Magic of Pokemon/p157

From Poké Sources
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をめぐって展開されたビジネス競争は、俗に「次世代機戦争」と呼ばれた。「次世代」という言葉の使われ方から、従来の家庭用ゲームのデザインの方法論に対する限界の自覚と、この限界状況を一新しようとする意思をうかがうこともできるだろう。
ここでいう「限界」とはどういうものであるか。それは、これまで当たり前だった、平面上に組まれるゲームシステムで、新しくできることがなくなってきていた、ということである。
このことを比較的正しく認識したうえで、ー九九四年十一月に新マシンを発売した「サターン」のセガ、一月遅れでこれに続いたヲレイステーション」のソニー、九六年六月に『NINTENDO 64』を投じた任天堂は、いずれも限界状況の克服手段として、立体表現に着目していた。この三社は現在に至るまで、これらのハードによる三つ巴のポスト「スーファミ」競争を続けるにいたっている。かたや、この時期に市場に参入しながら、立体表現にあまり着目しなかった、パイオニア、松下電器産業、アタリ、日本電気、バンダイなどのメーカーは、じきにこのマシン市場から姿を消していくことになった。

対戦格闘ゲー厶ブー厶

ー九九一年、カプコンが発売した『ストリートファイタ—2』の発売を皮切りに、全国規模で対戦格闘ゲームブームが巻き起こった。このブーム以降、ゲームセン夕—のゲームの大半がこの種の対戦ゲームという状況が生じてくる。その背景には、ちょうど家庭用ゲーム機において平面表現によるゲームデザインが限界を迎えだしたのと同様の事情があった。この頃の業務用ゲーム機においては、今まで主流であった一人用ゲームのマンネリ化が続いていたのである。ここに二人用ゲームとして遊べるだけの高品質な対戦ゲームが登場した結果、ヒットにいたったわけである。
対戦格闘ゲームブームは、ー九九四年にセガが発売した『バーチヤファイター』シリーズによつて、より加速していくことになつたが、翌九五年に発売された『バーチャファイター2』のブームをピークとして、やがて収縮に向かう。

『ミニテトリン』と『たまごっち』

ー九九六年、どこからともなく『ミニテトリン』と名づけられたキーホルダー型のミニゲーム機が出回りだし、ほどなくブームとなった。これはゲーム内容こそ『テトリス』とそっくりだが、版権者に許諾を得て作られた純正品ではない。もともとは、今より三年前から中国の海賊業者が製造し出回らせていたものを、日本の輸入代理店が取り扱いはじめ、免税店などで売りに出されるようになったものである。
こうしたキーホルダー型ミニゲームは、テレビゲームとして目新しい要素がとくにあるわけではない。むしろその「目新しくなさ」ゆえの親しみやすさ、取り扱いやすさが、手頃なサイズとともに受けているフシすらうかがえる。『ミニテトリン』が売れたことは、すでにテレビゲームそのものが、特別に新奇でも有害でもない普通の生活娯楽として、多くの人々に広く浅く受け入れられるようになっている証といえるだろう。『ミニテトリン』の小ブームが終わりを迎えつつあった一九九六年十一月、バンダイから携帯ゲームならぬ「携帯ペット」『たまごっち』が発売される。『ミニテトリン』のブームが、わりと静かなものであったのに対し、こちらの場合はかなりの過熱状態が生じた。販売当初から翌年の春先にかけて極端な品薄状態が続いたことも原因のひとつであろう。一時はこの状況を逆手に取った露天商が、どこからともなく仕入れてきた純正品を時価で販売してしまう、などという珍事も見られたくらいである。

「ポケモン」ブー厶

本書を参照のこと。

157  PART-3▶テレビとゲームの時代

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