Game Freak/Part 1/Chapter 2: Aiding Pokémon Production

From Poké Sources
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2 ポケモン制作への助走

そして終わりの見えない
ポケットモンスターの
プロジェクトがはじまった

■ケーブルからのひらめき

長さ1メートル弱の黒いコード。

画像表現力でもなければ、処理速度でもない。この、単なるゲー厶ボーイとゲー厶ボーイをつなぐ通信ケーブルを見て、田尻は新しいゲー厶のアイデアを発想した。このことは、彼にとって「アイデアというものがゲー厶機の性能差によって左右されるのではない」ことを裏付けている。ゲー厶機の性能差とは、すなわち”表現力の差“でしかない。しかし、ゲー厶ボーイの通信ケーブルは、性能とは別の次元のものだ。性能ではなく、機能。
ゲー厶ボーイの「ケーブルによる通信」という機能は”遊び環境の変化“を実現させてくれる。そこに着眼した瞬間、田尻の頭のなかに『ポケットモンスタ—』の構想が生まれた。とはいえ、捕獲したモンスターを交換する、というアイデアの核がみっかったからといって、それですぐ

第1部  ポケットモンスター  42

にゲー厶が作れるわけではない。この”交換“という要素をもっとも効果的に活かすための、ゲー厶システムを考案しなければならないのだから。
テレビゲー厶というものは、本来、一人でも十分におもしろく遊べるべきものだ。もちろん、他のゲー厶機と接続することで新しいおもしろさが生まれるのなら、それもいいだろう。しかし、他のゲー厶機と接続しなければおもしろくならないのでは、それは本当におもしろいゲー厶とはいえないのではないか。
「交換しないと、おもしろくならないゲー厶ではだめだ。交換することで、もっとおもしろくなるゲー厶を作らなければ」
これが『ポケットモンスター』の企画を練りはじめた当初の命題だった。それを実現するために、田尻は自分の少年時代の記憶をよみがえらせた。
広いフィールドを、未知の生物を求めて、冒険の旅に出る。
目指すものは、どこにいるのか?
それぞれの生物の生態を、研究する。
その習性に合わせた捕獲法を、実験する。
捕獲したものを、飼育する。
あるいは、コレクションする。
持っていないものは、クラスの友達と交換で、手に入れる―。

43  第2章  ポケモン制作への助走

それは、まさに田尻が少年時代に熱中していた、昆虫採集そのものだった。
作家のヘルマン・ヘッセもまた幼い頃、昆虫採集に熱中していた人間の一人であり、著作『少年の日の思い出』のなかで、虫捕り網を片手に虫へ近寄っていくときの感情を「繊細なよろこびと、荒々しい欲望の入りまじった気持ち」と表現している。
小さく精密な生き物に触れるときの繊細さ。
ささやかながらも狩猟の気分にひたれる荒々しさ。
田尻は、少年時代の記憶をリアルに思い出し、もしも、あのドキドキする冒険の日々をゲー厶ボーイのカセットに封じ込めることができれば、絶対におもしろいゲー厶が作れるはずだと考えた。それは、野原を駆けまわるような遊び知らない現代の子供たちにも、きっと受け入れられるだろう。純粋な遊びのエッセンスは、時や場所の移り変わりには左右されない。田尻は、そう確信を得たのだつた。ところで『ポケットモンスター』は、ゲー厶ボーイの通信ケーブルを最大に活用することで成立するゲー厶だったが、その反面、ゲー厶ボーイには大きな弱点もあった。それは、肝心のゲー厶画面が”モノクロ四階調の液晶表示“だということだった。
ゲー厶フリークが『ポケットモンスター』の企画を練りはじめた当時、すでに任天堂からはスーパーファミコンが発売されており、そのグラフィック能力はゲー厶界全体の標準となりつつあつた。ユーザーはスーパーファミコンの緻密で美しいグラフィックに魅了され、ひとたびそれに慣れてしまうと、以前のファミコンのように貧弱な映像では満足できなくなる。ましてや、ゲー厶ボーイの白黒画面などには誰も興味を示さなくなっていた。

第1部  ポケットモンスター  44

しかし、ゲー厶フリークではそのことについては少しも心配していなかった。それは、「ゲー厶のおもしろさの原点は、画像の美しさとは無関係にある」という信念があったからだ。かって、福井県立美術館にて『機械・人間展』(ー九九四年)が開催されたことがある。これは”インタラクティブ“をモチーフにしたアーティストの作品展示の他に、パチンコ台やテレビゲー厶すらもアートとしてとらえ、それらの体系的な展示を試みた催しである。
そのときのパンフレットに、田尻は次のような-文を寄せている。
「―このように現在のテレビゲー厶というものはVRを始めとする様々な最先端技術が導入されていく一方で、モノクロ液晶の『ゲー厶ボーイ』に代表されるような従来機でもゲー厶アイデアの新しい提案は続けられ、年に何本かのヒット作によって巨大な市場は維持され続けている―」彼がこの文章を書いたー九九四年当時は、VR(バーチャルリアリティ)の概念と、そこから派生したポリゴン画像による三次元空間の派手なゲー厶が世間の注目を集め、ゲー厶ボーイの市場は尻すぼみになっていた時代だ。
しかし、それでも田尻は”通信ケーブル“さえあれば、おもしろいゲー厶は作ることができると考えていた。ゲー厶のおもしろさは画像表現に左右されるものではない、と信じていたのだ。このことは、そのままゲー厶フリークのゲー厶哲学にもなっている。
もちろん、画像の美しさとゲー厶のおもしろさが「無関係だ」と言い切ってしまうのは極端に過ぎるかもしれない。映像の美しさや動きの不思議さから喚起される眩暈の感覚が、テレビゲー厶にとって大切なー要素であることは、彼らも認めるところだ。

45  第2章  ポケモン制作への助走

しかし、ゲー厶フリークにとってゲー厶を作るというのは”おもしろい遊びを作る“ことなのであって、決して「映像でなにかを表現したい」わけではない。
このことは、見方を変えれば、映像表現を優先して作られた現代のテレビゲー厶への挑戦、という風にも解釈することができる。
8ビットより16ビット。処理速度はコンマー秒でも速く。
256色よりも65000色。映像はさらに高解像度へ。
こうした風潮に対し、田尻は厳しい眼を向ける。
「まるで三途の河原で石を積んでいるみたいじやないですか。どんどん突き崩されていく。以前の経験が活かされず経験を積み上げるということをしない。いままでの経験をすべて放り出して新しいものと取り組む。その繰り返しで熟成する期間がない」
(『別冊宝島ゲー厶完全攻略読本』ー九九七年宝島社)田尻をはじめとするゲー厶フリークが、こうしたゲー厶に対しての哲学をストイックなまでに持ち続けている背景には、アマチュア時代にゲー厶センターへ通い詰めていたときの経験が反映されている。テレビゲー厶の黎明期ともいうべきあの時代のゲー厶は、どれも映像的に貧しいものばかりだつた。大ヒットした『スペースインベーダー』では、凸型を砲台、凹型をバリケードだと表現していた。辛うじてヒトの形に見える程度の白い点の集合を「ルパン三世だ」と言い張るゲー厶すらあった。そんな無茶が許される時代だった。
けれど、ボタンを押せば凸型の先端からミサイルが発射され、敵のビー厶を凹型が受け止めるという

第1部  ポケットモンスター  46

表現がなされるだけで、それは宇宙の侵略戦争以外のなにものでもなくなる。
それは、行動と法則と設定の三要素が絶妙に絡み合っているからこそ、実感できるおもしろさだつた。そして、どれほどか映像の表現力が向上したいまのゲー厶機の世界でも、この基本は変わっていない。だからこそ、ゲームフリークでは『ポケットモンスタ—』をゲー厶ボーイの白黒画面で作ることに、なんの不安も抱かなかったのだ。
たとえ、画面が白黒だとしても。
たとえ、数少ない点の集合による表現だとしても。
想像力の豊かな子供たちならば、それを悠然とひろがる草原だと感じてくれるはずだ。モンスターの息づく草むらだと感じてくれるはずだ。なによりも、捕獲したモンスターを交換する喜びは、ゲー厶ボーイの脆弱な映像表現力というハンデを乗り越え、きっとみんなを夢中にさせるだろう。『ポケットモンスター』の制作スタッフたちは、そう信じていたのだ。

47  第2章  ポケモン制作への助走

■交換システムの考案

いつの頃からか、テレビゲー厶の制作は”開発“と呼ばれるようになった。
しかし、本来”開発“というのは「天然資源の開発」などというように、人々の生活に役立っための事業を表すときに使われる言葉だった。このような言葉が、テレビゲー厶のようになんら生活の役に立たないものを作る際に使われるようになったというのは、ある意味で象徴的でもある。なぜなら、ゲー厶制作を”開発“と称するようになった事実が、見栄えの華やかさと技術力の高さばかりが謳われながら、遊びの道具としては少しも楽しめない中途半端な商品が”乱開発“されている現在のゲー厶業界を、皮肉にも言い当てているからだ。
テレビゲー厶からもう少し歴史をさかのぼり、トランプや知恵の輪、オセロなどといった、広い意味でのゲー厶(=遊戯の道具)を振り返ってみれば、本来、ゲー厶を作るという行為が開発ではなく”考案“と呼ばれていたことがわかる。
新しい遊びのルールは、どこかの発明家のひらめきによって”考案“されるものだった。それがなくても生活するには困らない。けれど、それがあることで人々の生活には潤いが生まれ、豊かな人生を送ることができる。
毎日の仕事に追いまわされる。日々の生活を維持していくことに押しつぶされそうになる。けれど、ゲー厶に興じるほんのひとときによって、人は気分転換を図り、明日への活力を奮い立たせる。だから、

第1部  ポケットモンスター  48

町の奇特な発明家は、ゲー厶などという役に立たないものを一生懸命に考案してきたのだ。それはテレビゲー厶の時代になったとしても、基本的には変わらないはずだ。たとえば数年前に大ヒットした『テトリス』などは、その好例だ。旧ソビエト連邦の科学アカデミーにおいて、アレクセイ・パジトノフ、ワジー厶・ゲラシモフとい一つ二人のコンピュータ技術者の手によって作り出されたこのゲー厶は、まさに”発明“としか表現のしようがない、ひらめきの上に成り立っている。もちろん、ゲー厶業界でここ数年注目を集めているインタラクティブ・厶—ビー(高度なCG映像による演出で、豊かな物語性を獲得したゲー厶作品)のように、作家性の強いものを否定はしない。これもまた、ゲー厶のひとつの進化の方向性と見ていいだろう。
けれど、ゲー厶フリークが目指しているのは、あくまでも優れた玩具としてのゲー厶だった。そして玩具というものは、昔もいまも”考案“されるものなのだ。
当時のゲー厶フリークでは、原則として勤務時間は午前+一時から午後八時頃までと定められていた。ところが、そんな規則を守る人間など誰もいない。社長である田尻からして、当時は出社時間がー定していなかった。自由な環境でゲー厶を作るという社風に甘え、昼過ぎになっても誰も出社してこないことが日常だった。
では、皆が怠けてばかりいたのかといえば、そうではない。時間にルーズなメンバーだからこそ、遅刻して出社しても、その分、夜遅くまで仕事をした。そんなゲー厶フリークの勤務形態は、『ポケットモンスター』がまだ企画段階で、そのアイデアを練りあげている時期に、とくに顕著だった。

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夜の十二時近く。ようやく社内での業務を終えても、企画に携わっているメンバーたちは、会社の近所に住む田尻のアパートへ場所を移し、引き続き徹夜で企画会議をすることも多かった。そうした時間のほとんどは、やはりこのゲー厶の核となる”交換“のアイデアを煮詰めるために費やされた。どういう操作で交換させればいいか?どんな画面で交換するのが楽しさをふくらませるのか?交換の方法を説明するための文章は、何文字表示できるのか?画面表示の限界に合わせて、文章を切り詰めていく。
ポケモンの交換とは、結局はプログラムデータの交換だ。けれど、プレイヤーにはそう思ってほしくない。ポケモンはゲー厶ボーイのなかで生きている。どんなポケモンでも、自分の大切な冒険の仲間だ。そんな仲間を交換するのだから、別れの切なさを表現したい。そのためにはどうすればいいのか?交換する前に、ポケモンがモンスターボールに入る場面をアニメーションで見せればいいのではないか。ボールに入ったら、それが画面内で一度バウンドして、交換パイプに吸い込まれていく演出を入れよう。パイプの口金は、ゲー厶ボーイのケーブルを接続する位置に合わせて描けば効果的じやないか。そうだ、ケーブルを通過するときに、エコーのかかった鳴き声を響かせよう。ポケモンが別れを惜しんで鳴いているんだ……!
真剣に議論をしていたかと思うと、気まぐれにゲー厶で遊んだりもした。ビデオで映画を観て、気分転換を図ることもある。大人になっても変わらずに虫が大好きな田尻は、ビデオソフトのコレクションから毛虫の生態を記録した映像をテレビに映し出し、虫が嫌いなスタッフを絶叫させたこともある。そんな姿を見て、みんなでげらげらと笑い合った。

第1部  ポケットモンスター  50

会社内ではいつも笑いの絶えないゲー厶フリークだったが、自宅に集まって作業をするときは、それ以上のテンションの高さで打ち合わせをしていた。仕事をしているという意識ではなく、ゲー厶を作ること自体が彼らにとって最高のゲー厶になっていた。
「みんなゲー厶が好きなんだ。だから、こういう楽しい雰囲気で仕事をすることが、ゲー厶をもっともっと楽しいものにしていくんだ」
これはゲー厶フリークのスタッフ全員に共通した想いだつた。
やがて夜が明けると、田尻の部屋に集まっていたスタッフは、それぞれのアパー卜へ帰つてゆく。各自が軽い仮眠をとったあと、昼過ぎに起き出すと、ふたたび会社に集合する。まだ醒めきらない頭を、スタッフの一人が淹れてくれたコーヒーで覚醒させ、前日に話し合ったことが実現できるのかどうか、プログラマーたちと相談する。実現可能ならばさらに細部の検討をし、次々と仕様書にしていった。A4サイズのコピー用紙に線を引き、ゲー厶画面と同じ分割のレイアウト用紙を作る。そこに交換画面の設計図を書き込んでいく。毎日毎日、そうした作業を続けていった。当初の企画では、ポケモンは一対一ではなく、複数対複数の交換ができるようになっていた。交換の価値体系として、その方が断然おもしろさが増すからだ。
貴重なポケモンを譲ってほしいのに、それに見合ったポケモンを持っていないときなどは、貴重度の低いポケモンでも複数を差し出してやれば、交換のバランスをとることができる。そうしたことを可能にする「複数対複数の交換」という案は、スタッフ全員の同意を集め、しばらくの間は決定事項として作業が進められていった。

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ところが、この案は作業の煩雑さやプログラム的に負担が大きいことなどの理由により、途中の段階で白紙に戻された。
「なにも無理して、複数対複数の交換ができるシステムを作らなくても、一体ずつ交換していけば、結局、複数の交換ができることになるんだよね」
その通りだった。
どんどんと大作化、複雑化してゆく現代のゲーム制作スタイルが”追加の美“だとするならば、ゲ—ムフリークの制作スタイルは”省略の美“を追求するものだつた。余計なものを可能な限り排除して、本当に必要なものだけを残してゆく。あるアイデアを実現するために、そのためのシステムを追加するのではなく、削り落とすことで実現の道を探す。それが不可能で、なおかつそのアイデアが絶対に必要なものならば、そこではじめて追加の道を選ぶ。これが、ゲームフリークの制作テクニックだつた。複数対複数の交換と同様に、初期の企画に挙げられていたのが”金銭による交換“という概念だった。これは、たとえば「相手から貴重なポケモンを譲ってもらいたい。でも、こちらにはその代償になるようなポケモンがいない。ならばせめて、いくらかお金を上乗せすることで交換のバランスがとれるようにしたい」という状況を想定して考案されたアイデアだ。
けれど、やはりこのシステムも、プログラミングされる以前の段階で切り捨てられた。その理由を、田尻は次のように語っている。
「ポケモンの価値とゲームの中のお金の価値を表現するのは、ゲームとしての限界を超えてしまいます。ゲームの中のお金というものと、ぼくらの実際の社会で流通するお金では、意味が全然違

第1部  ポケットモンスター  52

いますから。ゲー厶ボーイでそこまで表現するには、限界があると思いましたし、とにかく乗り越えるべき壁が多すぎたんですよね。壁が多いと感じたときにどうするかというと、-番言いたいところだけを残して、他はあきらめるしかないわけです。この場合は、ポケモンを交換するということが第一でしたから、お金での取り引きという要素は切り捨てました」
(『ポケットモンスター図鑑』ー九九六年アスペクト)ここでも、ゲー厶フリーク流”省略の美学“が貫かれている。そしてその結果、はじめて『ポケットモンスターー』に触れる人でも非常にわかりやすい、シンプルなゲー厶に仕上げることができたのだ。もうひとつ、交換に関する部分だけではなく、この「交換からお金の概念を取り除く」ことに関連して削除されたのが、「ポケモンの販売」という要素だった。
初期の企画では、町の随所にポケモンを売っているショップがあり、お金さえ払えばいくつかのポケモンたちを買うことができるようになっていた。けれど、ちよつと戦闘をしてお金さえ貯めれば簡単にポケモンが買えるというのでは、苦労して探して捕獲する価値が失われてしまう。ここでも、田尻の言葉がよみがえる。
「いちばん伝えたいところだけを残して、他はあきらめる―」
抜群の着想に思えた「ポケモンの販売所」も、あっさりと企画から消えることになった。
迷いがないといったら嘘になるだろう。せっかくひらめいて、徹夜で煮詰めて、仕様書にまでしたアイデアだ。ものによってはプログラミングに着手している部分だってあっただろう。けれど、そのアイデアを入れることで他の要素がだいなしになるのなら、思い切りよく切り捨てる。

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それができなければ、なにを伝えたいのかがわからないゲー厶になってしまう。そしてゲー厶フリークは、それができる集団だったのだ。
『ポケットモンスター』の企画は、いくつものまわり道をし、それが行き止まりであることを突き止めては塗りつぶし、ゆっくりと、しかし着実に、ゴールへの太い道筋を探り当てていった。

■ゲー厶フリークのRPG

半年ほどの時間をかけ、交換に関するシステムは、ほぼ固まってきた。このゲー厶の核ともいうべき”交換“の形が見えてきたことで、それ以外のシステムもかなりの部分が見通せるようになってきた。スタート地点は、主人公の少年が生まれ育った町だ。現実の日本の、どこにでもあるような郊外の小都市。少年はそこで自分の目標をみつけ、冒険に旅立っていく。
町から-歩足を踏み出すと、そこには草むらや林、森、川、そして海がひろがる。世界には、いくつもの町がある。町と町を結ぶのは、県道や国道。道路沿いには、行く先を示す標識が立っている。現実世界で野生の動物や虫がそうであるように、草むらや洞窟、あるいは川のなかにポケモンたちは潜んでいる。草むらなどを歩いていると、一定の確率で野生のポケモンが出現する。ポケモンと出会ったら戦闘だ。戦闘に勝てば、経験値やお金が手に入る。
『ポケットモンスター』を既成のゲームジャンルに分類するならば、紛れもなくRPGということになる

第1部  ポケットモンスター  54

だろう。現に、発売当初『ポケットモンスター』を紹介したゲー厶雑誌を見てみれば、ジャンルの欄にはことごとく〈RPG〉と記載されている。これを見て、ゲー厶業界の事情通たちは、一様に驚いたという。「あの、ゲー厶フリークがRPGを作った!?」
彼らがそう疑問に思うのも、無理はない。なぜならば、ゲー厶フリークというのは、もともとが業務用のゲー厶に対して徹底的な攻略をすることでその名を知られ、またプロのゲー厶制作集団となってからも、アクションゲー厶ばかりを作ってきたからだ。
ゲー厶センターというのは、気まぐれに訪れた客から「いかにしてー00円玉を回収するか」ということを前提にした場所だ。そのためには、一回のプレイで長く遊ばれるRPGよりも、すぐにゲー厶オーバーになってもらえるような、アクション性の高いゲー厶を主流にせざるを得ない。そうした場所で修業を積んできたゲー厶フリークだからこそ、彼らの得意とするのは、やはりアクションゲー厶であり、それはプレイヤーから作り手になったいまでも、基本的には変わっていない。ところが、ゲー厶フリークの名を一挙に世間に知らしめることになった『ポケットモンスター』は、紛れもないRPGだ。
主人公が冒険をし、仲間をみつけ、戦闘を繰り返し、経験を積み重ねることでレベルがあがり、より強くなっていく。むしろ、いま世の中に流通する多くのゲー厶のなかで『ポケットモンスタ—』ほどRPGらしいRPGはないのではないか。
では、アクションゲー厶を得意としていたゲー厶フリークは、なぜRPGの制作に手を出したのだろうか?その疑問に、田尻はこう答えている。

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「RPGのようなものを作りたいなあとは思っていました。ただ、ゲー厶フリークは”おもしろくて新しいもの“を作るんだ、とい一つ意気込みの方を大切にしてますから、これをRPGと呼ぶかどうかは皆さんにおまかせしますが、新しくておもしろいゲー厶だと思ってもらえるのが一番うれしいです」(前出『ポケットモンスター図鑑』)
人気ジャンルとしてのRPGを作りたいという気持ちはあった。
ただ、ゲー厶フリークはジャンルからゲー厶を作ることをしない。それは、先に述べた「ゲー厶を考案する」ということにも通ずるひとつの信念だ。
まずはじめに、アイデアの核になるひらめきがあること。『ポケットモンスター』の場合は「モンスターを交換する」というシステムを考案したことが、そのひらめきに相当する。この段階では、まだジャンルは決まっていない。モンスターの交換がもっとも効果的に活かせるのならば、ジャンルはRPGでも、アクションでも、場合によってはシューティングゲー厶でもよかったのだ。そして、様々な検討を試みた結果、最初のひらめきを最大に活かせるジャンルが、たまたまRPGと呼ばれるスタイルのゲー厶であったということなのだ。

第1部  ポケットモンスター  56

■世界の構築

ジャンルが決まることによって、今後の方向性も見通しがきくようになった。次のステップは、主人公が冒険をするための舞台̶フィールドマップを作ることだつた。
このフィールドマップというものは、RPGを企画するにあたって重要な意味を持つ。なぜなら、その地図をどのようなスケールで設定するかによって、主人公の存在や冒険の目的も変わってくるからだ。たとえば、実際の世界地図と同じようなスケール感を持つ『ドラゴンクエストⅢ』では、その主人公は伝説の勇者であり、世界の破滅をもくろむ魔王を倒すことが冒険の目的となる。その反対に、町内を冒険の舞台とするようなRPGならば、その主人公は町の有名人といった程度の人物であり、目的も、町を牛耳る実力者をやっつける、というようなものになるだろう。
田尻は『ポケットモンスター』に、自分の少年時代を重ね合わせて構想していた。しかし、ゲー厶として作る以上、単に町内で昆虫採集をするだけでは、それほどおもしろいものにはなりそうもない。かといって、あまりに壮大な世界にしてしまっては、少年時代に感じていた冒険への憧れという感情とは、かけ離れたものになってしまう。
このゲー厶で遊んでくれるであろう子供たちが、すんなりと感情移入することができて、なおかつ夢を感じることのできるサイズ。そんな考えから出てきた答えが、
「いくつかの町が集まった架空の地方都市̶」

57  第2章  ポケモン制作への助走

というスケール感の世界だった。
そこで、マップの試作をするにあたり、東京都の一部と神奈川県、さらに千葉県が一緒になったものをモデルとして、構想を練っていった。
東京的な都心部を設けることで、ビルの建ち並ぶ都市を造ることができる。また、千葉の房総半島のような地域を設けることで、海辺の町や、離れ小島、あるいは高原や山地を造ることもできる。地図のなかで、主人公の少年が住む冒険の出発点はすぐに決まった。現実の町田市がある辺りである。つまり、郊外で家族と暮らす主人公の少年が、あたかも子供時代の田尻が昆虫採集に出かけて行ったように、ポケモンを集める旅に出発するのだ。
フィールドマップができていくにしたがって、このスケール感は、子供たちにとって適度な冒険の感情を喚起させてくれる大きさであることがわかってきた。
小学生も三、四年生くらいになると、冒険欲というものが芽生えてくる。それは、町内を探検するだけでは満足できないだろう。しかし、東京から東北地方、あるいは関西地方というように、何時間も鉄道に乗らなければ行かれないようなところでは遠すぎる。
町田市を出発点とするなら、横浜、あるいは新宿、ちよつと足を伸ばして千葉県という微妙な距離感が、子供の好奇心を誘うぎりぎりの冒険範囲なのだ。
しかし、ここでひとつの問題が持ちあがった。ゲー厶ソフトの容量である。
いまでこそ、ゲー厶はCD-ROM媒体による供給が一般化しているが、当時はROM力ートリッジが主流であり、ファミコンであればその容量はせいぜいが数メガビット程度という、ごく限られたものだっ

第1部  ポケットモンスター  58

た。ましてやゲー厶ボーイともなると、ソフトのカートリッジもコンパクトに作られているため、そのなかに収められるゲー厶の容量は、1メガビット程度のサイズの小さいものが大半だ。そして、このとき『ポケットモンスター』のために与えられた容量は、1メガビットにも満たないものだったのだ。この容量は、プロジェクトが正式にスタートしてすぐに1メガビットにまで拡大されたが、それでも、それなりのスケール感のあるRPGを作ろうとするには、あまりにも小さすぎるサイズだ。けれど、テレビゲー厶のおもしろさは、容量の多寡で決められるものではない。たしかに、容量の制約を気にせずゲー厶を作ることができれば、グラフィックをより緻密で美しいものにすることもできるし、音楽だってオーケストラの演奏を忠実に再現することができるだろう。しかし、それはあくまでもゲー厶の”メディア“としての側面を強化しているだけであり、ゲー厶が本来持っている”遊戯性“が進化したわけではないのだ。
たとえハードの性能が低く、ソフトの容量が少なくても、優れたアイデアの発想さえあれば、新しくておもしろいゲー厶は作ることができる。そして、ゲー厶ボーイという八ードは、まさにそうした思想のもとに開発されたゲー厶機だったのである。
ゲー厶フリークでは、これから作るべき『ポケットモンスタ—』の容量が、1メガビットしかないことに、不安はなかったのだろうか?
アイデアそのものに不安はなかった。しかし、やはりRPGという形態でゲー厶を作る以上、フィールドマップや、百数十体ものモンスターのグラフィックデータなどは、たとえゲー厶ボーイのモノクロ四階調で表示される単純なものであっても、限られた容量を圧迫する。とくにそれが最初の障害となったの

59  第2章  ポケモン制作への助走

は、主人公が町から町へと移動するために必要なフィールドマップのデータを収納する、メモリ領域だ。当初の計画では、1メガビットの総容量のうち、マップデータに割り当てられたのは、わずか8分の1であった。しかし、実際にフィールドマップを試作してみると、それでは到底、予定の容量に収まらないことがわかってきた。こうしたとき、通常のクリエイターが採るべき道は、二通りある。”縮小“するか、”削減“するか、である。
縮めるのは簡単だ。削るのもまた簡単だ。
マップのサイズを縮小してしまってもいいし、あるいはマップ上に存在する町や洞窟などの数を減らしてしまってもいい。そうすれば、マップデータの負担は一気に軽減させられる。しかし、同時にそれはもっとも安易な解決方法でもあるのだ。
そこで、ゲー厶フリークでは試行錯誤の末に、あるひとつのアイデアを捻り出した。

■国道システム

通常、RPGなどでフィールドマップを描く場合、冒険の舞台となる全世界のマップは、そのまますべてが地形データとして作成される。海、川、草原、砂場、森、岩山などといった地形を表現するパーツを作り、それらをあらかじめ決められたサイズの広さに、地図を描くように敷き詰めていくのである。『ドラゴンクエスト』も、あるいはそのあとに続く無数のRPGも、基本的には皆同様の手法でフィール

第1部  ポケットモンスター  60

ドを表現している。
ところが、ここにひとつの盲点があった。
たとえば主人公がある町を出発し、次の町に向かおうとした場合、フィールド上では様々なルー卜が考えられるが、実際には、ほぼ直線をたどるようにして歩いていくことになる。では、プレイヤーはなぜそのような行動をとるのか?それを説明するためには、エンカウント(=遭遇)のシステムについて、理解しておかなければならない。
一般的に、『ドラゴンクエスト』のようなRPGでは、敵キャラクターとの不意の遭遇を表現するために、ランダム・エンカウントという方式が採用されている。これは、主人公キャラクターがフィールドを移動する際に、プログラムの内部で、フィールドを構成する最小単位のマス目ごとに、モンスターと遭遇するかしないかの判定を、一定の確率でおこなうというものだ。
その判定結果で〇が出ればエンカウントしたことになり、戦闘がはじまる。☓が出ればエンカウントはなく、そのまま次のマスに進むことができる。これを繰り返すことによって、怪物のひしめく(目には見えないのだが)危険地帯を、あるときは無事に通り抜け、あるときは満身創痍で戦い続ける、というような冒険の起伏が表現されるのだ。
『ポケットモンスター』もまた、多くのRPGと同じように、ランダム・エンカウント方式を採用している。ということは、プレイヤーが目的地へ向かうためにフィールドを移動する場合、まず普通なら「なるべく敵と出会わないように」といった心理状態になるはずだ。すると、プレイヤーはどういう行動を採るようになるだろうか?

61  第2章  ポケモン制作への助走

そう、町から町へと、無意識に最短距離を選んで歩くのである。
ある町から、次の町まで移動するときに、主人公キャラクターが踏む地形のマス目は、少ないほどいい。そうすれば、遭遇か否かの判定がおこなわれる回数も必然的に減るわけで、それだけ敵と出会わずに、安全に目的地まで到達できる確率があがるからだ。
そうしたプレイヤーの心理を計算に入れてフィールドマップを設計した場合、ひとつ見えてくるものがある。それはつまり、
「キャラクターが歩く場所以外の部分は、不要なのではないか―」
ということだ。
町と町とを直線で結び、それ以外の部分をデータとして持たなければ、世界全体の広さを損なうことなく、マップデータを大幅に削減できる。これは、激しく容量の制限を受けていた『ポケットモンスタ—』にとって、非常に大きな救いとなる。
さらに、ある意味では苦肉の策として考案されたこのフィールド表現のシステムは、視点を変えて見れば、このゲー厶の世界観を強化する役目があることもわかった。
つまり、町と町を結ぶ直線の道とは、すなわち道路―国道に見立てられる、ということだ。
一人の少年が、冒険を求めて家を出発する。けれど、家の外に出てもそこはまだ町のなかだ。まずは友達の家や知人の家、あるいは近所のお店などを訪ねて、情報を集める。その結果、次に向かうべき目的地がわかったら、住み慣れた町から一歩、足を踏み出す。
目の前にのびるのは、隣り町に通じる道路。この道路を一歩ずつ歩いていくことで、冒険の範囲がひ

第1部  ポケットモンスター  62

[[IMAGE CAPTION|
▶町と町とが道路で結ぼれている。それ以外の場所はプログラ厶的には存在しないが、遊んでいるプレイヤーには町と道路だけでなく、それらを包み込んだ雄大な世界が感じられるようになっている。
]]

ろがっていく。
道端には《1番道路》という標識が立っている。この番号によって、少年はその道が国道であることを知り、また、自分の冒険がまだはじまったばかりであることを知るのだ。
それからさらに冒険を進めていき、いくつもの町を通過し、そこから先の道に《16番道路》といった標識をみつけたとき、少年は自分がずいぶんと遠くまで冒険してきたことを実感する―。与えられた容量(器)のなかに、アイデア(材料)が収まりきらなかったならば、どうするか? 器を大きくすることで解決するのは、ある意味で、もっとも安易な方法だ。その反対に、材料をただ減らしただけで解決するのもまた、同じく安易な方法だといえる。
規定の器に収めるために材料を減らしながらも、そこに新しい意味を与えてやる。ハンデを逆手にとって、新しいアイデアを提案する。そうした

63  第2章  ポケモン制作への助走

努力を怠らないのが、ゲー厶フリークの強みなのだった。

■モンスターの創造

主人公が、携帯したカプセルからモンスターを出して戦わせる、という基本アイデアは、かなり早い時期から田尻の頭のなかにあった。企画書の第一稿でタイトルとしていたように、〈カプセルモンスタ—〉というのが、そのイメージを正確に伝えている。
カプセルに収まったモンスター。そこには大きさの規定はない。いかにもカプセルのなかに入っていそうな、小さくて可愛いものはもちろんのこと、巨大で恐ろしい姿のモンスターですらカプセルのなかに収めてしまう。カプセル(最終的には”モンスターボール“という名称になった)の機能にそうした柔軟性を持たせた方が、モンスターの存在にひろがりが出せるのだ。
そのうえ、味方のモンスターをカプセルから出すだけでなく、野生の凶悪なモンスターですらもひとたびカプセルのなかに収めることができれば、一転して自分の味方にしてしまえる。このシステム——そう、まさにこれはシステムだ——は、ゲー厶に「モンスターを集める」という重要な遊びを提供することにもなる。そして、これまで組み立ててきた”交換“という概念も、モンスターを集める遊びがあってこそ、最大に活かされるのだ。
『ポケットモンスター』がコンピュータゲームである以上、そこに登場するモンスターはあくまでもデジ

第1部  ポケットモンスター  64

タル情報の集積によって構成されている。その姿も鳴き声も、すべては0と一のデータとしてシリコンチップのなかに記憶されている。
しかし『ポケットモンスター』の制作スタッフたちは、全員が口を揃えて「ポケモンのことを”データ“とは呼ばないでほしい」という。そこには生みの親としての気持ちも少なからず含まれているのだろうが、その真意は、むしろ遊んでくれるプレイヤーに向けられている。
ポケモンをデータとしてとらえてしまうと、このゲー厶は単にポケモンを集めるだけのゲー厶で終わってしまう。もちろん、そうした遊び方をするのもプレイヤーの自由ではあるが、できることならば、ポケモンとの出会いや別れにそれぞれのドラマを感じてほしい。データを交換するのではなく、愛すべき友と別れ、その代わりに新しい友を得る。プレイヤーにはそんな感情を持ってこのゲー厶と接してほしい。そう彼らは願っているのだ。
ポケモンを交換している最中の、ゲー厶のプログラムのなかを覗いてみれば、そこでおこなわれているのは、単にポケモンを構成しているデジタルデータを書き換えているに過ぎないだろう。けれど、カプセルに収められたポケモンがケーブルのなかに入っていくアニメーションが画面上に表示され、別離を惜しむ鳴き声がスピーカーから聞こえてきたとき、プレイヤーはそこにポケモンの生命を感じてくれるはずなのだ。
ところで、”カプセル“の語源となった「capsa(=カプサ)」は、ラテン語で”容れ物“のことであり、その語根の「cap-」には、「つかまえる、とらえる」といった意味がある。このことからもわかるように、

65  第2章  ポケモン制作への助走

制作初期のタイトルだった『カプセルモンスター』という言葉には、そのゲー厶性の本質が秘められていた。ところが、いざ、このタイトルを商標として取得するために調査をしたところ、まったく同じ言葉が、すでに登録されていることが判明した。もちろん、商標というのはその権利の所持者に規定の使用料を支払えば、同じものを使用することはできる。しかし、それはあくまでも最後の手段であって、できることならば独自のタイトルを考えるに越したことはない。
そこで、ゲー厶フリークではいくつかの代案を捻出したのち、最終的に現在のタイトルである『ポケットモンスター』という名前が生まれた。
『カプセルモンスター』として制作を進めていた時期、このゲー厶は開発スタッフたちの間で、通称”カプモン“と呼ばれていたが、どこか語呂の悪い印象はぬぐえなかった。しかし、結果として『ポケットモンスター』と名を変えてみれば、その”ポケモン“という略称が、モンスターたちそのものを表す言葉として、非常に響きのいいものになったのだ。

第1部  ポケットモンスター  66

■ポケモンの定義

ゲー厶中に登場するモンスターたちに”ポケモン“という呼び名が与えられた頃、チーフ・デザイナーの杉森建と田尻との間では、ポケモンの定義について検討がなされていた。田尻にとってのポケモンとは、人間の敵ではなく、味方となるもの。もしかすると、ペットに近いのではないか、というような考えがあった。
一方、杉森にとってのポケモンとは、田尻の考えに基本的な部分では一致していたものの、もう少し恐ろしい、怪物のようなイメージを抱いていた。
この二人の認識の差は、非常に興味深い。つまり、田尻の場合はプランナーとして、ゲー厶のシステム的な視点で「ポケモンは人間の味方である」という発想を持っていた。それに対し、杉森の場合はデザイナーとして、造形学的な視点から「ポケモンは怪物のようなもの」という発想を持っていたからだ。とはいえ、杉森自身もプランナーとしての能力を兼ね備えていたので、田尻の考えは理解できた。また、田尻の方でも杉森の美術センスを十分に認めていたので、両者はお互いの意見を尊重し合う形で、ポケモンの最終的な定義をすり合わせていった。
「ポケモンは基本的に人間の味方なんでしょ?でも、それじゃ戦闘にならないよね」
「たとえばライオンとかトラみたいに、野生のポケモンっていうのは人間を襲うことがあるだろう」
「自分以外のポケモントレーナーが戦いをけしかけてくる、なんてこともあるはずだよね」

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[[IMAGE CAPTION|
◀制作初期の段階で杉森の手によって描かれたスケッチ。『ポケットモンスタ—』に対する漠然としたイメージが、このような風景として描写されることで、スタッフ全員に共通のイメージを具体化していく。
]]

「だけど、ポケモンは恐ろしいばかりの存在じやないんだ。なかには人間と共存しているものもいるし、ペットみたいに可愛いやつもいるんだ」
「家畜みたいなイメージが持ち込めないかな?」
「なるほど……。牛や馬のかわりに使って畑を耕したり、船のかわりにポケモンに乗って海をわたったりできるわけだ」
「ところでポケモンって、死ぬの?」
「そりや生き物である以上、いっかは死ぬさ」
「だったら、ポケモンのための墓場なんかがあってもいいんじやない」
「そうか、ゲー厶中にポケモンの死を描く必要はないと思うけど、埋葬する場所があるということで、それとなく生命を感じさせられるわけだ」
こうした話し合いのなかから出てきた情景は、杉森の手によって次々とイメージスケッチとして描かれていった。ポケモンのデザインや町の景色をグラフィック・スタッフで手分けして作成していく際

第1部  ポケットモンスター  68

に、これらのスケッチがおおいに役立つのである。
ポケモンは戦闘を重ねていくことでレベルアップし、どんどんと強くなっていく。つまりプレイヤーは、自分のポケモンを戦闘によって育てていくトレーナーだ。そこで制作スタッフたちは、ポケモンを扱う卜レーナー自身にも、その調教者としての”ランク“を設けようと考えた。
最初に考案されたのは、所有するポケモンがある程度の強さに達すると、主人公が武道の有段者のように”帯“をもらうことができる、というアイデアだった。
「柔道みたいに白帯と黒帯だけじやなくて、もっとカラフルでもいいね」
「せっかく帯がもらえるなら、その帯を調教用の鞭として使えるってのはどう?」
「赤ムチとか、黒ムチとか……。黄ムチって、笑えるなあ」
「白ムチってのも、なんかねえ」
「俺は、青ムチ(筆者註:アオムシの意味ですね)がイヤだあ!」
結局、主人公がポケモンを鞭で打つのは残虐すぎるため、このアイデアは却下された。主人公とポケモンの関係は、もっと仲のいいペットのようなものなのだ。
最終的には、ポケモンジムを突破するごとに主人公はバッヂを手に入れ、その数がプレイヤーの強さを表すという表現になった。
ところで、ポケモンをペットや家畜に近いものとして考えたとき、筆者は、かなり以前に田尻本人から聞いた話を思い出す。
それは”犬の散歩“とでも呼ぶべきものだった。

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当時、RPGの戦闘画面といえば『ドラゴンクエスト』のようにモンスターを正面から見据えたものか、『ファイナルファンタジー』のように敵・味方の戦闘を側面から傍観したものかの、ふたつのパターンが主流となっていた。しかし、田尻は『ポケットモンスタ—』での戦闘画面として、そのどちらのスタイルにも違和感を感じていた。
ポケモンを人間の友達、つまりペットに近いものだと解釈したとき、田尻の脳裏に再生される映像があった。それは、犬を散歩に連れていったことがある者なら、誰にでも憶えのある場面。——夕暮れ時。愛犬を連れて散歩に出かける。公園に到着してみると、やはり近所に住む誰かが犬を連れて散歩にきている。相手の犬はこちらに気づくと、低いうなり声をあげる。いつもはおとなしいはずの愛犬も、相手の興奮がうつったのか盛んに吠えかける。両者どちらも退かず、激しく吠えたてながら威嚇しあう。普通ならここで飼い主どうしは照れたような苦笑いを浮かべ、引き綱を手繰り寄せ、お互いにやり過ごすところだろう。しかし、飼い主どうしがそれぞれ手にした綱を離したら——。それはすなわち、戦闘のはじまりである。
田尻は「ゲー厶のアイデアはどんなところに転がっているかわからない」という。たとえば犬の散歩ひとつをとっても、そこに新しい戦闘のアイデアは隠れている。
『ポケットモンスタ—』の戦闘画面は、そんなちよつとしたひらめきから作り出された。画面の奧に、敵のポケモンがこちらを向いて立っている。
画面の手前には、自分のポケモンの背中が見えている。
そのー-体が対峙する場面を見つめているのは、飼い主であるプレイヤーの視点。

第1部  ポケットモンスター  70

このような視点は、従来のゲー厶には見当たらないものだった。田尻はそれを”犬の散歩“という日常に転がっている当たり前の行動のなかから、みつけ出したのだ。

■崩壊の危機

『ポケットモンスター』の制作は、まわり道をしながらも順調に前へ進んでいた。ものすごいゲー厶ができあがっていく手応えに、スタッフ全員の心は希望に満ちあふれていた。
だが、希望だけでは会社を運営していくことができない。経営者でもある田尻にとっては、そこが頭の痛いところだった。
『ポケットモンスター』の開発資金として受け取ったお金は、底を尽きはじめていた。けれど、作業が続く限りは事業所の維持費も必要であるし、社員たちへの給料だって支払い続けなければならない。これらの支出を少しでもまかなうために、ゲー厶フリークでは開発部とは別に、出版部を設立した。元来がゲー厶ライターから出発している田尻であっただけに、ゲー厶雑誌などを発行している出版社とはつながりが深い。そうしたところから、攻略本制作の仕事などを請け負うことで、副収入を得ようというわけだ。
ゲー厶制作事業に比べれば、出版事業による収益は決して大きなものではなかった。しかし、たとえ少額でも毎月コンスタントに入つてくる現金収入は、会社の運転資金の助けになった。

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また、本業の開発部では他のゲー厶制作の仕事も請け負った。長期化しそうな『ポケットモンスター』の開発費の足しにするために、短期間で済みそうなゲー厶をいくつか並行して制作することで、資金的な安定を図ったのだ。
ところが―。
あるプログラマーは、心のなかで考える。
まだゲー厶フリークがアマチュアの集団で、楽しみとしてゲー厶を作っているうちは良かった。楽しいことだから、徹夜もいとわない。夜通し作業すること自体を楽しんでいられた。しかし、それがビジネスとなり、生活の糧となってみれば、アマチュア時代には考えもしなかった疑問が、噴出してくる。
「どうして社長は、僕らをこんなにも働かせるのか?」
「先月あれだけ働いたのに、給料はたったこれだけなのか?」
「あの仕事を終えたら、休暇がもらえるはずじやなかったのか?」
「他のみんなは、なぜ社長のいいなりになっているのだろう……」
田尻の夢に共感し、同じ目標に向かう仲間として、これまで一緒にやってきたはずだつた。けれど厳しい現実に晒され、そのプログラマーは選択を余儀なくされた。
そして、彼が選んだのは悲しい選択肢だった―。
「社長、僕たち、ゲー厶フリークを辞めさせていただきます」

第1部ポケットモンスター 72

ある日、三人のブログラマーが田尻のもとへやってきた。彼らの口から聞かされたのは、退職の決意だった。
ゲー厶を作っていく過程において、もっとも過酷な労働を強いられるのはプログラマーだ。ゲー厶を一本作るだけでも、プログラマーたちの作業量と、それにともなう責任は重大なものとなる。ましてやー一本、三本と並行してゲー厶のプログラミングをしなければならないとなると、並大抵の労力では済まされない。
けれど、いまここを乗り越えなければ、ゲー厶フリークの明日はない。だからこそ、田尻はあえて彼らに厳しくあたってきたのだし、その反面、頼りにもしてきた。
しかし、その気持ちは結局、彼らには伝わらなかった。
三人のうち、誰がはじめに言い出したのかはわからない。いまさらここで「首謀者は誰なのか」といった詮索をするのも無意味だろう。誰が先に言い出そうが、同じことだった。もつとも過酷な業務に従事している仲間意識、学生時代からの友情、そうした気持ちが、三人のプログラマーのなかにはあった。一人が感じていた苦痛は、三人すべてに共通するものだったのだ。当時のゲー厶フリークには、プログラマーはその三人しかいなかった。三人とも、アマチュア時代からのつき合いだった。『クインティ』をプログラミングしたのも彼らであり、『ポケットモンス夕—』はもちろんのこと、それ以外の仕事も、すべて彼らの肩にかかっていた。
しかし、三人は「もう限界だ」という。
彼らが揃って一度に辞めてしまうということは、事実上、ソフトハウスとしてのゲー厶フリーク

73  第2章  ポケモン制作への助走

が崩壊することを意味している。プログラマーがいなくては、ゲー厶など作れはしないのだ。創設時からのメンバーである増田順一(現、開発部部長)もプログラミングには携わっていたが、当時はあくまでも三人の補助を務めるのみで、どちらかといえば作曲担当としての役割の方が大きかった。
また、どこからか腕利きのプログラマーを連れてきても、問題は簡単には解決しない。なぜなら、ゲー厶のプログラムというものは極度に複雑化しており、プログラミングした本人でなければ容易には理解できないものだからだ。
仮に、すべてを理解できるほどの能力を持ったプログラマーがいたとしても、同様だ。技術的な面は補えるかもしれないが、ゲー厶フリークでプログラミングをするというのは、それとは違った意味を持つ。企画者が出した仕様をいわれるままに組むのではなく、プログラマー自らも、企画者的視点を持って取り組まねばならない。それがゲー厶フリーク流のやり方なのだ。結局のところ、どこからどのような人材を連れてきたとしても、これまでの経過を知らない他人では手がつけられない。ゲー厶フリークと同じ志を持っていなければ、いいものなど作れはしない。三人が退社するというニュースは、社内に大きな衝撃と動揺を与えた。「なぜ、堪えてくれないんだ! 一緒にここまで頑張ってきたのに!」彼らと同じく、ゲー厶フリークの黎明期を支えてきた杉森は、思わず感情的になって叫んだ。自分だって辛かった。でも、いっかきっと報われる。そう信じて今日までやってきた。それなのに……。裏切られたような気持ちだった。

第1部  ポケットモンスター  74

増田はそれまでの寡黙なイメージ通り、言葉少なく、黙つてうつむいていた。怒りの感情よりも、仲間が去ってしまうことへの悲しみの方が大きかった。
田尻は、当たり前のことだが怒りをあらわにした。もともと感情の起伏が激しい性格でもある。そこに裏切り、失望、様々な想いが交錯し、とても平静を保ってなどいられなかった。だが、それを社員たちの前で表に出すのだけは、辛うじて思い留まった。
三人のプログラマーは、辞めるとはいったものの、いきなり翌日から出社しなくなるということだけはしなかった。それが、彼らに残された最後の良心だったのかもしれない。いつもと変わりなく出社し、プログラムがキリのいい形になるまで、作業を続けた。しかし、これまでのような和気あいあいとした明るい職場の空気は、消え去っていた。社内に染み渡ってしまった感情の渦は、すっかり冷え切って、どこかよそよそしさを感じさせていた。
田尻も、杉森も、そして増田も、無言で自分の作業をこなすだけになった。途中からゲー厶フリークに加わった仲間たちにも、創設メンバーの怒りと悲しみが伝わり、誰もが暗い気持ちで作業に没頭するしかなかった。
会社とはいえ、小さなビルの一部を借りただけのスペースだ。辞めていく彼らが出社してくる以上、日に幾度となく顔を合わせることになる。けれど、社内で彼らと顔を合わせても、どんな言葉を交わせばいいのか——。
朝、顔を見れば挨拶はする。だが、そのあとに続く言葉はみっからない。三人が去っていくことになる日まで、そこはいつものゲー厶フリークではなくなっていた。

75  第2章  ポケモン制作への助走

■増田の決意

もはや、ゲー厶フリークは沈みかけた船だった。毎日の仕事が味気ないものに変わり、残っていたメンバーすらも、急速にやる気を失いはじめていた。
そうした状況のなかで、一人、決意を新たにしている人間があった。
増田順一である。
彼は、当時のゲー厶フリークでは数少ない、会社勤めの経験者だった。そうした経験からか、たとえどのような事情であれ仕事を途中で放り出すという行為に強い嫌悪感を持っていた。また、かつて『クインティ』を作っていたときにも、途中で企画を放り出し、ゲー厶フリークを去っていった人間の存在に、腹立たしいものを感じていた。
増田にとって、そのスター卜は積極的な参加でこそなかったものの、なにかの運命に導かれてこの集団に関わり、みんなの力でここまで大きく育ててきた。それが、ここで終わりになってしまうのだけは耐えられなかった。
「この会社は……ゲー厶フリークだけは、絶対に潰さない!」
増田が田尻に相談をもちかけたのは、プログラマーたちが会社を去って、しばらくしたある日だった。
「社長、いろいろと考えたんですが、僕がシステムエンジニアとプログラマーをやってみようと思うん

第1部  ポケットモンスター  76

です。ここ何年かは、作曲の仕事だけじやなくてコンシューマ・マシン(ファミコンなどの家庭用ゲー厶機)の研究もしてきたし、アセンブラ(ファミコンやゲー厶ボーイなどでプログラムを組むための言語)も勉強もしてきました。だから、僕に、やらせてください」この増田からの申し出は、田尻にとって願ってもないことだつた。
いまゲー厶フリークにとって必要なのは、高度な技術力じゃない。技術は必要最小限のものがあればいい。むしろ、本当に必要なのはそれを補って余りある熱意と、同じ目的意識に向かう志だ。増田ならば、それができる!
田尻は一も二もなく増田の意見を受け入れると、さっそく二人で社内の開発環境の再構築を図ろうとした。
ところが、さらに困ったことが起きた。社内の開発機材をコントロールしていたワークステーションが、突然クラッシュするという最悪の事態が発生したのである!
このなかには、着々と作業を進めていた『ポケットモンスタ—』の全データはもちろんのこと、当面の仕事として取り組んでいたゲームのデータも入っている。このままワークステーションが再起動できなければ、数カ月分の仕事がすべて泡と消えるのだ。
システムを復旧させようにも、このマシンについて詳しい人間はもういない。ワークステーションは通常のパソコンで用いられるOS(オペレーションシステム)とは違い、UNIX(ユニックス)という特殊なものを使用していた。田尻はもちろんのこと、社内で唯一プログラムを理解している増田ですら、UNIXについての知識はほとんど無いに等しかった。

77 第2章ポケモン制作への助走

しかし、もう迷っている場合じやない。増田は猛烈な勢いでUNIXを学んだ。山ほどもある技術書を読み漁った。パソコン通信を通じてUNIXに詳しい人間を探し、たくさんの教えを乞うた。そうしてマシントラブルの原因を突き止めていった―。
ゲー厶フリーク最大の危機は、迷走する会社にとって大きな苦難をもたらしたが、その反面、いくつもの人的財産を得ることにもなった。
その第一は、増田の成長である。
もともとが引つ込み思案で、場合によっては気弱な印象を与えていた彼が、この事件を境にして活発に発言するようになった。たしかに作曲作業だけならば、企画スタッフから提出される指示にしたがって、一日中キーボードに向かって作業をしていれば済むだろう。けれど、プログラムの全体を見渡すシステムエンジニアも務めるためには、企画会議にも出なければならないし、各プログラマーたちのスケジュール管理もしなければならない。そうした壁を乗り越えることで、増田は仕事に対する責任感を強め、プロの技術者としてひとまわり大きくなっていったのだ。
そして第一ーには、杉森もまた成長したことである。
これまで、杉森は正式な社員ではなかった。ゲームフリークが法人化されたとき、田尻は当然のことながら杉森も正社員として加わってくれるのだろうと考えていた。ところが、田尻からの再三の誘いに対して、杉森はなかなか首を縦に振ってくれなかった。ゲームフリークから仕事の依頼があれば、何物にも優先させて引き受けはする。けれど、そのまま会社組織という傘の下に入る気持ちには、ど

第1部  ポケットモンスター  78

うしてもなれなかったのだ。
現在は正式な社員となり、開発部におけるグラフィック部門のリーダーである杉森は、過去を振り返りながらいう。
「あの頃は、やっぱり個人のクリエイターとしての自分に未練があったんですよ。実際 ”ゲームフリークの杉森“ にではなく、”漫画家の杉森建“ あてに仕事の依頼がくることもありました。もちろん、それでも自分がゲー厶フリークの一員であるという気持ちは非常に強かったんですが、会社に入ってしまうと、そういう部分が失われてしまいそうな危機感があったというか……」
そんな杉森も、この事件をきっかけとして少しずつ変わりはじめる。残念な事件ではあったけれど、結果としてみれば、それによって一層ゲー厶フリークに対する愛着と責任感が生まれた。
「自分の立場をあらためて意識した、というんでしょうか。たとえ正社員でなくとも、グラフィックのチーフとしてやっていく限りは、自分にも下の人間(部下)が増えていくわけです。そうすると、彼らに技術的な指導をしなければならないのはもちろん、その他に管理職的な業務も多くなっていきます。以前はそうした仕事をすることに抵抗を感じたりもしましたが、ある時期を境に、それらをすべて背負ったうえで、ゲー厶フリークとしてやっていく決心がついたんです」
考えてみれば、ただの漫画好き、ただのゲー厶好きな学生として過ごしていた自分の運命を変えたのは、偶然手に取った一冊の『ゲー厶フリーク』だった。仕事としてゲー厶に接するようになってからは、いつもゲー厶フリークのメンバーである自分がいた。そして自分の出すアイデアや自分の描く絵を、もっとも効果的に活かしてくれるのが田尻であり、ゲー厶フリークという場であったこと。

79   第2章  ポケモン制作への助走

杉森は、ゲー厶フリークであることが己れのアイデンティティでもあることに、ようやく気づいたのだった。
さらに第三には、田尻の古い友人が「自分の経営している編集プロダクションが経営難で行き詰まつているので、力を貸してほしい」と救済の手を求めてきたことも、ゲー厶フリークにとって幸いした。自分の会社すら危なくなってきているときに、他人の会社を助けてやれる余裕などないはずだったのだが、田尻はそこにひとつの勝算を見た。
その編集プロダクションのスタッフ——書籍編集の経験者たちをゲー厶フリークに迎えることで、出版事業にも力を入れることができるようになる。また、そのプロダクションではコンピュータ関連の仕事を多く経験してきていたため、プログラマーなどの人脈も広く持っている。そこで、田尻はその会社を吸収合併することにした。これにより、ゲー厶フリークでは、あらたに多くの優れた人材を確保することができたのである。

この頃に入社してきたのが、のちに『ポケットモンスタ—』でも重要な役割を果たすことになる太田健程、森本茂樹、藤原基史、松島賢二、西野弘二、渡辺哲也らであった。こうして、いったん、沈みかけていたゲー厶フリークは、新しい仲間を大勢加えることで、再浮上することができた。再浮上したからには、いつまでもそこに立ち止まっているわけにはいかない。確実に前に向かって進んでいくために、やらなければならないことは山のようにある。
田尻は、『ポケットモンスタ—』のプロジェクトをこのまま消滅させないためにも、あえて『ポケットモ

第1部  ポケットモンスター  80

ンスター』を一時中断し、それ以外のゲー厶の制作業務を優先させようと考えた。「自分がいま、いちばん作りたいゲー厶は『ポケットモンスタ—』だ。でも、そのためには他のゲー厶をたくさん作ろう。どんなゲー厶を作るのでも、決して手を抜くことはしない。全力でゲー厶を作り、評価を得る。そして、いっかまた『ポケットモンスタ——』を再開するときのために、少しでも多くの資金を集めておくんだ……」
田尻は『ポケットモンスタ—』のプロジェクトをスタートさせてから完成に導くまでに、八本ものゲー厶を作っている。けれど、その間ひとときたりとも『ポケットモンスタ—』のことを忘れはしなかった——。

81  第2章  ポケモン制作への助走

第1部  ポケットモンスター  82
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