A Man Who Created Pokemon/p21

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COLUMN 01 - 80年代のテレビゲー厶

このインタビュー中で何度も触れられているように、'78年に発売され、翌年には日本中で大ブー厶を巻き起こした『スペースインベーダー』は、内容はもちろんのこと、その後のテレビゲー厶の発展の基盤をつくりあげたという意味で、非常に意義深い作品でもある。『スペースインベーダー』は類似品やコピー品を大量に生み出した。セガ、任天堂など、多くのメーカーが〃インベーダーブー厶〃に乗る形でこの時期にテレビゲー厶業界(というものは当時は存在していなかったが)へ参入を始めている。それはつまり『インベーダー』の模倣と洗練のなかから、日本のテレビゲームが生まれてきたということを裏書きしてもいる。
そんなインべーダーブー厶と並行して、日本のテレビゲームの基礎をつくったといえるのが、70年代末から始まっていた〃マイコンブー厶〃だ。それまでは大学の研究室などでしか触ることのできなかった高価なコンピュータを、自宅で好きなだけいじることができる、という衝撃。'77年にはアップルⅡ、'79年には国産初の民生機(NECのPC-8001)、そして'81年にはIBM PCと8001の後継機であるPC-8801(NEC)が発売。BASICのプログラムを掲載した専門誌が書店に並び、多くのアマチュアプログラマーたちが腕を競う。コンピュータという新しい文化に対する技術とセンスは、そうした流れのなかで着実に育まれていった。
そして'83年。テレビゲー厶の世界に旋風を巻き起こす1台の家庭用ゲー厶機が発売される。任天堂の「ファミリーコンピュータ」。ロムカートリッジでソフト供給をする、リーズナブルなパソコンとでもいえる商品はいくつか存在していたが、徹底的にゲームに特化した設計、驚異的な低価格、それより何よりアーケードのゲー厶を〃そのまま〃再現する性能など、他を圧倒するだけの衝撃を持つていた「ファミコン」は、瞬く間に日本中の家庭へと広がっていく。もちろんその原動力となったのは、アーケードで試行錯誤を繰り返していた有力メーカー——任天堂やナムコ、コナミ、タイトーなどからリリースされたソフト群だった。『パツクマン』や『ギヤラクシアン』『ゼビウス』『スクランブル』『ドンキーコング』『エキサイトバイク』そして『スーパーマリオブラザーズ』……。おもちやでありながら、同時にコンピュータでもあり、そして何よりも〃テレビゲー厶"というものの存在。ちようどベビーブーマーたちが思春期に入る頃に巻き起こった〃ファミコンブー厶〃は、70年代末からの一連の流れを決算するに相応しい舞台を用意した。以降、テレビゲームはファミコンを中心にしながら、その表現技法やシステムをひたすらに洗練させていく。たとえば、堀井雄二、中村光一、鳥山明といった豪華メンバーが集結した国産初のRPG『ドラゴンクエス卜』。あるいは、任天堂/アイレムの『スパルタンX』を噫矢とするキャラクターゲー厶の系譜……。さまざまな試みがなされ、作品がリリースされるごとに〃テレビゲー厶"の世界は広がっていく。黎明期にふさわしい熱気に満ちた展開は、文化としてもビジネスとしても、大きな流れを作り出すに至ったのだ。

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