Secrets of Pokemon/Chapter 2: Individual sensitivity that transcends organizational agendas

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第2章

組織の思惑を超える
個の感性

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ハードの性能を凌ぐソフトの魅力

ゲー厶ボーイの特性を生かす
ファミリーコンピュータ、通称ファミコンが誕生したのが1983年、すでに15年の歳月が流れている。
ゲームセンターに行かなくても、テレビに端末を繫ぐだけでゲームができるので、子供たちは夢中になった。くる日もくる日もテレビ画面に釘づけになっている子供を見て、親たちは心配しそして怒った。
「ゲームばかりやっていないで、勉強しなさい」
「そんなにゲームばかりやっていると目が悪くなる」

31  組織の思惑を超える個の感性

[[IMAGE CAPTION|
ゲー厶ボーイ
(任天堂)
ゲームウォッチを超える携帯ゲーム機として1989年に登場。ゲームカセット(ソフト)はゲームボーイポケットにも対応。8000円
]]

--- MAIN TEXT ---
そうした親の心配をよそに子供たちはテレビゲームの虜になり、テレビゲームをやっていなければ友達同士の会話にも入っていけないような状態になっていた。
このファミコンを発売している任天堂から発売されたのが、『ゲームボーイ』。
ゲームボーイというのは、いつでもどこでも取り出して、すぐに遊べるという携帯型のゲーム機である。発売されたばかりのゲームボ——イは、大きさが15センチ近くあり厚みもあったので、身につけて歩くことこそできなかったが、それでも子供たちのリュックや力バンには入る大きさなので人気を呼び、電車のなかや公園、学校など色々な場所でゲームする子供たちの姿が見られた。
いつでも、どこでも、ゲームができ、しかもいつでもやめられるように、ソフトは『テトリス』などのパズル性の高いものか、『スペースインベーダー』のようなシューティングものが人気だった^早く勝負がっく、というのもゲームボーイのソフ

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[[IMAGE CAPTION|
ゲームボーイポケット
(任天堂)
ポケットサイズのゲームボーイ。カラーはクリアパープル等7種類ある。5800円
]]

--- MAIN TEXT ---
卜として求められる要素だったのである。
ゲームボーイには、機能としてもうひとつの特徴があった。通信ケーブルの端子がついており、別売りの通信ケーブルで友達のゲームボーイと接続すれば対戦ができる。ファミコンが、モニタ—と自分が向き合って機械とのみ対戦するのに対して、ゲームボーイは人間と対戦できるのである。つまりテレビの中にはまりこみ、コンピュータ—と話をしていた子供が、人間と向き合うことができる。
たしかにそれまでもファミコンによって、子供たちのコミュニケーションが保たれていた。しかし、それはゲームの攻略法や点数を競うといったゲームを媒介としたもの。話題の一つというか、共通認識でしかなかった。ところが、通信ケーブルを使うことによって、ゲームボーイというツールを通して、友達同士で直接コミュニケーションができる。しかし結果は、はかばかしいものではなかった。ゲームボーイの本体もソフトも売れたのだが、実際に子供同士でケーブル

33  組織の思惑を超える個の感性

[[IMAGE CAPTION|
通信ケーブル
(任天堂)
ゲ—ムボーイやゲームボーイポケット同士を接続する通信ケーブル。ポケモンでの対戦や交換に欠かせない周辺機器だ。1500円
]]

--- MAIN TEXT ---
を繫ぎ対戦する姿はあまり見ることができなかった。なぜならば、コンピュータ—と対戦するだけでもゲームは成立するわけで、わざわざ友達と時間を示し合わせて対戦をするという必然性がなかったのだ。その通信機能を使わなくても遊ぶことができるならば、どうしてわざわざ友達と対戦する必要があるだろうか。
しかも、ゲームボーイの特性は、携帯型なので、いつでも、どこでも、好きなときにゲームをスタ—卜して、好きなときにやめられるということが売り物だった。友達との対戦という行為は、その基本コンセプトからも外れるものだった。テレビゲームは搭載しているCPUの能力が上がり、色やスピード、ソフトの複雑性などが飛躍的に向上した。鮮やかな色、スピード溢れる画面に対して、ゲームボーイは相変わらず、小さなモノクロ画面。32X32ドット絵で、色調も4階調しかない。3Dゲームをやるのはかなり難しい。ゲームに対して目の肥えた子供たちにとって、ゲームボーイの画面は、決して魅力的な

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ものではない。
昔モノクロテレビからカラーテレビに変わったとき、その画面のすばらしさに感嘆したことがあったが、ゲームの世界のドットと3Dの間には、カラーテレビ登場以上の性能の差がある。ポケット モンスタ—は、ゲームボーイのソフトである。しかも、900万本も売れているという、コンピュータ—ゲーム最大のヒットソフトだ。
どうしてこれほどの人気を獲得できたのか。ハードの性能だけを比べたらとても太刀打ちできないはずだが、子供を夢中にしてやまないソフトの魅力があるのでは。たしかに、そのソフトの誕生の陰には、ゲーム界で天才と称されている、一人の男の存在があった。

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形ないものに感じる喜びが創造の源

ポケモンへの胎動〜対戦から交換への発想
「対戦するだけじやなくて、ゲ——ムの中で集めたもの、お金とか、アイテムみたいなものを通信ケーブルを使って自分から友達へ、友達から自分へと交換するような遊びを作ったら面白いんじゃないかな」
ゲームボーイのソフト開発のアイデアについてブレーンスト—ミングしていた時、ゲームフリークの田尻智がポツリともらした。
「線で繫がっているから、その間を物が通っていけるでしょ

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[[IMAGE CAPTION|
川口孝司(かわぐちたかし)
/任天堂総務部部長代理。
クリーチャーズ設立に参画し、その監査役も兼務している。ポケモン開発にあたり両社のパイプ役を務める
]]

--- MAIN TEXT ---
う」
と、田尻が続けたのを、当時任天堂の総務担当だった川口孝司は昨日のことのようによく覚えているという。この田尻の一言がきっかけとなって、ポケモンは誕生した。田尻智、1965年生まれの32歳。ポケット モンスタ—のソフト制作を行なった、株式会社ゲームフリークの代表取締役社長。
ゲームの世界では、典型的な天才型ゲームクリエータ—といわれている。
田尻がゲームに出会ったのは、中学2年生の時。東京郊外の町田市に生まれ、ごく普通の中学生として過ごしていた彼は、友達から駅前のゲームセンタ—に誘われた。当時はスペースインベーダーゲームの全盛期で、テーブル型の機械の前でレバーとボタンを巧みに操り、押し寄せるインベーダーを打ち落とすのに熱中する子供たちが大勢いた。田尻が戸惑いながらもゲーム機の前に座ると、友達が百円玉を入れてくれた。

37  組の思惑を超える個の感性

「最初の1回は、やらせてやるよ」
友達のこの言葉が、人生にとってこれほどの影響をもつものだとは、田尻本人も思っていなかったに違いない。夢中になってインベーダーを撃墜した田尻は、その1回の体験だけでゲ—ムに引き込まれてゆく。それまでは、お金を入れて遊んで、それでおしまいというのが虚しいと思っていた。ところが終わってみたら、初めてとは思えないほどの高得点をマ—クして、しかもそこに感じた「面白さ」。
形の無いものに価値を感じる遊びの魅力が何であるか、その魅力をなんとか言葉で説明したい、そういう思いに取り憑かれゲームセンタ—に毎日通った。
それがやがて自分でゲームを創造するという欲求になり、っいに中学3年の時ソフト会社が主催するゲームアイデアコンテストに応募する。
「遊ぶ」から、もっと面白いものを創造するという形で、ゲームにはまりこんでゆく。

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田尻の名前が、ゲームマニアの間で広く知れわたるようになったのは、自身で編集、発行した『ゲームフリーク』誌からである。
ゲームの攻略法をイラスト入りで解説したり、ゲーム評を書いた隔月刊の雑誌で、これが口コミで広がり、定期購読の部数が伸びていった。「ゼビウス1000万点への解法」という号は、ついに1万部を突破して、田尻智という名前はゲームマニアはもとより、ゲーム会社や出版社にも広く知れわたった。これを機に、一般のゲーム雑誌に執筆するなどライターとして活動することになる。
一方で、メーカーに一切依存しない日本で初めてのインディ—ズのファミコンソフト『クインティ』を自主開発した。『クインティ』をナムコに持ち込むと発売が決まった。発売本数20万本。このヒットによりゲームフリークは会社組織になった。この時田尻は、23歳。

39  組織の思惑を超える個の感性

嫌なことを我慢して続けるより、自分のコンセプトを貫き通す

ポケモン誕生までの6年

ゲームフリークは現在、社員が22名、その内17、18人がクリエータ—というゲームソフトの開発会社である。
ゲーム開発には、プログラマーとグラフィックデザイナーと企画、それを指示するディレクタ—という10名前後のチームであたる。ポケモンの場合は、田尻がディレクションを行ない、その一言をもとにそれぞれのスタッフが作ってゆくというスタイルで開発がすすんでいった。このソフトは開発着手から完成までに6年も経過している。

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もちろん、途中中断した時期も含まれているので6年丸々ひとつのソフト制作にかかっていたわけではない。
「ゲームの中で集めたものを友達同士で交換したら、おもしろいんじやないか」
というアイデアをゲームに落とし込むまでに、これだけの年月がかかったのである。
通常、ゲーム開発にあたっては、ゲームの内容・仕様とともに遊ばれ方の光景まで盛りこまれた企画書がゲーム会社に提出される。これをもとにオーケーとなれば、契約が結ばれ開発がはじまる。
ポケモンも任天堂とゲームフリークの間で、契約書がかわされた。納期は91年末、開発資金はごく一般的な金額だったという。
「交換」というキーワードの大本は、実は田尻が子供のころに熱中した昆虫採集にある。いまでこそ開発が進み、大型のデパ—卜が進出し新興住宅街として人口が急増している町田市であ

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るが、当時はまだ田園や野原など自然がふんだんにある地域だった。そこで育った田尻は、他の少年と同じように野山で虫を採り、川で魚を捕まえてはその成果を友達に自慢したり、友達と成果を交換して遊ぶような少年時代を過ごした。その時感じた楽しさに、子供時代に誰もが一度は体験するキャラクタ—力—ドのコレクションという要素を加え、さらに当時人気だったウルトラマンの怪獣のイメージを重ねあわせたもの、これがポケモンの大まかなイメージだという。
田尻は、少年時代に体験した知的刺激の記憶をゲームという形で、現代に蘇らせている。
同時にゲームボーイは、「対戦」から「交換」というキーワ—ドによって、新たな展開を迎えたわけである。開発当初は『カプセルモンスタ—』と呼ばれていた。カプセルの中に物を入れて、自分のところからケーブルを通して、相手のゲームボーイの中にポトンと落ちるところを見せてあげたら、あたかもそのケーブルの中を通って物が移動する

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のが実感できる。もちろん、相手に移動したのだから自分の物はなくなる。つまりプログラム上は、消滅するように作ることができれば、昔、子供の頃にやったような昆虫の交換が現代の子供でも体験できる。田尻はこう考えた。
遊びを創造するのは厳しい仕事である
プロデューサー登場
ゲームの開発には、開発グループの他に通常プロデューサーが存在する。
ポケモンは、現在、株式会社クリーチャーズの代表である石原恒和が、開発当初からプロデューサーとしてかかわっている。

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[[IMAGE CAPTION|
石原恒和(いしはらつねかず)/クリーチャーズ代表取締役。83年筑波大大学院芸術研究科修了後、ゲーム、テレビ、本などのプロデュースを一貫して手がける
]]

--- MAIN TEXT ---
石原は自身でも『MOTHER 2』や『MONOPOLY』などの数多くのゲーム開発に携わったり、カードゲームを開発するなどクリエータ—としても活動していた。石原は田尻の存在をかなり前から注目しており、ポケモンに関しては企画書を任天堂に提出する段階からかかわっている。クリーチャーズは、ポケモンの展開をすすめる会社として、ソフト発売に合わせ石原が独立しておこした会社である。プロデューサーの仕事は、映画もテレビも音楽もそしてゲームも同じであるが、予算管理、スタッフ管理、時間管理、進行管理が主な仕事である。
ポケモンの当初の契約では、1年後の91年末が納期となっていた。もちろん、とても出来上がるものではない。石原はポケモン以外にも10件ほど、開発案件が同時進行しており、ポケモンだけにかかわっているわけにはいかなかった。納期はとっくにすぎ、開発資金として最初に渡っていた資金も底をつき、開発続行は事実上不可能な状況になっていた。

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例えばテレビ番組ならば、多少仕上がりが悪くても、放送日やスポンサーが決まっているので、見切り発車で放映することが必要かもしれない。音楽でもアルバムとしての完成度が高くなくても、アーティストのネームバリューである程度のセールスが見込めるので発売するということはままある。
「今回の楽曲は、ちよつと今イチだね」
の一言ですんでしまうところがある。プロデューサーの責任も、それほど問われないかもしれない。
ところがゲームは、見切り発車や間に合わせがきかない。ゲームは「面白い」か「面白くない」かふたつに一つしかない。1か0というデジタル発想が、ゲーマーのひとりひとりに厳然と存在するのがゲームなのである。
物を買おうという動機は、製品が好きだという理由の他に、ブランドものだから、値段が安いから、取りあえず必要だからというように、物の品質にかかわる以外の要素に左右されることが多い。しかし、ゲームはそれがきかない。

45  組織の思惑を超える個の感性

「面白い」となったら、3000円の物が4000円になっても、商品に殺到する。ところが、「面白くない」ものには見向きもしない。しかも、開発に億を越す資金を投入し、発売にあたってはメディアを総動員して宣伝を行なう1本のソフトには、多額の投資がなされているため、妥協による失敗は許されない。ポケモンは開発から日の目を見るまでに6年の歳月が流れているが、実際には途中3年以上ブランクがある。開発資金が底をついたので、他のソフトを開発しなければ、開発者の田尻が社長を務めるゲームフリーク自体の存続も危うくなる状況だったのだ。

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やってみることで成功の扉は開く

RPGの弱点を補う発見

ゲームボーイは、いつでも、どこでもはじめられ、好きなときにやめられるように、パズルやシューテング系のソフトが多く、ストーリー性のあるRPG系は全体の1割以下である。任天堂の川口は、RPGは難しいという。
RPGは最初弱いレベルからスタ—卜して、単純作業を繰り返してレベルを上げてゆく。対戦して相手を倒して、お金を蓄めて、武器を買ったり、強いワザを身につけたりということをして進んでゆく。中盤は面白いが、後半になると今まで以上に

47  組織の思惑を超える個の感性

[[IMAGE CAPTION|
ポケットモンスター
ピカチュウ
かわいらしさで、知名度、人気ともにNo.Iとなったねずみポケモン。赤いほっペは実は電気袋。進化するとライチュウになる
]]

--- MAIN TEXT ---
強い敵が登場するので、それと戦うためには自分も強くする必要があり、またも単純作業を繰り返さなければならない。RPGは、最初と最後がつまらないという特性を内包している。だから、最後に出てきたボスをやつつけると、ゲーマーはもうー度同じゲームをやろうとは思わない。
ポケモンも、RPGなのでその要素をもっている。行く先々で出会うモンスタ—と戦いながらそのモンスタ—をゲット(捕獲)してゆく。しかし、ポケモンが他のRPGと決定的に違うのは、151匹の自分のモンスタ—図鑑を完成させるというコレクションの要素もあるという点である。
ポケモン図鑑というアイデアは、「発明」といってもいいかもしれない。
自分がゲットしたポケモンを登録すると、モンスタ—はそれぞれ鳴き声を発する。RPGは終わっても、まだ自分が見つけていないモンスタ—をゲツトするという楽しみがあるので、もう一度最初からやって、探すという楽しみがある。つまりポケ

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[[IMAGE CAPTION|
ポケットモンスター
コクーン
けむしポケモンのビードルから進イ匕したさなぎポケモン。このあとさらに進イ匕して毒蜂ポケモンのスピアーになるまで攻撃できない
]]

--- MAIN TEXT ---
モン図鑑というアイデアが、RPGの弱点をカバーしたわけである。
しかも、そのモンスタ—はイモムシがサナギになり、やがて成虫になるのと同じように、「進化」してだんだん強いモンス夕—になるように作られている。モンスタ—の中には、別のゲ—ムボーイと通信しなければ「進化」できないものもある。つまり通信ケーブルによる「交換」が、ポケモン図鑑完成の前提となっているのだ。ここがそれまでの「対戦」とは、通信ケーブルの使い方において違うところである。
また、子供によっては、どうしてもほしいモンスタ—を手に入れることができない子供もいる。その場合、同じモンスタ—を何匹もゲツトしている友達と、自分のモンスタ—を「交換」してもらうこともできる。
「ねえ、きみのピカチュウとぼくのコクーンと取り替えない?」
といった会話が、交わされることになるのだ。

49  組織の思惑を超える個の感性

3年ちよつとのブランクのあと、ついに1995年には大枠ができつつあった。その時点では、1本のソフトで発売されることになっていた。

必然性の創造がビジネスチャンスにつながる

赤・緑同時に2本発売
ところが任天堂の現・情報開発部部長の宮本茂が、とんでもないことを言い出した。
「せっかく交換するのだから、ソフトも赤と緑の2本出してみたら」
つまりひとつのソフトでは、入っていないモンスタ—がある

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[[IMAGE CAPTION|
コレがゲー厶ボーイ用ゲー厶カセット(ソフト)『ポケツトモンスター緑』(右)、『ポケットモンスター赤』(左)だ! 各3900円
]]

--- MAIN TEXT ---
ので、ひとりの子供が『赤』のソフトを買い、友達が『緑』を買って、お互いに出てこないモンスタ—を通信ケーブルで交換すればいいという。それに加えて、モンスタ—によって、出現頻度や確率を変えて、ゲットしやすいモンスタ—やなかなか出てこない幻のモンスタ—を作ろうとい、っことになった。ゲームフリークでは、『赤・緑』の分割論に対して、消費者から「中身が同じだ」というクレームがくるのではないか、と危惧する声が上がった。任天堂の営業担当からも、事実上同じ物を2つに分割して販売するのはどうだろうかという意見もあったという。
こうした意見が交錯するなか、ポケット モンスタ—は発売された。1996年2月27日のことだつた。担当者が危惧したようなクレームはなかったばかりか、「交換」という今までのゲームになかった要素が逆に強調される結果になった。もうひとつ誤算は、友達同士でそれぞれ別のソフ卜を購入し、交換すればいいと思っていたのだが、実際には

51  組織の思惑を超える個の感性

『赤』と『緑』の両方を購入する人が6割にも上ったということである。

1を古く感じさせない販売戦略

2が登場すると1が古くなる

ポケット モンスタ—の初回出荷は、『赤』は13万本、『緑』が10万本の合計23万本。この数字に対して、クリーチャーズの石原は、少し落胆した。
ポケモン発売の少し前に石原は、『マリオのピクロス』というゲームボーイ用のソフトを発売している。パズル系のゲームだが、これが100万本のヒットになった。石原はポケモンも

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100万本はいくだろうという確信があった。開発当初から携わり、「面白い」と手応えを感じていただけに、23万本かという感は否めなかった。
「このゲームは、ユーザーにモニターしてもらってはいません。製作者の田尻がイメージする年齢に彼自身がなって、それで面白いと思っているのだからそれでいい」
石原はいう。これが100万本の根拠である。
ある年代に向けた商品を発売するときに、モニタ—を使うことはよく行なわれる。大人は、子供の気持ちや嗜好がわからなくなることがあるのも事実なのだから。
しかし、「面白い」と思う感性を製作者自身がもてなければ、開発をしても受け入れられないということも、また真実なのである。
23万本という初回出荷の数量は、任天堂が取引先のバイヤーの注文状況から割り出した数字である。ゲームボーイという八—ド自体の人気の陰り、RPGのソフトという状況からすると

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[[IMAGE CAPTION|
現在、開発が進行中の『ポケモン金・銀』バージョンのワンシーン。新しいポケモンやトレーナーも多数登場する予定
]]

--- MAIN TEXT ---
23万本は決して少なくはない。
『赤•緑』の2本のソフトが同時に発売されたことによる営業的なメリットは、のちになって出てきた。
もちろんひとりのユーザーが2本購入したという数量的なメリットがあった。しかし、もっと大きいメリットは、実はあとにつづくソフトを発売したときにあらわれたのである。ポケモンは、この年の10月に『青』、98年6月に『イエロー』そして、ゆくゆくは『金・銀』という一連のソフトが発売される予定になっている。
今までのソフトは、たとえば『ドラゴンクエスト』があったら、バージョンアッフした『ドラコンクエスト2』というように、新しいソフトが出るたびに、2、3となってゆく。2は1を前提としているから結果としての2なわけで、2が出るということは必然的に1はおしまい=古くなることにつながる。ところが最初から『赤』『緑』と分けて、通信できるようにしたため、その後で『青』が発売されても決して古くはならな

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い。現役のまま、新しいソフトと通信ができる。はじめに『赤』しか出していなくて、次に『緑』が出たら、次の新しいソフトが出たという感覚で捕らえられてしまったのではないか。最初から並列の2つのソフトがあったということが、結果的に今までのソフトが抱えていた、2が出れば1が売れなくなるというジレンマを解消することになつた。
とくにゲームの場合、ひとつを攻略すると次を、という具合に、常に新しいもの、新しいものが求められる。並行バージョンというかたちをとることで、クリエーターは新しいアイデアとより高性能のソフトが求められるという、自転車操業的な構 造から抜け出すことができたのではないか。

55  組織の思惑を超える個の感性

組織に縛られない判断が大切だ

キャラクタ—への思いは、あっさり組織を超える
毎週火曜日の午後、クリーチャーズの会議室では版権会議が開催される。出席者は石原と彼の秘書である川村久仁美、ゲームフリークの御園日月、任天堂の業務部の米田功、アニメのプロデューサーのスタジオ旬の吉川兆二といったメンバーと、現在版権管理の窓口を担当している小学館プロダクションの担当者。
この会議ではポケモンの版権使用に関しての企画提案や、許諾事項を1件ずつ処理している。案件は少ないときで80件から

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100件、多い時期は200件近い案件を検討する。
1案件2分としても、100件となれば3時間以上かかる。中には、判断に時間がかかる案件が多く、4時間以上に及ぶことがある。
ポケモンのキャラクターは151匹である。
そのキャラクタ—をぬいぐるみにしたい、キャラクタ—付きのコップを作りたい、パジャマを作りたい、ネクタイは、ゴザは、壁掛けは……という具合に何百というメ—カーから提出されたキャラクター使用商品について、許可するかどうか、許可した場合どんなデザインにするかなど、1点1点についてチェックしてゆく。
日本における会議は、おおむね合議制を旨としている。また、複数の会社が参加する会議の場合、各社の事情や系列、資本形態に義理人情までが加味されて、ちょうどいい落としどころを探るというのが一般的ではないだろうか。
ポケモンの版権会議は、一般的な日本の会議とは一線を画し

57  組織の思惑を超える個の感性

ている。判断基準が明確なのだ。
たとえば、政治政党の宣伝ポスタ—には使わない。子供向けのキャラクターなので、お酒やタバコといった大人向けの商品には許可しない。コップやお皿にただキャラクタ—をつけただけの商品は、積極的には許可しない。
「キャラクタ—を消耗品にしたくない」
ポケモンに携わっている人間の共通認識が、これに集約されている。
「お金儲けのために、とりあえずキャラクタ—をつけた商品ならなんでもいいというところは断っています。他のキャラクタ—でいいなら、なにもポケモンじやなくていい」
と石原はいう。
たとえば新しいピカチュウの人形の試作品が、机のうえに出される。
「顔がへん」
川村がいう。

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「カワイくないね」
周囲が同意する。これでまたやりなおしである。もし製作者がその場にいたら、もっとしっかり見てほしいと訴えるかもしれない。しかし、
「顔がへん」
の一言で許可がおりない。
たとえ今まで何十種類もキャラクタ—商品を作っている会社で、担当者もよく知っていて仲がよくても関係ない。そこにあるのはキャラクタ—に対する思いと感性だけ。義理も人情も会社の事情もまったく影響がないようだ。
日本人の男性は、とかく組織を優先する傾向がある。「うちの会社」が時に個人を凌ぐこともあり、それに伴う悲劇もある。その点女性は比較的自分の感情を優先させて、組織をあつさりこえることがある。古くはロッキード事件の「蜂のー刺し」などは、まさに「あっさり組織を超える」女性の行動そのものといってもいいのではないか。

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商品の販売にあたっては、綿密なマーケティングを行ない、発売するが、どんな数字の裏付けよりも、
「なんかこれ、いいみたい」
「これちよつと変!」
といった一言の方が、説得力があるということもある。
「いいみたい」の「いい」を数字に表すことはできないし、「ちよつと変」の「変」を言葉に置き換えることはできないのだが、後に組織の思惑がついていない一言が真実を言い当てていることもある。
ポケモンの版権会議は、こうして進んでいく。

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すべて個体差だ

ミッキーマウスとピカチュウの決定的な違い
151匹のモンスタ—は、ゲームフリークの社員が全員で考えた。デザイナーはもとより、企画担当者、プログラマーまでがいそうでいない動物や虫を考え、考えたものは会議室に張り出しておいた。最終的に200のモンスタ—が考え出され、社員全員で人気投票を行ない、151匹を決めたという。「カビゴンは、実は企画の西野がモデルなんです。雰囲気が似ていて、普段みんなで似顔絵を描いていたんですが、それがそのままポケモンになりました」

61  組織の思惑を超える個の感性

[[IMAGE CAPTION|
ポケットモンスター
カビゴン
ぐうたらで、食べては寝てばかりいるいねむりポケモン。ゲームで登場するときも、いつも眠りながら道をふさいでいる
]]

--- MAIN TEXT ---
と笑うのは、ゲームフリークの川上直子。彼女は田尻の秘書役の傍ら、新入社員の面接などを担当している。こうして選ばれたモンスタ—は、名前や性質、体の大きさ、特徴、技、弱点、進化形などきめ細かく決められていった。しかし、もともとポケモンはゲームボーイのキャラクターである。ゲームボーイは、32X32のドット絵で、しかもモノクロ画面。最新の3Dゲーム機に比べると、よくいえば素朴、お世辞にも高精細とはいえない作りである。世界で一番有名なねずみであるミッキーマウスは、ディズ二—を代表するキャラクターとして、すでに60年以上にわたって愛され、世界中で何万種類というキャラクタ—商品が発売されている。
ディズニーの考えでは、世界中にミッキーマウスは1匹しかいないということに設定されている。だから目や耳の大きさや色、配置、手足を動かしたときのバランスに至るまで定規ではかったように、きめ細かく決められているという。もちろん年

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代によって多少変化はする。しかし同時代に製作されたものは寸分違わぬミッキーマウスにすることで、世界にミツキーは1匹しかいないということを証明しょうとしているのだ。ピカチュウもねずみである。ミッキーマウスに比べると、知名度はまだまだ足元にも及ばないが、これから息の長いキャラクターになる可能性を秘めた大物ルーキーであることは間違いなさそうだ。
ピカチュウは大本の出身がゲームボーイであったため、最初は色もついていなかった。平面で動き回っていたので、うしろはどうなっているのか、尻尾は、左の手の先はどうなっているかといったことが見えなかった。
しかも、平面を立体におこしてフィギュアを作ると、平面で見ていたときのピカチュウとは顔と体のバランスや表情が変わってしまう。平面の時は愛らしくて可愛いかったのに、そのままのバランスで立体にしたら、
「カワイイけど、微妙に違うね」

63  組織の思惑を超える個の感性

とい、っこともおこる。
また、それがTシャツにつけるときはいいのに、曲線のある コップにつけると顔が歪む、白い紙だと映えるのに、地の色が 暗いとまた違う雰囲気ということもおこる。
それに対して、石原は、
「すべて個体差だ」
という。
ピカチュウはモンスタ—の「ある種」の総称で、ある特定の 1匹を表しているわけではない。耳の先が黒くて、人見知りす るとほっぺたの赤い部分から放電するカミナリネズミの名称が ピカチュウだが、ピカチュウは1匹ではないので、多少顔やス タイルが変わるのは当然だという考え方なのだ。ペルシャ猫と いっても、それぞれ顔が微妙に違うのだからそれと同じだ、と いう考え方である。
だから版権会議の席上では、1点1点に対しての見た目の判 断が必要になってくる。

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まさに「見た目で選んで何が悪いの」という、数字だけを揃えようとする組織の思惑を見た目の印象で超えてしまう感性が必要であり、ポケモンの場合は、それが600種類とも700種類ともいわれる関連商品のクオリティーを保っている理由でもあるようだ。


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子供たちのインターネット活用 その一

---FIRST ROW---
田中彰之君
(11歳 小学5年生/ /4年半削からアメリカ在住)
まずは田中君に答えてもらったアンケー卜結果から見てみよう。

• ひと月のおこづかい
(10ドル)
• よく読む雑誌、好きな雑誌 (コロコロ、小学5年生、V ジャンプ、DOS/V magazine)
• お気に入りグッズ (ピカチュウ1/1)
• 好きなキャラ
(1・ミュウ

---SECOND ROW---
2・ピカチュウ
3・ミュウツー)

田中君はポケモンのゲー厶ソフトが発売される以前から、アメリカに住んでいる。ポケモンの情報は、ジャパンブックセンターという本屋で『コロコ口コミツク』などを買って入手しているが、インターネツトを介して日本の友達やネット仲間とも情報交換している。
アメリカでも日本人の間ではポケモンが人気で、友達が集まるといつもポケモンの話になるそうだ(デトロイトの

---THIRD ROW---
補習校で通信バトルなどで遊んでいる)。
また、アメリカ人の友達にもポケモンのことを教えたところ、時々話題に出るようになったとか。
彼は、「ポケモンハウス」 (http://www.tdi.net/tanaka/pokemon/) というホームページを開いていて、その内容は以下の通り。
ちなみに、このホームページは〃ぴかちゅう愛好会〃 (主にピカチュウを中心に、ホームページを持つポケモン愛好家が集まって作っている同好会) に加入している。

67

---FIRST ROW---
口ホームページメニュー
・ポケモンチャット
・ポケモンハウス掲示板
・ポケモン掲示板
・ポケモンカードセンター (ポケモンカードの情報交換やカード自体の交換を行なうコーナー)
・ポケモンジム (自分のパーティーるコーナー)
・ポケモンイラスト (ポケモンキャラのイラストを送ると載せてもらえる)
・ポケモン裏技 (ゲームボーイでの裏技の情報交換コーナー)
・ポケモン人気投票(151匹のポケモンだけでなく、波乗りピカチュウ、空飛ぶ

---SECOND ROW---
ピカチュウほか、おとなのおねえさんといったトレーナーキャラなどもエントリーされている)
・ポケモンクイズ
・ポケモンの森 (いろいろなコIナIをひとまとめに紹介)
・新ポケモンリンク
・ポケモンリンク (ポケモン関連のホ—ムペ—ジへのリンク)

一度見てみればわかるが、このホ—ムペ—ジはかなりよくできている (このペ—ジにアクセスした人は、11歳の子供のホ—ムペ—ジだとは誰も思わないだろう)。

[[IMAGE CAPTION|
トッフページは動画入りだ!  http://www.tdi.net/tanaka/pokemon/
]]

68

子供たちのインターネツト活用 その2

---FIRST ROW---
まつだじゅん君
(9歳小学3年生/広島在住)
漢字もほとんど読めないような小さい子だが、お父さんや印刷会社勤務のおじさんに手伝ってもらって「まつだじゆんのホームページ」 (http://www.urban.or.jp/home/jun/) を開いている。
その内容は「ぼくのこと」豪族のこと」「学校のこと」など、自分の身近な話題を中心にしたほのぼの系。ほかにも、ポケモンやミニ四駆、たまごっちなどの情報交換コーナーも開いている。すべての

---SECOND ROW---
ぺージがほとんどひらがな (漢字はすべてフリガナっき) で作られているのが特徴的だ。じゅん君が大好きなポケモンのコーナー (「ポケモン大好き」) はとくに充実していて、ピカチュウ1/1を抱いた自分と弟の写真から始まり、ポケモンを知らない人に向けたポケモン紹介や、アニメのあらすじ紹介、じゆん君が持っているポケモングッズ、ポケモン関係へのリンク (企業も含む) まで幅広く展開。そのなかには、大人が入ってはいけない子供だけのチャットコーナー「キッズチャット」

---THIRD ROW---
も設けている。
また、「ピカチュウをまもれ!」というコーナーがあり、このコーナーでは、例の事件によって一時中断されていたアニメ『ポケットモンスタI』をみんなで再開させようというテ—マで、同じ思いを持つ仲間とお互いにリンクを張りながら、署名コ—ナ—や掲示板、被害にあった子供たちへのメッセ—ジコ—ナ—などを開いている。
じゅん君がホ—ムペ—ジを開いたのは小学1年生のとき。当初、ホームページを見てじゆん君にメ—ルを送ってきた

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のは大学生がほとんどだったが、昨年くらいからは小学生や女性からのメ—ルが半数近くに増えたという。
大人からは「バッタがきたよ」「あのね日記」、学級通信などのコ—ナ—についての感想が多いとか。また、小学生からはポケモンやミニ四駆、たまごっちなどの情報交換が多いそ、つだ。
また、昨年NHKの人と調べたときには(じゅん君は以前にも雑誌や新聞、テレビなどの取材を受けたことがある)、実に50か国以上の国から、アクセスされていることがわかった。その内訳は、アメリカがトップで100万件く

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大人から子供まで十分楽しめる。ぜひアクセスされたし。 http://www.urban.or.jp/home/jun/
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らい。2番目に多かったのが日本で約40万。次いで韓国、シンガポ—ル、マレ—シアといった東南アジア。さらに、イギリス、フランス、ドイツなどのヨ—ロツパからも多数アクセスされていることが判明した。