとしての視点を持っていた。であるから、これらの容量の割り振りで不毛なトラブルが発生するようなことはなかった。
ここでも、田尻の言葉がよみがえってくる。
「いちばん伝えたいところだけを残して、他はあきらめる——」
たとえ、サウンドの担当者が「いい音を鳴らすためには、これだけの容量が必要だ」と主張したとしても、それがゲー厶のおもしろさに直接結びつかないのであれば、音楽のために必要な容量を削って、ゲ—厶性に直接影響する部分にまわす。
たとえ、グラフィックの担当者が「リアルな絵を描くためには、これだけの容量が欲しい」と望んだとしても、そのことでゲー厶システムの領域が圧迫されるならば、グラフィックの分量を削り落とす。それが、ゲー厶フリークのやり方だった。
『ポケットモンスタ—』のような企画の場合、ポケモンの数は多ければ多いほど、おもしろくなるのはわかりきっている。けれど、ポケモンの数が増えるということは、それだけグラフィックが必要とする容量のサイズが大きくなることでもある。そして、テレビゲー厶においては、グラフィックがもっとも容量を多く消費する部分でもあるのだ。

103  第4章  ポケモンの完成に向けて

ポケモンの種類が多いほどゲー厶はおもしろくなるが、そのことが他に必要な部分を圧迫するのでは、意味がない。ポケモンを一体増やすごとに、そのデータは確実に他の要素に使われるべき容量を浸食していく。しかし、他の要素を膨らませれば、登場させられるポケモンの数は減っていく。このように矛盾した状況のもとで、ポケモンの数は決められなければならなかった。
未知のポケモンを探す興味。コレクションが充実していく喜び。交換の欲求を喚起させる動機づけ。これらの楽しさを成立させるためには、一体や二体では話にならない。十体でも物足りないだろう。最低でも、三〇体。たったの1メガビットという限られた容量のなかでは、それがぎりぎりの数だった。ポケモンの数はかなりの長い間、三〇体を上限として制作されていた。ところが、あるとき任天堂の宮本から、ゲー厶フリークに大きなプレゼントが贈られた。
それは、ゲーム容量の増加である。
プロデューサーとして『ポケットモンスター』に関わっていた宮本も、このゲー厶の本質が”交換“に支えられており、それをより効果的にプレイヤーへ体験させるためには、少しでも多くのポケモンが必要なことを感じていた。
当初は、ゲ——厶ボーイ用ソフトとしてのコストや市場規模などを考えて、1メガビットという常識的な容量で制作が進められていた。しかし、ゲー厶がだんだんと形になってゆくに連れ、やはり少ない容量ではそのおもしろさが不発に終わってしまいそうな危惧を感じはじめていた。このことは、宮本だけでなく、もう一人のプロデューサーである石原にとっても心配な要素だった。
ゲームの完成が近づいてきたー九九五年の秋。

第1部  ポケットモンスター  104

石原は任天堂に対して、『ポケットモンスタ—』の容量を現状のーメガROMではなく、より大きいものにしてくれるよう進言した。
ゲー厶デザイン上の必然性、制作現場からの要求、石原の援護、ROM供給状況の変化、そして宮本の想い入れ	。それらがタイミングよくひとつにまとまり、宮本を、つまりは任天堂をつき動かした。その結果『ポケットモンスター』は、同年の冬に最終的な仕様として「4メガビットROM/256キロビットSRAM」へと昇格したのである。
容量が4メガビットへと一挙に増えたことで、いままであきらめていた要素が実現できるようになった。また、ポケモンの数も全部で一五一体を登場させることができるようになった。本当ならば、4メガビットもあればポケモンの数は三〇〇体近くも収められるはずだったというが、容量の増加に伴って他の要素も強化していくために、あえてポケモンは一五一体に留めておいたほどだったのだ。ゲー厶フリーク社内では、かなり早い時期から人気投票を実施して、ポケモンのデザインを絞り込んでいた。人気投票は、各自が気に入ったポケモンの番号を三体まで投票用紙に記入する、という方法でおこなわれた。すでに各スタッフの間では、自分のお気に入りのポケモンができつつあり、この人気投票は非常に白熱したものとなった。
「お前、信じられないよ。なんでこんな不気味なやつに投票するんだ」
「こいつは、もう決まりでしょ。これぞポケモン、だよね」
「社長が虫好きなのは知ってるけどさ、だからって芋虫系はないでしょ?」

105  第4章  ポゲモンの完成に向けて

「このコ、こんなに可愛いのに、どーしてみんな投票してくれないのー」
当たり前のことだが、この時点では『ポケットモンスター』は、まだ世に出ていない。その存在など知らない一般の目から見れば、いい大人が集まって遊んでいるようにしか見えないだろう。たしかに、彼らはそれが仕事であることを忘れて、ポケモンの人気投票に夢中になった。コピーしたポケモンの絵を会議室の壁にべたべたと貼り、その前であれやこれやと議論を交わす。その姿は、『ポケットモンスター』の情報に一喜一憂する、いまの子供たちを体現してるようだった。けれど、一見、幼稚な遊びのように見えるこれらの作業は、『ポケットモンスター』を完成度の高い商品として熟成させるために、欠かすことのできない作業だったのだ。
当時のゲームフリーク社内報(ー九九二年十一月号)を見ると、その年の十月に第一回目の人気投票がおこなわれていたことがわかる。そこには、当時八〇体ほど考案されていたモンスターから、上位三体だけが発表されている。その意外な結果を、ここに転載してみよう。

『ポケットモンスター』人気投票結果発表!
全員参加の投票の結果、人気モンスターは以下の通りになりました。
一位、ナッシー
二位、ヤドラン
三位、ピッピ
以下、ベトベター、タマタマ、カラカラ、ニドラン(メス)、フシギソウ……といったような感じで続

第1部  ポケットモンスター  106

きます。結果を見たかぎりでは、合体型のモンスター(つまりヒトクセありそうなやつ)や、ピッピ、カラカラといったように、可愛いタイプのモンスターに人気が集中したようです——。

この頃には、まだピカチュウも二ヤースもいなかったとはいえ、いまのポケモンの人気状況からすると、非常に意外な結果だといえる。
なぜナツシーが一位になったのかは、いまとなってはわからない。ただ、ここに登場するポケモンのなかで、もっとも従来のRPGらしからぬデザインのものがナッシーであることを考えると、ゲー厶フリークがそれだけ『ポケットモンスタ—』というゲー厶に独自性を求めていたのがうかがえるだろう。その後、同様の人気投票は幾度となく繰り返された。
容量が増えたことで、望むだけのポケモンを登場させられるようになったとはいえ、やはりその数には限界がある。ポケモンのデザイン案は、社内のグラフィックデザイナーたちの手によって、三〇〇体以上も考え出されたが、そこからとくに優れたポケモンだけを篩にかけていく。そうして、ふたたび人気投票をおこない、上位に入ってきたポケモンだけを残し、あまり人気のないポケモンはあっさりと切り捨てられる。さらにまた新たなポケモンのデザインを作成し、人気投票をする。これを何度も繰り返し、選りすぐりのポケモンだけが一五一体、選ばれていったのである。

107  第4章  ポケモンの完成に向けて

■三人のキーパーソン

ここで話は少し前後するが、ポケモンのデザインをしていたときのエピソードを紹介したい。ポケモンが恐ろしい怪物ではなく、もっと人間の存在に近しい、ペットのようなものであるということは、すでに述べた。しかし、チーフ・デザイナーである杉森の頭のなかには”怪物“という印象が強く残っており、初期の頃はいかにも猛獣や恐竜を思わせる姿のポケモンが多く描かれていた。サイホーン、ニドラン、ガルーラ、ヤドランといったポケモンたちは、その頃に生み出されたものだ。ところが、たとえ杉森に高度な造形センスが備わっていたとしても、一人の人間の能力には限界がある。そこで田尻は、頃合いを見計らって、新たに数名のキャラクターデザイナーを投入した。それが森本茂樹、藤原基史、西田敦子の三名だった。
まず、ここで特筆すべきなのは、森本の存在である。

森本茂樹は、もともとは田尻の友人が経営していた編集プロダクションで、ライター業をしている人物だった。したがってゲー厶フリークに入社した当初も、出版部に所属してゲー厶攻略本の編集や執筆を、おもな業務としていた。
ところが、入社して一年ほど経ったある日。森本は社長の田尻に相談を持ちかけた。それは、ライタ—からプログラマーに転職したい、という意外な申し出だった。

第1部  ポケットモンスター  108

森本には、仕事としてプログラムをした経験こそないが、かっては熱心なパソコン少年だった時期がある。独学で習得したBASICで、簡単なゲー厶プログラムを組んだこともある。ただ、それを自分の職業にしようとは、一度も考えたことがなかった。
そんな彼がどうして、突然にプログラミングを仕事としてやってみようなどと思ったのだろうか?その理由を直接、本人に訊ねてみても、
「さあ……どうしてですかね。なんとなく、やってみたくなったんですよ」
と、とぼけて笑うばかりである。
本人のロからは言い難いことかもしれないが、普段の彼の性格を知る筆者は、こう推測する。
——森本は考えた。ゲームフリークに来て間もない自分でも、そのとき会社が危うい状況にあることは十分に感じられる。いま、この会社で絶対的に不足しているのはプログラマーだ。ならば、多少なりともプログラミング経験のある自分が力を貸せば、あるいは会社を支える助けになるのではないか、と。
そんなふうに思わずにはいられないほど、森本には強い行動力と熱い義侠心があるのだ。ともかく、その日から彼は正式に開発部所属のプログラマーとなり、増田から様々な技術指導を受けるようになった。ちよつとした課題を出されては、必死でそれを解いていった。森本は瞬く間にゲーム・プログラミングのノウハウを吸収し、一年も経たないうちに、第一線のプログラマーへと成長していった。最終的に彼はポケモン・チームのなかでも、戦闘システムのメインプログラムを組みあげるほどの実力を、身につけることになったのだった。

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さらに、それだけでは終わらないのが森本のおもしろいところだ。彼は『ポケットモンスタ—』の戦闘プログラムを担当しながら、ポケモンのデザインにも力を発揮した。最終的に採用された数こそ少ないが、グラフィックデザインを本業としていない彼だからこそ出てくる一風変わったデザインは、ポケモンに予想外の造形的なひろがりを持たせることになったのだ。

藤原基史もまた、森本と同時期に入社してきた一人で、グラフィックデザイナーとして採用された。それまでの彼は、テレビタレントの似顔絵などを得意としており、鋭敏な観察力の持ち主だった。実在するものを克明に描写したり、あるいはデフォルメを加えて客観的に表現する力は、『マリオとワリオ』や『パルスマン』などの背景グラフィックにおいても、存分に発揮された。
入社当初は会社が不安定な時期でもあったため、藤原はゲー厶のグラフィック以外にも様々な仕事をこなさなければならなかった。NHKの児童番組『ひとりでできるもん』で使用されるCGを森本と共に描いたり、ボウリング場のスコアボードに表示されるCGアニメーションを描いたこともある。ときには、出版部で作つている書籍のためにイラストを描くこともした。そうした小さいながらも数多くの仕事による収益は、不安定な会社の経営を大いに助けることになった。
キャラクターデザインという点に関しては、藤原もまた独特なデザインセンスの持ち主だった。彼が『ポケットモンスタ—』に参加したのは、ちょうどポケモンの造形の方向性が、恐竜的なものから、もう少し動物や昆虫的なものにシフトされはじめた時期であった。そのため、彼が手がけたポケモンには、そういった性質のものが多く含まれている。愛嬌のある姿をしたポケモンの多くは、藤原の力によると

第1部  ポケットモンスター  110

ころが大きい。

先の二人から、一年ほどあとに入社してきたのが、西田敦子である。
西田は、とあるゲームメーカーでグラフィックデザイナーとしての実績を積んだあと、知人の紹介でゲ—厶フリークに入社してきた。彼女がかって勤めていたメーカーは、おもに業務用のゲー厶を中心に制作しているところだったが、どうしても家庭用のゲー厶が作りたかった彼女は、ゲー厶フリークにその希望の光を求めたのである。
西田の造形センスにも、また一言では表現できないおもしろさがある。彼女の代表作があの〈ピカチユウ〉であることから、他の似た傾向のキャラクターも彼女の手によるものだと思われそうだが、意外にもそうではなかったりする。むしろとぼけた顔つきのポケモンにこそ、彼女のセンスが存分に発揮されているのだ。
ところで、『ポケットモンスタ—』を空前のヒットに押しあげた最大の立役者でもあるピカチュウだが、社内の人気投票をおこなっていた時点では、必ずしも上位に入るようなキャラクターではなかった。おそらく、モンスターと呼ぶにはあまりに可愛らしすぎたのがその原因ではないだろうか。しかし、ピカチュウが生まれたことによって、デザインスタッフの間でポケモンに対するイメージが明確になった、という点は見逃せない。
チーフ・デザイナーの杉森は、そのときのことをこう語る。
「とにかく僕としては〈ポケモン゠怪物〉というのが、なかなか頭から消えなかったんです。だから、

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田尻から『怪物的なやつだけじやなく、もつと可愛いのも描いてくれよ』って何度いわれても、どうしても怪物の範疇での可愛いらしさ、という風に考えてしまっていたんですね。だから、ピカチュウを見た瞬間に『あつ、そうかこれでいいんだ』と思ったわけです」はじめは、一人のデザイナーの手によるものだった。けれど、たった一人の力では、ひとつのカラーでしか表現することができない。ところが、そこに複数の力が加わることで、ポケモンたちの生態系に様々なカラー(多様性)が加味されるようになった。社会人類学者レヴィ゠ストロースは、その著書のなかで、多様性のあり方にはふたつの側面があるといっている。
「一方は自然の面にある種〔動植物〕の多様性であり、他方は文化の面にある機能〔職業〕の多様性である」(『野生の思考』ー九九六年みすず書房)ポケモンの多くは、恐竜や昆虫、動物、植物などからヒントを得ている。これらは”種の多様性“をもとにしたものだ。その一方で、ワンリキーやバリヤード、スリーパーなどは”機能の多様性“からヒン卜を得ている。こうした多様性がポケモンのなかにバランスよく混在することができたのは、やはり複数のデザイナーの手が入ったことが、最大の理由だろう。田尻は多様性の重要さに気がつき、キャラクターデザイナーを増員した。デザイナーたちは、その要求に見事に応えた。その瞬間『ポケットモンスタ—』には、ヒット商品に欠くことのできない”多様性から生まれる裾野の広さ“という、重要な要素が盛り込まれることになったのだ。ちなみに『ポケットモンスタ—』のキャラクターデザインには、デザインスタッフだけではなく、田尻を

第1部  ポケットモンスター  112

はじめとする企画スタッフから出されたアイデアも、数多く採り入れられている。このことも、忘れずに記録しておきたい。
ゲー厶が他の娯楽物——小説や漫画などと決定的に異なるのは、一人の天才が知恵を絞ってひねり出すのではなく、こうした大勢のスタッフが集まってアイデアを出し合い、総合力で作品を創りあげていくことだ。そこに、テレビゲー厶という遊び道具の圧倒的なおもしろさの秘密が隠されている。

■種族の呼称と所有者の相性

ポケモンの名前ということに関して、ゲー厶フリークではひとつの仕掛けを試みた。それは、捕まえたポケモンには捕獲者(゠プレイヤー)の名前が自動的に登録され、その捕獲者はポケモンに対して「固有の愛称をつけられる」というシステムだ。
一見すると、それほど重要な仕掛けのように感じられないかもしれない。けれど、このシステムが持っている意味は大きい。
ポケモンの捕獲、交換、という要素が確定した頃からこのアイデアはあつた。ポケモンをペットに近い感覚で考えた場合、誰だって自分のぺットにオリジナルな名前をつけたいと思うのは、当然のことだ。ゴールデンレトリーバーやシベリアンハスキーなどというのは、あくまでもその犬の種族を表す言葉であって、自分の飼い犬をそのまま「レトリーバ——」と呼ぶような者はいない。タロウとかラッキー、あるいは

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ゲンの助などといったように、固有の名前をつけてやるのが当たり前の感覚だ。
これと同様のことが『ポケットモンスター』でも起こり得るのは、容易に想像がつく。たとえば〈ピカチユウ〉というのは、あくまでも種族の名前だ。プレイヤーが冒険の相棒として連れているのはピカチュウであるけれど、自分のピカチュウは自分だけのものであって、他のどのピカチュウとも違う。そのためにこそ、オリジナルの名前をつけられるという要素は、『ポケットモンスター』の世界を完全なものに近づけるために、欠かすことができないのだ。
しかし、いったんはそうした方向性で企画を煮詰めていきながらも、ここでまたもや容量の制約という問題にぶっかり、このアイデアは頓挫してしまうことになる。プレイヤーが独自につけた名前を記憶させておくためのデータが、その他の要素の領域を圧迫してしまうからだ。
制作スタッフはこの件に関してすっぱりとあきらめ、オリジナルの名前がつけられない仕様で作業を進めていくことにした。
ところが、ある程度ゲー厶性が見えてきた段階で、制作スタッフ以外のメンバーも交えた社内モニタ—をおこなったところ、やはり「自分で名前をつけたい!」という意見が多く集まってしまった。これらの意見を聞いた田尻は、しばらく悩み抜いた末、ついに仕様の変更に踏み切った。「たとえポケモンの数が減ることになっても、やっぱり名前はつけられた方がいい!」そう判断したのである。
一度は、丨〇〇体を越えるポケモンを仲間にできるようになっていたが、名前をつけられるようにしたことで、その数は大幅に減らさなければならなくなった。あれほど試行錯誤して、ポケモンの数を

第1部  ポケットモンスター  114

増やしてきたのだから、この大幅な減少は、かなりの痛手だったに違いない。
けれど、田尻はふたつの問題が同時に発生した場合、どちらが優先されるべき事項かを、常に正確に見極めようとする。ここでも、同じことが頭脳のなかでおこなわれ、思い切って、名前をつけられる方を選択したのだ。
田尻はそのときの決断——仲間にできるポケモンの数を減らしたこと——を、いまも後悔はしていない。なぜなら、そのときはそれが最善の策だと信じたからだ。
ポケモンの数は大幅に減ることになった。しかし、それと引き替えに名前をつけることができるようになって、このゲー厶が得たものは大きい。それは、コミュニケーション・ツールとしての『ポケットモンス夕ー』の意味が、さらに強化されることになったからだ。
種族の呼称しかないポケモンを相手と交換するのは、コミュニケーションというよりも、商品の”売り買い“に近い感覚のものだ。しかし「名づけ親の名前」が記録され、さらに「オリジナルの呼び名」を持ったポケモンを交換するということになると、それは明らかに”贈りもの“の感覚を持ち合わせたコミユニケーションとなる。
田尻自身も、インタビューの場で「ゲー厶のなかのポケモンは単なる数字の集合体でしかないんですけど、それが生き物であるかのように、自分のゲー厶ボーイから人のゲー厶ボーイに”移住“していくという感覚をすごく大事にしたかった」と語っている。
ここで彼のいう”移住“とは”贈りもの“よりもさらにポケモンという命に対して、優しさに満ちた表現であることがわかる。これは創造主ならではの感情の表現だろう。

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さて、これら”ポケモンの贈与“という現象について、宗教学者の中沢新一氏は『ポケットモンスター』を論じた著書のなかで非常に興味深い分析をしている。『ポケットモンスター』への理解を深めるために重要な部分なので、少し長くなるが引用しよう。

「贈与という行為には、商品の売買やたんなる物々交換では発生しない特殊な感覚がつきまとう。商品には、売る人の人格がこめられるということはない。というよりも、もとの所有者の人格がいっさいぬぐい去られて、「無縁」となった品物だけが、商品となることができるのである。ところが、贈与の場合には、品物から贈り主の人格がきれいさっぱりぬぐい去られてしまうことはない。贈与される品物には、贈り主の人格の一部がかならず付着している。品物と人格とが一体となって、じつは贈与品とい一つものはできあがっているのである。
「ポケモン」の交換がおこなわれたとき、じつはこの人格の付着という、興味深い現象がおこっている。野原や森や洞窟で自分が捕まえて育てた「ポケモン」には、「親」である自分の名前とIDがつくようになっている。こうして名前のついた「ポケモン」は、通信交換によって誰かほかの人のシリコンチップの中に収められたとしても、いつでも名づけの「親」の名前が表示されるようになっている。こうして「ポケモン」はどこへ手渡されていこうとも、最後まで自分の「ポケモン」だとわかる仕組みになっている。
こうして、交換された「ポケモン」には、それを最初に育てたプレイヤーの人格の一部が付着することになるのだ。そのあとでまた、同じ「ポケモン」が交換に出されたとしても、その交換の環

第1部  ポケットモンスター  116

の中には、「ポケモン」といっしよにそれを野生状態から捕獲して育てあげた「親」の人格の一部が、ぐるぐると回り続けることになる」(『ポケットの中の野生』一九九七年岩波書店)

『ポケットモンスター』が、空前のヒットを記録したその理由。それは様々な要素によって語られる。日く、キャラクター造形のセンスが優れている。コレクションの楽しみがある。戦闘がおもしろい。交換ができる……。どれも、正しく言い当てている反面、的外れな感もぬぐえない。『ポケットモンスター』がヒットした最大の理由は、なによりも、それがコミュニケーション・ツールとして正しく機能していたからだ。最近、流行りの風潮のように、ゲー厶というものを”メディア“としてとらえてしまうと、このことは見えなくなる。
メディアというのは、原則的にクリエイターがユーザーへ向けて情報を提供する一方通行のものだ。しかし、ゲー厶を”遊びのための道具“としてとらえれば、その意味は変わってくる。つまり、クリエイター側はあくまでも遊びの道具(そこには遊びの環境も含まれている)を作るだけで、あとはユーザーたちの前に放り出せばいい。そのなかから、ユーザーたちは自分なりの遊び方をみつけ出していくことができるからだ。
冒険の舞台(フィールド)がある。世界に息づく生物(ポケモン)がいる。遊びの約束事(捕獲と成長)がある。能力を競う場所(戦闘)がある。
ここまでならば、ひよつとすれば誰にでも考えつくことのできる範囲の作業だ。『ポケットモンスタ—』では、そこから先へ飛躍するための仕掛けが綿密に施されていた。それこそが、交換(コミュニケーショ

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ンへの入り口)であり、名前をつける(コミュニケーションの強化)という要素だったのだ。このように、名前をつけられるシステムを採用したことで、一度はポケモンの数が大幅に減らされることになった。しかし、結果として、ポケモンの数は一五一体も確保できるようになっている。なぜそれが可能になったのかは、先にも述べたように、容量の増加が許されたからだ。ゲー厶に秘められた遊びの構造として、正しい道を進んできたプロジェクトのために、メー力ー側は適切な対応をしてくれた。こうした幸運は、ゲー厶フリークはもちろんのこと、『ポケットモンスター』という作品にとっても最高の贈り物となったのは、いうまでもない。

■コレクター心理の研究

ゲー厶フリークがポケモンの交換と収集を中心にしたゲー厶作りをしていく上で欠かすことのできなかった、ある一つの作業について触れておきたい。
それは「コレクター心理の洗い出し」という作業だった。
いろんなポケモンを用意しましたよ、さあ皆さん集めてみてください、と放り出すだけでは、誰も集めようとは思ってくれないのではないか?そんな危惧があったからこそ、ゲー厶フリークでは周到に、コレクション欲を喚起させる仕掛けを考えたのである。制作スタッフは連日会議をおこない、コレクショ

第1部  ポケットモンスター  118

ンへの欲求が発生するときの心理と、その結果を検証していった。
では、ここで『ポケットモンスター』制作当時、幾度にもわたる会議の結果に導き出された「コレクター心を誘う要素」を列記して、それがゲー厶のなかにどう反映されていったのかを、解説してみよう。

ー、バリエ—ション
集めるという行為の前提にあるのは、数が多いことだ。対象物の数が少なすぎては、集める欲求は発生しにくい。ある程度以上の数が存在しなければ、集める甲斐がないからだ。もちろん、たとえ数多くあったとしても、それが同じようなものばかりでは、やはり集める気はおこらない。そのために必要なのが、それぞれの姿が違うといったような、バリエーションのおもしろさなのだ。構造主義生物学者の池田清彦氏によれば、物を集めるということの根底にあるのは”多様性への欲情“だという。あるカテゴリーのなかに、様々なバリエーションがあるからこそ、ヒトはそれを集めてみたくなる。ポケモンというカテゴリーにも、可愛らしいやっから、不気味なやつ、あるいは恐ろしいやつなど、たくさんのバリエーション(多様性)が存在する。そして、プレイヤーはそれらすべての姿を見てみたい、と思うのである。
このバリエーションという要素は、いうまでもなく一五一体のポケモンのデザインに反映されている。

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二、ナンバリング
集めるからには、コレクターは自分のコレクションを完全なものにしたいと願う。すべてを集めるのが、最大の目標となる。ふたたび池田氏の言葉を借りると、それは”完璧性への欲情“ということになる。そして、全種類を制覇し、完璧性を達成するために必要なのが、通し番号による全体像の把握である。コレクターは、集めるべき対象の総数から、自分のコレクションがどの程度まで進んでいるのかを知る。そのうえで、欠けている番号の部分を猛烈に欲しいと願うのだ。ポケモンの場合では「全部で一五一体いる」という全体情報と、それぞれのポケモンに「番号がナンバリングされている」という個体情報とが、それに相当する。集めたポケモンの番号リストが歯抜けになっている状況は、コレクターには耐え難いものがある。それはそのまま、収集欲への情熱につながってくるのだ。

三、ペア
コレクションの対象として、多数のバリエーションがあったとしても、それがすべて並列の関係にあるとは限らない。なかには、特定の決まりによってペアとなるべきものがある場合も多い。これを、ポケモンでは”オスとメス“という概念を採り入れることで表現している。ニドランのオスはトゲや牙が鋭く、強そうな姿をしており、同じニドランでもメスはトゲが小さく、優しげな姿をしている。どちらか好きな方だけを可愛がってもいいが、やはりオスとメスがいるとなれば、両方を揃えてみたくなるのがコレクター心理というものだろう。

第1部  ポケットモンスター  120

四、セット
ペアの発展系としてあるのが、このセットというグループだ。たとえば、すべてを集めること(完璧性)は放棄したとしても、たまたま手に入れてしまったものが、なにかのセットのひとつだったのなら、せめてそのセットだけでも揃えたいと思うのではないだろうか。むしろそれ以前に、セットという概念自体が、揃えることを前提として考えられているものだ。
こうした考え方は、神話の世界でもたびたび用いられており、そのもっとも有名なものが”三種の神器“だろう。ポケモンのなかでその三種の神器に相当するのが、ファイヤー、サンダー、フリーザーという、伝説の鳥ポケモンである。
それらは簡単には発見できない。たとえ発見できたとしても、捕獲がむずかしい。ましてや、三種を揃えることは至難の技となる。だからこそ、熱心なプレイヤーほど三種すべての獲得に熱中する、というわけだ。

五、バージョン違い
次に、コレクションのおもしろみとして忘れてはならないのが、バージョンの違いである。現在、流行しているフィギュア・コレクションの世界でも、バージョン違いという要素がその人気を支えていることは有名だ。
こうした要素を、ポケモンでは”進化“という概念で表現している。数あるポケモンのなかでも、いくつかの種族だけは、レベルがあがったり進化の石を与えたりというように、特定の条件を満た

121  第4章  ポケモンの完成に向けて

すことで進化する。進化したポケモンは、以前のポケモンと似ているようでいて、微妙に姿を変えている。これもまた、コレクションという観点から見ればたまらなく興味を引かせる要素だ。ちなみに、企画を練りはじめた当初は、これを”進化“とは呼んでいなかった。ポケモンが姿を変えていくというアイデアは、もともと”出世魚“からヒントを得て発想されていたので、”出世“と呼ばれていたのだ。ワカシがイナダになり、ワラサになり、やがてブリになっていくように、ミニリュウがハクリューになり、そしてカイリユーへと出世("進化)していくのだった。

六、限定品
これもまた、現在の限定グッズ・ブー厶などと照らし合わせて見れば、非常にわかりやすい。どこででも簡単に手に入るようなものではなく、数が限られていたり、滅多に出会えないものだからこそ、コレクターとしては余計に欲しくなる。
通常のポケモンは、生息(出現)地域が決まっているとはいえ、その場所に行けば、かなりの確率で出会うことができる。けれど、特定のポケモンだけは出現率が極端に低かったりするなどして、簡単には捕まえることができないのである。
さらに〈赤バージョン〉にしか出現しないもの、〈緑バージョン〉にしか出現しないもの、などといつた限定のさせ方も、収集欲に拍車をかけさせている。また、ポリゴンなどのように、タマムシ・シテイにあるゲー厶機の景品でしか手に入らないようなものも、限定品の一種といってよいだろう。

第1部  ポケットモンスター  122

七、希少価値
広い目で見れば、ここまでに紹介してきたような要素を備えたポケモンは、どれも希少価値があると考えることもできる。けれど、『ポケットモンスター』のなかで最大の希少性を持っているのが、幻のポケモン〈ミュウ〉だろう。
このモンスターは”まぼろし“と呼ばれるだけあって、ゲー厶中には登場しない。つまり、どこをどう探しても、捕獲することはおろか、遭遇することすらできない。したがって、このミュウだけはポケモン一五〇体のなかには含まれておらず、幻の一五一体目として、噂のみが囁かれているのだ。
とはいえ、最終的に誰もミュウを見ることができず、結局、噂だけで終わってしまつたのでは意味がない。そこで『ポケットモンスター』の制作スタッフたちは、大胆な遊びを仕掛けることにした。それが”ミュウのプレゼント“という、過去のゲー厶界では類を見ないアイデアだったのである(その方法については、次の項を参照のこと)。

■交換を喚起させる要素

『ポケットモンスター』にとって重要な要素というのは、ポケモンを”収集する“ことだけではない。それ以上に重要なのが”交換する“ことだ。

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考えてみれば、もともとこのゲー厶の企画自体が交換を前提に発想されたものであり、交換のシステ厶を核として制作作業が進められてきた。ならば、ただ単に交換のシステムを用意してやるだけでは、遊びとして完璧だとはいえない。このゲー厶で遊んでくれるプレイヤーたちが、積極的に交換をしたくなるようなアイデアが盛り込まれていなければ意味がないのだ。
そこで、ゲー厶フリークでは「コレクター心を誘う要素」の検証と並行して、「ポケモンを交換したくなる要素」も検証していった。
では、ここではその「ポケモンを交換したくなる要素」を列挙することで、それがゲー厶においてどのように反映されていったのかを解説していこう。

ー、三者択一
ゲー厶を開始すると、主人公の少年は、とある場所で最初のポケモンをもらうことになる。そのとき目の前に用意されるのは、ヒトカゲ、フシギダネ、ゼニガメという三体であるが、プレイヤーはこのうちのどれかー体しか、選ぶことができない。
これらの三体は冒頭の場面でしか登場しないため、プレイヤーが選ばなかった残り二体のポケモンは、以後どんなに探しても出会うことはできないのだ。どうしても手に入れたければ、それを持っている友達と通信ケーブルで交換しなければならない。やや強制的に交換への欲求を仕掛けている印象はあるが、ゲー厶の導入部としては、なかなかに見事なものである。

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二、交換でしか手に入らない
冒頭の三体にも関連することであるが、交換でしか手に入らないポケモンというのも、考案された。これは『ポケットモンスター』が〈赤〉と〈緑〉という、二種類のバージョンで発売されたことと大きく関係する。それぞれのバージョンでポケモンの出現率を変えたり、ものによってはどちらか一方にしか出現しないポケモンを設定することで、積極的な交換を喚起させるためである。たとえば、エレブーは〈赤〉にしか出現しないが、ブーバーは〈緑〉にしか出現しない、という具合だ。また、この「交換でしか手に入らない」ポケモンの究極に位置するのが、ミュウである。ミュウは〈赤〉にも〈緑〉にも、のちに発売された〈青〉にも、出現することはない。手に入れる方法はただひとつ。雑誌などに告知されるプレゼントに応募し、抽選に当選した者だけが手に入れられるのである。当選者は自分のゲー厶カセットを郵送する。すると、ミュウを管理している事務局の方で、そのカセットのなかにミュウを送り込み、当選者のもとへ返送してくれるというわけだ。

三、交換しなければ進化しない
ポケモンのなかには、戦闘を積み、レベルアップをさせていき、一定のレベルに達すると突然、進化を果たすものがいる。ところが、ここにもやはり交換の必然性が盛り込まれている。ただ単にレベルアップさせるだけではなく、交換をしなければ進化しないポケモンが存在するのだ。もとは同じポケモンであっても、進化すればそれは別のポケモンとして、図鑑に記録される。図鑑のリストを完璧なものにするためには、やはり交換が必須、というわけである。

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四、交換を持ちかけてくるキャラクター
いくら制作者側が広告や雑誌で”交換の楽しさ“を訴えかけても、それを見ずにいきなりゲー厶を体験したのでは、交換することの意味が理解されないのではないか?そう考えたスタッフたちは、ゲー厶世界のなかに交換を持ちかけてくるキャラクターを配置することも思いついた。ゲー厶の世界には、主人公と目的を同じくするポケモン・トレーナーたちが生活しており、それらのトレーナーのなかには、主人公に「ポケモンを交換しよう」と持ちかけてくる者もいる。そこでプレイヤーが交換に同意すると、主人公とトレーナーによるポケモンの交換がおこなわれる。つまり、現実世界でポケモンを交換してくれる相手がいなくても、「交換によって珍しいポケモンを手に入れる」という喜びをゲー厶のなかで疑似体験することができるのだ。

五、里親システム
交換が、単にポケモンを人にあげてしまうだけなのではなく、”貸し出す“という意味を含んでいることを表現するために、ポケモンの成長の法則には、ある例外的な処理が仕掛けられている。それは、交換によつて他人から譲り受けたポケモンは、戦闘時にもらえる経験値が通常時のー・五倍倍になる、という仕組みだ。
これはプレイヤーの立場から考えてみると”里子に出す“という感情につながる。自分(里親)の持っているポケモンのうち、成長の遅いもの(不出来な子)を、友達のゲー厶ボーイに預けてやる(里

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子に出す。すると、よその釜の飯を食べたポケモンは、たくましさ(一・五倍の経験値)を身につけ、ふたたび交換で返してもらう頃には、立派な姿(レベルの上昇)になっている、というわけである。
もちろん預かる方にしてみれば、なんの見返りもないのに他人のポケモンを育ててはくれない。しかし、預かった側には、そのポケモンが”図鑑に記録される“というメリットがあるのだった。

■対戦システムの苦労

『ポケットモンスター』の制作中、ゲー厶フリークでは「ポケモンの交換が完璧にできればこのゲー厶はほとんど完成したようなものだ」と考えていた。しかし、いざそれができあがってみると、スタッフたちは、なにかしら物足りない感じがすることに気がついた。
原則として”交換“というシステムは、ポケモンを集めるために機能している。ゲー厶をプレイしている間は、すべてのポケモンを揃えるために、プレイヤー同士はケーブルを通じて頻繁に交換してくれるだろう。けれど、すべてを揃えてしまったら、そのあとはどうなるのか。そこで遊びが終わってしまっていいものなのか?
従来のRPGを振り返ってみれば、ゲー厶中の目的を達成したプレイヤーが選ぶ行動はふたっある。そのひとつは当たり前の話だが、そこで「ゲー厶を終わらせる」ということ。エンディングまで見たゲー厶

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を、いつまでもいじっていても得るものはない。
そしてもうひとつは、ゲー厶の目的は達成したけれど、そのあともひたすら「キャラクターのレベルをあげる」とい一っことだ。ほとんどのRPGでは、最終ボスを倒してエンディングを迎えても、キャラクターのレベルをあげてやることができる。レベル99、あるいは999などといつたように限界まで成長させていき、その強さを楽しむ、というプレイヤーは意外に多いものだ。
『ポケットモンスター』でも、同じような楽しみ方をすることはできる。ポケモンたちのレベルを思いきりあげてやれば、野生のポケモンとの戦いに一瞬で決着をつけられる。はじめのプレイではかなり苦労させられた四天王との戦いも、案外らくに勝てるようになる。
——けれど、それだけで本当にみんな楽しいと思ってくれるのだろうか?
どれだけ珍しいポケモンを集めても、どれだけ強く育てても、プレイヤーは自己満足するか、友達にそれを見せて自慢するしかない。
そうではなく、なにかもっとこう、強さを実感できる場面はないものか?自分が鍛えあげたポケモンの精鋭たちを、より具体的な遊びのなかで披露できる場所が必要なのではないか?そう考えた末に出てきたのが、”対戦“というアイデアだった。

『ポケットモンスター』の遊び要素のひとつとして、対戦モードの可能性は、かなり早い時期から田尻の構想のなかにあった。ただ、それを実現させようとすれば、代わりに失われるものもある。対戦は、あくまでもオマケとしての要素なのだから、いまは保留にしておいた方がいいだろう。まずは、

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なによりも交換の部分を練りあげること。そのうえでゲー厶全体をまとめること。とにかくゲー厶を完成させ、そのあとに時間と余力が残っていれば、そこではじめて対戦について考えてもいい——。それぐらいの比重で作業に当たっていた。
ところが、ゲー厶完成のための最終締め切りが、二週間後に迫ったある日。田尻は突如として、通信対戦モードの採用を決定した。この決断の背景には、田尻自身が対戦の必要性を感じたからであるのはもちろんだが、それだけではなく、周囲からの熱烈なリクエストがあったことも影響している。ゲー厶の全貌が見えるようになってきたあたりから、ゲー厶フリーク社内だけではなく、クリーチャーズや任天堂の社内でも、連日テストプレイが繰り返されていたが、そうした作業に携わっているスタッフの口々から「対戦できたらもっと楽しいのに」という意見が続出したのである。この急激な提案に仰天したのは、対戦部分を担当することになったプログラマーの森本である。なにしろ締め切りまで、あとわずかの時間しかないのだ。
「最初に組み立てた戦闘のシステムとかプログラムは、あくまでもゲー厶のなかでの戦闘のためであって、通信用に作ったものではなかったんです。だから、それをそのまま通信対戦に応用しても、本当におもしろくなるのか疑問でした。だいいち、そんな通信対戦のための新しいプログラムを組むのは大変だよなあ、って思ってたんですね。いまだからいえることですけど、当時はこのまま他の作業に集中して、最終的に、対戦は間に合わなかったね、ってことになるんじやないかと期待してたわけです(笑)」
しかし、決断されてしまった。よりによって締め切りまでたったの+四日間という土壇場の時期に。

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「うちの社内だけじやなく、任天堂さんからも、クリーチャーズさんからも『通信対戦やろうよ』って聞かされると、みんながそう考えるならやっぱり入れるべきだな、と思うようになりまして、慌てて作業に取りかかったんです」
まず最初に森本が作ったのは、プレイヤーが見ているだけのバージョンだった。お互いがゲー厶ボーイをケーブルで接続し、対戦させるポケモンを決める。戦闘開始のボタンを押すと、あとはコンピュータが判断し、それぞれが交互に攻撃を繰り出し、どちらかの体力がゼロになるまで戦う。この間、プレイヤーは手をこまねいて見ているしかない。
「このバージョンを任天堂さんに提出したら、返ってきたアンケートに『つまらない』ってはっきり書かれてしまいました。まあ、自分でもそれはそうだよなあ、と思いましたけどね(笑)。もともとが通信対戦を前提にしていなかったので、ポケモンの強さなんかも通信対戦向きのバランス調整をしてませんでしたしね。結局、そこからまたかなり手を加えていって、締め切りギリギリで現在のような形に仕上げていったんです」
およそゲー厶フリークの制作スタイルらしからぬ、突貫工事のような作業で作られた通信対戦モードだったが、それによる効果は大きかった。なぜなら、ゲー厶が画面のなかで完結したものではなく、ケーブルでの交換とともに、友達との対戦という遊び方が、ゲー厶を外の世界に開かせることになったからだ。
また、通信対戦は〈ポケモン・リーグ〉という呼び名で、最大のデモンストレーション効果をも発揮してくれた。テレビ番組や各地のイベント会場で開催されるポケモン・リーグには、日本全国からポケモ

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ン自慢が集まり、その熱い戦いぶりが、まだ『ポケットモンスタ—』を持っていない子供たちに、強烈な購買意欲を誘ってくれたのだから。

■ゲームに命を吹き込む

発売予定日の約半年ほど前。骨組みができ、各部分を構成する要素ができ、『ポケットモンスター』が次第に形になりつつあった頃。
これまでは全体がリンクされていなかったので、最初から通して順番に遊べる状態ではなかった。しかし、各部分が仕上がり、それぞれのパー卜がシナリオの流れに沿って組みあげられていくことで、だんだんとゲー厶の全体像が見通せるようになってきた。
この時期になって急速に忙しくなりはじめたのが、プロデューサーの石原だ。いままでは、制作現場であるゲームフリークとは、付かず離れずの距離を保って見守っていただけだが、ゲー厶が完成に近づいてくると、プロデューサーのやるべきことは多くなる。なかでもとくに重要な仕事が、作っているゲー厶の方向性を正確に見定め、現場のクリエイターたちに指示を与えることだ。
ゲー厶デザイナーは、アイデアを考える。ルールを考える。キャラクターを考える。シナリオを考える。それぞれの枠組みにしたがって、膨大な数のアイデアを出していく。それを取捨選択し、良いものを残し、悪いものを削り落とす。途中でつじつまが合わなくなれば、どこかのアイデアを軌道修正したり、追

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加のアイデアを出したりするなどして、全体の方向性を突き詰めていく。
ゲー厶デザイナーは、自らの手でアイデアを出し、自らの手で作り込んできているのだから、そのゲー厶がどこを目指しているのかは理解しているはずだ。ところが、現場で制作作業の煩雑さに振りまわされているうちに、その目標を見失うことも少なくない。それは、どんなに天才だといわれるゲー厶デザイナーでも、十分に起こり得ることだ。
なぜなら、優れたアイデアを考え出す能力と、冷静に全体を見渡す能力とは、必ずしも一致しないからだ。だからこそ現場から-歩外に出た形で、冷静なプロデューサーの目が必要になるのである。田尻は熱血型のゲー厶デザイナーであるが、それでも冷静にゲー厶を見つめる目を持っている希有なタイプではあった。そんな田尻でも、やはり完成間際の修羅場になって、方向性を見失うことは幾度もあった。『ポケットモンスタ—』が提案する新しい遊びのシステムに関しては、絶対の自信があったにもかかわらず、どこかしら不安な気持ちが残っているのも、正直なところだった。それを冷静な判断力で助言するのが、石原の役目なのである。
ゲー厶がある程度の形になってきたとき、田尻はそれをチェックしてもらうため、石原のもとヘサンプルROMを届けた。数日して、一通りのテストプレイを済ませた石原から、田尻に電話がかかってきた。電話口の向こうで石原は、はっきりとした口調で告げた。
「きみがなにをいいたいのか、全然わからない——」
『ポケットモンスタ—』は優れた遊び道具でもあるが、そこにシナリオが組み込まれ、物語性を秘めている以上は、なんらかのテーマがあり、作り手からのメッセージが込められているべきだ。当然、このゲ

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ー厶を作った田尻にも『ポケットモンスター』を通じて訴えたい言葉があるはずだ。にもかかわらず石原は、このゲー厶からなんのメッセージも感じられない、というのだ。田尻は激しくショックを受けた。少なからず自信のある作品だっただけに、石原のこの言葉は、田尻を打ちのめした。電話を切ったあと、彼は思わず涙を流したという。
「あのとき、僕はなぜ泣いたんでしょうね。悔しかったからなのか、悲しかったからなのか、それはわかりません。でも、あそこで泣けなかったら、ポケモンが完成することはなかったと思います」もしも、あそこで石原に対して強く反論していたら。なぜそうなったのか言い訳をしていたら……。もしかすると『ポケットモンスター』は中断させられていたかもしれない。あるいは、そのまま中途半端な状態で発売されていたかもしれない。けれど、田尻は言い訳することをせず、その代わりに涙を流した。それは、自分の間違いを認めたということだった。
なにか、自分でもやり残したことがあるような気がしていた。手が行き届いていない部分があるような気がしていた。力を発揮しきれていない気がしていた。けれど、時間も、体力も、能力すらも、限界にきていた。いや、「限界まで出し尽くした」と思いたかったのだ。いくら自分が極限まで力を使い果たしたと思っていても、第三者から見てなにも感じられなければ、それはゼロと一緒だ。このままでは、自分は六年間も無駄に過ごしてきたことになってしまう。そんなことになるのだけはご免だ。
それに、これは自分だけの問題じゃない。この六年間、一緒に頑張ってきてくれた仲間に対しても、

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会わせる顔がない。
プログラマーが消え、会社が潰れそうになったとき、増田が立ちあがってくれた。遅れたスケジュールを太田が、森本が、渡辺が、連日の徹夜で取り戻してくれた。杉森が、藤原が、西田がポケモンたちに命を吹き込んでくれた。企画やプログラマーにも目の届かない煩雑な作業を、西野が一人で引き受けてくれた。
ならば、ここから先は自分がやらなければ!
自分がシナリオに魂を込めなければ!
その瞬間から田尻は、猛烈な勢いでシナリオの書き直しに没頭するようになった。それは、本当に辛く孤独な作業だった。
自分がこのゲー厶を通じて伝えたいことはなんだろう?なんのために、自分はこのゲー厶を作つていたのだろう?それは、いままで生きてきた自分自身を振り返る作業でもある。自分の経験や思想を作品に込め、ゲー厶に命を吹き込んでいく。それらが時間の経過とともに少しずつ形を変えて、遊んでくれた人たちに吸収されていく。ただ遊びとして完結しているのではなく、遊ぶことでプレイヤー自身も成長していけるようなゲー厶。田尻は『ポケットモンスター』をそんなゲー厶にしたかったという。「ポケモンをプレイしていて、知的快感を得られなくなる瞬間があってはならないと感じました。それは、本当に些細なことで起こります。ゲー厶中に出てくるキャラクターの話し言葉ひとつで、知的な興奮を覚えることもあれば、一気に興ざめしてしまうこともあるからです。だから、ポケモンに関わっているすべてのスタッフがいう不平や不満を全部受け入れて、問題が解決するまでは絶

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対に逃げ出さないで、シナリオを書き直し続けようと思いました」
『ポケットモンスター』は交換の上に成り立っている。それは、このゲー厶がコミュニケーション・ツールであることの証でもある。そのため、『ポケットモンスタ—』はコンピュータゲー厶でありながら、ゲー厶プレイ中にしばしば”人間“の存在を感じさせられることが多い。もちろん、ゲー厶の外にいる人間同士がおこなう交換も、そのひとつだ。
また、先に述べたように、ゲー厶に登場する”トレーナー“という擬似的な人間の存在も大きい。彼ら(あるいは彼女ら)は、どれも個性的だ。採用されたアイデアはもちろんのこと、システムの都合上で実現できなかったアイデアも数多い。ポケモンを高値で売りつけようとする者や、自分のコレクションを見せびらかすだけの者など、様々なトレーナーのアイデアを出したうえで取捨選択し、あるものは採用され、あるものは消えていった。
田尻はゲー厶を構想している段階で、もっと「ポケモンを使う人間を描写したい」と考えたという。「モンスターっていうのは、この世に存在しないからこそ、どんなものでも作ることができます。けれど、だからこそ単なるックリモノで終わってしまう危険性もある。どんなにモンスタ—を魅力的に描いても、それだけだけではだめなんです。だから『ポケットモンスター』では、ポケモンと人間との関係を明確に表現しようと思いました。そのためには、ポケモンに魅力を与えるのと同時に、それらのポケモンと共存している“人間”のことも生き生きと描いていかなければ、お互いの関係性は見えてこないし、そこに世界は生まれないんです」ポケモンと人間とが、ときには敵対し、ときには助け合う。田尻はそこに、このゲー厶のテーマをみつ

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け出した。
ゲー厶のなかには、自分が昆虫採集に熱中していた少年時代から、中学、高校、そして社会人となって世に出るまでに出会ってきた、あらゆる人間のエッセンスを詰め込んだ。
喧嘩つ早いやつ。馴れ馴れしいやつ。無口なやつ。自慢ばかりしているやつ。ライバル心をむき出しにしてくるやつ……。
場合によっては、自分自身の姿すらも投影させた。ポケモン集めが好きな子供、化石採取が好きな少年、ポケモンの生態を研究している博士、これらはみんな、田尻自身の姿でもある。制作スケジュールの終盤になると、ピーク時には関係スタッフからチェックの入ったアンケー卜が、一日に丨〇〇件もの量となって寄せられてくる。
それらのうちのいくつかは、
「これこれこういう理由だから、これでいいのだ……」
と、そんな風に適当な理屈をつけて、送り返してしまうこともできるはずだった。けれど、それをしてしまったら同じことの繰り返しになる。
田尻はすべてを満足させるために、果てしなくシナリオを直し続けた。三晚徹夜をして倒れるように眠る。起きたらまたシナリオの続きを書く。そんな生活は半年近くも続いた。書いても書いても終わらず、すでに決まっていた発売日を三カ月も延長してもらった。最後の最後に、任天堂へマスターROMを提出する直前まで、シナリオを直し続けた。
「いま思い出しても、あのときの自分は尋常じやなかったです。能力も体力も限界を超えていました。

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生活のすべてがポケモンでした。けれど、もしも、それをしていなかったら、このゲー厶に魂は入らなかったでしょう——」

■そして、完成

一九九六年、二月二十七日。
ゲー厶フリークのスタッフにとって、一生忘れられない日付——。
ついに『ポケットモンスター』は完成した。ゲー厶業界では常識はずれの開発期間と、任天堂社内でも記録破りのデバッグ期間を経て、ようやく陽の目を見ることができた。
田尻は、六年という時間について、次のように語る。
「六年も同じプロジェクトをやっていると、締め切りというものへの感覚がなくなっていきます。だから、怠ければいくらでも怠けられるし、遅らそうと思えば、ずるずるといつまでも遅らせることができる。締め切りなんて、あって無いようなものになっていくわけです。じやあ、だらだらと作業を続けていって、完成した日が締め切りでいいのかというと、そうではなくて、じつは毎日が締め切りのようなものだったんです」
はじめの予定では『ポケットモンスター』は半年から一年程度で、軽く仕上げてしまうつもりのプロジ

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ェクトだった。ということは、それ以後に必要とした五年間は、毎日が締め切りだったことになる。ー八二五日間の締め切りを乗り越え、『ポケットモンスター』は無事、店頭に並んだ。発売日には、スタッフ全員でヨドバシカメラまでソフトを購入しに行った。これは、ゲー厶を完成させるたびに毎回欠かさずおこなっている、ゲー厶フリークの恒例行事だった。自分たちの作ったゲー厶が人々に買われていく様子をその目で確認することで、喜びが現実のものとして実感できるのだ。

『ポケットモンスター』の発売初日の出荷数は、〈赤〉と〈緑〉とを合わせて、およそ十三万本だった。最初にこの数字を聞いたとき、田尻は少しだけ悲しくなつたという。
まさか三〇〇万本とはいわないにせよ、もう少し売れるのだろうと思っていた。ゲー厶を作りながら、それが素晴らしい製品になるであろう手応えを感じていたからこそ、いざ発売されたときの出荷数が二〇万本にも満たないというのは、正直いってショックだったのだ。
ところが、そんな彼の気持ちに報いるかのように、時間が経つにつれ『ポケットモンスター』は販売本数を伸ばしはじめた。
はじめは子供たちの間で話題になり、クチコミで全国にひろがっていった。最初の企画書に書かれていたように、電車のなかで、公園で、あるいは教室で、ポケモンの交換をする子供たちの姿が見られるようになった。
やがて、どうせ子供向けのゲー厶だろう、と見向きもしなかつた大人たちまでが手を出しはじめた。「ゲー厶ソフトは発売から一週間が勝負」といわれるこの時代に、『ポケットモンスター』はじわじわと売

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れ続けていつた。ーカ月経っても、半年経っても、売れ行きは止まらなかった。
結果として、発売開始から一年後の一九九七年三月には、途中で追加された〈青〉も含めた三種のバージョンの総出荷数は、三〇〇万本を突破してしまった。
そして、ー九九八年の九月には『ポケットモンスター』の海外版が発売され、同じ時期、日本国内では〈赤、緑、青〉に続いて『ピカチュウバージョン』——すなわち〈黄色〉も発売された。
任天堂の公式資料によると、一九九八年九月末の時点でゲームボーイソフト『ポケットモンスター』の全世界での総出荷本数は、じつに一〇〇〇万本を突破したことになる。この数字はさらに伸び続けており、現時点での最新データ(一九九九年十一月末集計)では、その数なんと二三四六万本という、およそ信じられない数字が記録されている。
正確にはこの数字は、ゲー厶が持っているパワーだけで達成されたものではない。その背景には、児童雑誌での漫画連載、テレビでのアニメ化、ポケモン・カードゲー厶の人気など、プロデューサー石原が仕掛けた様々な戦略が相乗効果となって、ゲームソフトの販売本数を後押ししたという事実がある。しかしながら、肝心のゲー厶ソフトに本来のカ——揺るぎなきおもしろさ——が備わっていなければ、とうてい達成不可能な数字でもあったのだ。

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