Magic of Pokemon/p128

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にとってどんなに違和感のある環境でも、今後の子どもたちが生きてゆく現実はそのような〃情報〃消費の無重量状態らしいから、親として子どもの将来を思えば、それに今から慣れさせておきたい」という意見が出る。気持ちはよくわかる。だが、〃情報〃エリートとしての子どもたちが偏差値教育的世界観になじみやすいのは確かだとしても、すべての子どもたちがそのような現実で生きてゆけるわけでもない。さらに、そのような現実だけが日本のすべてになるわけではないし、もっと言えば、世界のすべてになるわけではなおのこと、絶対にない。
よい暮らし、安定した収入といった状態が当座、そのような〃情報〃エリートのためのものになってゆく、そのシステムがこの先さらに強化されてゆくことはひとまず間違いないだろうが、それでも、すべての国民が一律にそれをめざすことが幸せな未来につながるとは僕には思えない。そういう〃情報〃とつきあえないと友だちがいなくなる、というもっと素朴な懸念もある。ならば、そのような友だちしかいないなかで、なお自らを保ちながらつきあえる程度の知恵をつけることも必要だという考え方もある、と言おう。何より、言葉本来の意味での「個人」や「個性」とは、そのように自らを保つ知恵なしではあり得ないのではなかったか。
いずれ苦しい理屈であることは百も承知だ。だが、「子どものために」を、その子どもとは違う価値観、違う立場からはっきり考えようとしてみせる、そんな大人のいなくなった〈いま・ここ〉が、僕はやはり不安なのだ。
もちろん、自分でもまだよくわからない感覚や欲望を刺激されるままにシールやワッペンに血道をあげ、怪獣の名前やスペックを暗記して〃情報〃の量を競ったかっての「未来を担う世代」のなれの果てとしては、そのような子ども時代を過ごしたことが幸せだったかどうか、と尋ねられても、だからと言って不幸せではなかった、ああいう「豊かさ」のなかで育ったことは幸せだった、と言うしかない。
けれども今、自身が親の世代となったときにその位置から見えてしまう「未来」の光景には、やはり〈いま・ここ〉からいくばくかの責任をとろうとしなければならないだろうと、改めて思うのだ。

■参考文献 (文中のおもな引用関係のみ)
・和田泰治「ポケモン、ミニ四駆で『コロコロコミック』の大膨張」(『創』ー九九七年八月号)
・佐藤雅彦×田尻智「テレビゲーム進化論」(『広告批評』ー九九七年一月号)
・田尻智(インタビュー)「インベーダー少年だった僕が、二三歳で会社をつくった理由」(『日経アントレ』ー九九七年七月号)

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