Game Freak/Epilogue

From Poké Sources
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エピローグ

ゲー厶フリークにはまだ見ぬ新しくておもしろいゲー厶のアイデアが眠っている

■”さとし“と”サトシ“

ー九九九年四月二十六日。
新宿・京王プラザホテルの一室で、関係社員だけによるささやかなパーティーが催された。この日は、株式会社ゲー厶フリークが設立されてから、ちようど十年目にあたる。その席上での代表取締役社長、田尻智のスピーチから一部を抜粋してみよう。「--会社が小さい頃は、なんでもひとつひとつ、細かいところまで見て回って、触って、そうやってモノを作るとい一つのが大好きだったのですが、これだけ会社が大きくなってくると、新しく入ってきたスタッフの顔も覚えきらないうちに、また次々と新しい人たちが入ってきます。そういうときに、ちよつとした寂しさと一緒に、会社が益々大きくなったんだなあ、と実感します。そんなことを思っていたら、じつは、まったく同じような逸話をある本で読みました……。それが、四、五十年前

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のソニーでした。
とにかく、なんにもないところからモノを作るということ自体が、当たり前のようでいて、じつは奇跡に近いことでもあります。宇宙ですら、地球ですら、どうやってできたのかはわからない。同じょうに、おもしろいゲー厶なんていうのも、モノなのか、キャラクターなのか、プログラムなのか、そういうことすらもわからない。でも、やらずにはおれない。そういう不思議なものなわけです。ですから、これをまたひとつの区切りとして、次の+年、二十年を目指して、奇跡をモノにしていくような仲間であってほしいと思います——」スピーチのなかで、田尻は「会社が大きくなって」あるいは「次々と新しい人が」と口にしているが、実際にはゲー厶フリークの社員数は、現時点でも三〇人前後といったところだ。これは世間一般の企業からすれば、とても多い数とはいえない。
しかし、社員の数だけを誇るつもりなら、いまのゲー厶フリークの業績をもってすれば、丨〇〇人、ニ〇〇人の増員を図るのは容易なことだ。
だが、ゲー厶フリークではそれをする意思はないという。
なぜなら、ゲー厶フリークがゲー厶フリークであるためには、その志に共感し、一緒にやっていける能力を持った者だけが必要だからだ。
田尻と杉森が出会い、増田がやってきて、そこへたくさんの仲間が集まってきた。残った者もいれば、去っていった者もいる。何人もの人間がゲー厶フリークを通り過ぎていった。それでも十年の時間をかけて、一緒に奇跡を起こせる仲間だけが残っていった。そのことを、田尻は「会社が益々大きくなったんだ」

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という言葉で感慨しているのだ。
かって、田尻は幾度となく次のような言葉を口にしていた。
「僕は、だめなゲー厶が売れることよりも、良質なゲー厶が売れないことの方が、何倍も悔しい--」正直なところ筆者自身も、ゲー厶フリークが作るゲー厶こそが世界で最高のものだ、とは思っていない。それは本人たちも否定しないだろう。けれど、現時点でゲー厶フリークの作るものほど良質なゲー厶は、なかなか見当たらない。
ここでいう”良質さ“とは、作り手の”志の高さ“と言い換えてもいい。
もつとわかりやすくいうなら、ゲー厶フリークが目指しているものは”おもしろいゲー厶“だ。なんの飾りもなく、ただひたすらにおもしろいゲー厶作りを彼らは目指している。けれど、おもしろさというのはそれを受け入れる側の趣味、嗜好によって変わってくる。ゲー厶としてはだめだけれど、おもしろい商品はあるだろう。その反対に、ゲー厶としては良質だけれど、商品としてはおもしろくないものもある。そして”おもしろさ“という不安定な要素は、その時代と流行によって左右される。
ゲー厶フリークが目指しているのは、おもしろくて新しい”良質なゲー厶“である。
これは、世界にはじめてコンピュータゲー厶が出現したときから、少しも変わることのないテーマでもある。いまは、少しぐらいゲー厶の完成度が低くても、キャラクターが魅力的ならば、映像のリアリティが優れていれば、それを”おもしろさ“だとすり替えられてしまいかねない時代だ。
しかし、そんなことがいつまでも続くだろうか?

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目の前にあるビジネスとして、キャラクターや映像優先のゲー厶が売れていっても、それはテレビゲー厶本来の将来にはつながらないのではないか。見た目が地味だとしても、華やかさに欠けていたとしても、遊びの本質を的確にとらえ、良質なゲー厶が売れていかなければ、コンピュータゲー厶という遊びの文化はいずれ滅びていく。
田尻のいう「だめなゲー厶が売れることよりも、良質なゲー厶が売れないことの方が、何倍も悔しい」というのは、そういう意味だ。
ゲー厶フリークは信じていた。ゲー厶が好き好きでたまらない人々--在野のゲー厶フリークたちが、良質なゲー厶の出現を待ち望んでいることを。
ゲー厶フリークは信じていたからこそ、六年間もの長い時間を耐え抜くことができた。
いいゲー厶を作り続けていれば、いっかは必ず売れる。売れるということは、世の中のゲー厶フリークたちに支持されたという証だ。
売れ筋のゲー厶を狙って作るのではなく、自分が売れて欲しいと思うゲー厶、すなわち”良質な“ゲ—厶を作り続けること。それがもっとも成功に近い道であることを、ゲー厶フリークは『ポケットモンス夕—』によって証明した。
学生時代、ゲー厶センターに通い詰めた日々を振り返り、田尻はいう。
「あの頃だったら、もしも親が死んでも僕はゲー厶センターに行っていたでしょう」
それほどゲー厶を愛していた。
たとえ学校や親から禁じられても、それでもゲー厶センターに通い続けるという強固な意志。それは、

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現在のゲー厶フリークの志にも通ずる。
敬愛する宮本茂との対話のなかで、田尻はその決意を表明する。
「私は、自分にとって時代や環境を考えたときに都合がいいからテレビゲー厶を作っているわけではないんです。ゲー厶を芯から愛しているんですよね。だから、これから信じられないような不況があってゲー厶業界が急にしぼむようなことがあっても、ギリギリまで残っていたいという強い意志があります」(『電視遊戯時代』一九九四年ビレッジセンター出版局)十年前、ゲー厶フリークは時代の流れに逆うような、古臭いスタイルのゲー厶作りで名乗りをあげた。それからの十年間、ゲー厶機の性能は少しずつ改良されていった。8ビットが16ビットに、16ビットが32ビットに進化した。CD-ROMの出現でゲー厶容量は飛躍的に大きくなった。そうしたときに、グラフィックの描画能力が向上すれば、ゲー厶も良くなると思い込んだ大勢の人間が、ゲー厶作りの現場にやってきた。彼らの作った作品のうちのいくつかは、ー〇〇万本、ニ〇〇万本のヒット作を生みもした。
その間ゲー厶フリークは、十年前の技術のままでゲー厶を作り続けた。そして、ようやく十年目にして『ポケットモンスター』が、奇跡としかいいようのないヒットを叩き出した。それは、どんなにゲー厶機の性能がよくなっても、遊びの本質はいつまでも変わらないことの証明だ。
開発部部長の増田はいう。
「技術力だけで比較するなら、僕らゲー厶フリークは、決して突出した会社ではありません。もちろん、技術がないばかりにやりたいことができないのでは困ります。でも、技術力というのは、自分

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たちが作りたいと思うゲー厶を実現させるために、必要最低限のレベルであればいいのです」さらに続けて増田はいう。
「いまのゲー厶フリークの立場なら、ソフトの内容だけでなく、メーカーに対して八ードウェア的な提案をしても通ってしまいかねない状況にあります。しかし、そこには落とし穴もあるわけで、ゲー厶フリークとしては、これからもずうっと八ードの性能に左右されないゲー厶作りを目指していきたいと思っています」
ゲー厶フリークというソフトハウスは、その代表作が『ヨッシーのたまご』であったり『ポケットモンスタ—』であったりするために、任天堂専門の下請け会社のように思われることもある。けれど、それが誤解であることは、本書の第1部:ポケモン編「インター・ミッション」を読んでもらえればわかるだろう。ゲー厶フリークは、ゲー厶ボーイのために『ポケットモンスタ—』を作ったのではない。あのとき思いついたアイデアが、ゲー厶ボーイというハードでしか実現できなかったからこそ、ゲー厶ボーイを選んだだけにすぎない。『クリックメディック』のように、メモリーカードでしか実現できないアイデアを思いついたのなら、そのときにはプレイステーションを選択する。ただそれだけのことだ。ハードの性能に左右されないということ。なによりもアイデアを優先させ、そのアイデアを実現させるためのハードは、そののちに選べばいい。必要な技術はあとからついてくる。それが、ゲー厶フリークという集団のアイデンティティだ。
『ポケットモンスタ—』は作者たちの予想を遥かに超えて、巨大なものに成長した。世の中には、テレ

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ビアニメの方が原作なのだと思い込んでいる人も多いと聞く。ゲームの続編である『ポケットモンスター金・銀』を制作している最中には、様々な企業から「早く完成させてもらわないと困る」というような声が寄せられたという。
それでもゲー厶フリークでは、誰のどんな声にも左右されることなく、じっくりと時間をかけて制作に取り組み続けた。その態度は、十数年前に『クインティ』を作っていたときとまったく変わりがない。今後もゲー厶フリークは、変わらぬ立場でゲー厶を作り続けていくだろう。新しくておもしろい遊びを作り続けていくだろう。遊びの本質が変わらない限りは、ゲー厶機の”性能“という呪縛に縛られないゲー厶フリークに、アイデアの源が尽きることはない。
かって、郊外の空き地で昆虫採集に熱中していた”さとし“少年は、草むらの陰に未知の昆虫たちの気配を感じ取っていた。
その昆虫の気配を記憶の奥底に仕舞い込んだまま、さとしはゲー厶クリエイター田尻智へと成長し、やがて様々な気配に満ちた架空の空間を創り出した。
そうしていま、新しい世代の”サトシ“たちは『ポケットモンスタ—』に夢中になり、公園の草むらの陰にポケモンの息づく気配を感じ取っている。
さとしがクワガタ厶シの気配を感じ取っていた町田市の原生林も、サトシがキャタピーの気配を感じ取っているトキワの森も、同じように身近で、同じように無限だ——。

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