A Man Who Created Pokemon/Chapter 2/Column 2: A very short subculture theory

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言つてつくることになったんだけど、まあこれもやっぱり『クインティ』と同じくらいいろんな苦労があってですね(笑)、結局また、ほかのゲームをつくりながら『ポケモン』をつくるハメになる、と。

テレビゲー厶。
ジョン・ウォーターズ。
青山正明の『突然変異』。

——今日のお話を伺ってみて、田尻さんの10代後半からの7、8年ってものすごく濃密だと思うんですよ。当時、ちょうどゲームが昇り坂というか、いわゆるサブカルチャーの中でもちやんと地位を得て、子供のオモチャだけじゃない文化現象にまでなっていく過程がひとつあって。しかも、田尻さん自身のナムコとかミニコミ文化に対する思い入れもあって、そういういろんなものの総決算がゲームフリークの創立に繋がっていくのかな、と。
田尻: そうだね。
——『クインティ』の発売までっていうのは、それこそ仕事もプライベートもゲームどっふりだったんですか?
田尻: まあ、ゲームが一番好きだったことは確かだけど、当時のサブカルチャーを中心とした全般が好きだったんだよね。(1冊の本を指して)、これは僕が一番大事にしているジョン•ウォーターズの自伝なんだけど。(※86)
——うわ一、これは面白そうですね。
田尻: この本が、結構、僕の精神的バイブルというか(笑)。この本の中で、ジョン・ウォー夕ーズが「ショツクは人を笑わせる」って書いてるんだけど、それは要するに、退屈な人間が一番ショツクなんだってい、つことなんだよね。それを具体的に表現するときに彼が選んだのは映画だった、と。『クインティ』をつくってるときにも、〃人間がショツクだ〃とい、つことがどういうことなのか、しばしば思い出してたテーマだったわけ。それは、『クインティ』に出てくるキャラクターがモンスターではなくて、人間に統一されてるってことに反映しているんだけども、つまり人間こそが退屈でありながら一番ショツクで面白いんだ、と。ちよつと多層

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※86: 原題は『Shock Value: A Tasteful Book About Bad Taste』。柳下毅一郎による翻訳『ジョン・ウォー夕ーズの悪趣味映画作法』(青土社)もあるが、現在は残念ながら絶版。アメリカ社会の〃Bad〃な側面を通しながら、『ピンク•フラミンゴ』を生み出した監督、ジョン•ウォーターズの生涯を追う。

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化した話なんだけれども、それをゲームで表現するってのはどういうことなのか考えてて、キヤラクターはやっぱり全部、人間に統一しよう、人間の不思議な動きにこだわろう、と思ったんだよ。だから、コサックダンスを踊り狂うとか、ただ歩いているように見えるけど、実は裸でネクタイをしているんだとか。ネクタイをしてれば、裸でも仕事をしているように見えるだろうか……とか、そういうことを考えて。
——『クインティ』がそんなゲームだなんて、全然気づかなかった(笑)。
田尻: ストレートな影響とい、つのとはちよつと違うんだけども、それでも得たものはあったっていう。あと「ゲームフリーク」をつくろうと思ったきっかけは、(1冊の本を指して)この「突然変異」っていうミニコミ。まさに僕が高校生くらいのときに1号、2号、3号と出た本。しばらくしてから4号が出て、それで終わったんだけど。
——ああ! 青山正明さんが慶応時代につくったミニコミですね。(※87) 本物を見るのは、初めてだなあ。
田尻: 僕はこれを町田の本屋で見つけて、非常にショックを受けたんだよね。青山さんの書く文章があまりにも面白くて、俺も将来、文章を書くんだったら、こんな文章が書けるような男になりたいと思ったんですよ。実は、高校のときに一番尊敬してたのは青山さん。
——お会いになったことはあるんですか?
田尻: ええ。僕は今、離婚しているんですけど、結婚してたとき、しばらくの間、吉祥寺に住んでたんですよ。で、前の奥さんが編集の仕事をしてた関係で、会えることになって。「すごい尊敬しているんだ」ってしよつちゅう言ってたもんだから。
——本人とお会いして、どうでした?
田尻: う一ん。人柄自体は非常に柔らかいというか、普通というか。でも、非常に頭の回転が速い人だから。頭の中でまわっているものは見えないわけだけども(笑)。
——でも、この「突然変異」は、本当に出たばっかりのときに買ったって感じですよね。
田尻: そうですね。だから当時は、どうやればこ、つい、つレベルのミニコミをつくれるのかわか

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※87: '60年、神奈川県生まれ。ライター、編集者。慶応大学在学中にキャンパスマガジン「突然変異」を編集・執筆。卒業後は別冊宝島の「気持ちいい薬」や「裏ハワイ読本」などを編集。またエロ、グロ、ドラッグ、オカルトなど、いわゆる〃鬼畜系〃と総括されるジャンルを切り拓いた功績で知られる。鶴見済や村崎百郎といったライター陣にいち早く目をつけ、デビューのきっかけを与えている点も注目に値する。91年6月、他界。

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らないんだけれど、やればできるんだと。書きたいとか、つくりたいことがあれば、できる。こういうことをやっている人もいるんだって、そういう自分の向上心に火をつけてくれたというかね。その一方で、『フリークス』っていう映画がハードらしいって聞いて、観に行く。(※88) その上映会で同時にかかったのが『ピンク•フラミンゴ』だつたんだよね。当時は『ピンク・フラミンゴ』のことを知らなくて、最初に『フリークス』を観て「、つ一ん、なるほど、こ、つい、つ映画か」って思ってたら、その後、ノーカツトの字幕なしで……。
——あはは(笑)。
田尻: 最初、観たときは、ドキュメンタリーなのかと思った(笑)。アメリカってい、つのは、こういう奇妙な人たちが住んでいる国なんだと思ってさ(笑)。本当に、ショックを受けた。人生の中でも、これが一番のショツクでしたね。「こういう映画です」って説明を事前に受けてたら、また印象は違ったと思、つんだけど。
——何も知らずに見に行って……。
田尻: なんか、宣伝に「フリーク映画の饗宴」って書いてあったからさ(笑)。あと、この監督自体の生き様自体も結構、僕の参考になってるんだよね。たとえば〃ジョン〃ってい、つのは俗語でトイレの意味で、〃ウォータ—ズ〃は水。つまり〃便所の水〃っていう本名。それで俺は〃田尻〃じゃない?そういう部分で結構シンパシーを感じたりしてたんだな(笑)。
——ああ、なるほど(笑)。
田尻: あと、ジョン•ウォータ—ズの生まれたボルチモアって、ニューヨークからちよつと離れた郊外都市なんだよね。郊外都市っていうのは、退屈な日常を送ろうと思えばいくらでも送れてしま、つよ、つな環境なわけ。結局のところ、そういう退屈な場所で「何を面白いと思うか」「何から面白さを見い出していくか?」だと思、つんだよね。そこを描くのが、ジョン•ウォー夕—ズはかなり上手い。僕自身も、東京の町田出身で、郊外都市の典型みたいな場所で育った。それも僕が育ったころは、それこそ東京の盲腸みたいなところだったからね。

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※88: '32年、怪奇映画のヒット作をいくつも手掛けていた映画監督トツド•ブラウニングのカルトクラシツク(邦題は『フリークス神の子ら』あるいは『フリークス怪物團』)。次々と登場する見世物小屋の芸人たちと、彼らが繰り広げられる芸の数々は観客に大きなショックを与え、公開されるや否や各地で上映禁止に。その結果、ブラウニングの映画人としての生命は断たれることになる。

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