Magic of Pokemon/p130

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七〇年代のゲー厶センターから始まる
「ポケモン」誕生物語
『ポケモン』制作者・田尻智とその時代

佐藤哲服

「彼のコントローラーを持つ手がきれいだと思った。ゲームが終わってコントローラーを置くときにも、彼はけっして放りなげたりしない。慈しむように置く」現在、〃ゲームアナリスト〃として知られる平林久和は、田尻智の印象をこう語る。当時平林は、雨後の筍のごとく乱立したファミコン専門雑誌の辣腕編集者であり、田尻は彼の雑誌の看板ライタ—であった。それから十年余、八〇年代教養人特有の、もったいつけた語り口を残す平林が、ある畏敬の念をもって田尻の掌を見つめていたのは、当時のJICC出版局(現・宝島社)にあった黎明期の『ファミコン必勝本』編集部であったり、〃男の部屋にしてはやけに整えられた〃田尻のアパートだったかもしれない。当時、田尻の部屋や後に旗揚げするゲームフリークのオフィスの片隅には、古いアーケードゲームの基盤や頑丈な箧体(テーブル)が、うずたかく積み上げられていた。

▶| 「ファーブル先生にあこがれた」少年の小宇宙

一九六五年(昭和四十年)、田尻智は東京都町田市に生まれた。町田市は、東西に長い東京都の中心あたり、南側に向かって楔のように穿たれた街だ。市の南寄りの台地には小田急線とJR横浜線が乗り入れ、市街の中心部を占める。東京寄りの北部には里山地帯が拡がり、新興住宅地、大学の郊外キャンパス、ゴルフ場が散在している。町田駅の北口を出て、市役所から東側へなだらかな坂をーキロほど下ったところに、田尻智が少年時代を過ごした南大谷地区がある。盆地の中央には護岸工事に肩をすぼめた恩田川が流れ、北東のなだらかな丘には正保二年建立の天神社が鎮座する。境内に、維新まで別当をつとめた普化宗の虚無僧寺跡があるのは珍しい。
田尻は両親と三歳下の妹とともに、都営住宅に暮らしていた。
「家の近くには畑とかあって、ザリガニとか、虫とか、死ぬほどいた。だから僕はゲ—ムに出会わなかったら、ファーブル先生に憧れて、昆虫博士になっちゃうようなタ

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