A Man Who Created Pokemon/Chapter 3/Conversation Satoshi Tajiri X Ken Sugimori

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対談
杉森建X田尻智

本インタビュー中でたびたび言及されている通り、田尻氏のゲー厶制作において、そのスタートから重要な役割を果たし続けてきたグラフィック・デザイナ丨・杉森建。彼らはいったいどのようにして出会い、成長し、『ポケットモンス夕ー』に至る作品群をつくり上げていったのか。そしてその過程で、何を得て、また何を失ったのか。濃密極まりない半同棲時代(!?)を経て、現在にいたるまでの20年の長い道のりを当事者であるふたりが語り合う。

(2003年9月16日ゲー厶フリーク会議室にて収録)

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AMショーで初対面

——こうい、つ取材で、おふたりが顔を会わせるのは、けっこう珍しいですよね?杉森そうですね、この組み合わせは(笑)。
田尻: 今、会社がだいたい3カ所くらいにわかれてるからね。しかもフロアがわかれると、それぞれが責任を持ってチームを率いて仕事をするっていう側面が増えてくる。会社のシステムを作る前は、一緒にいることが多かったけど、最近はあまりベタベタしてないよね。20代くらいのときは、半同棲みたいな感じだったけど(笑)。
——疑われても仕方ないような(笑)。
田尻: しよつちゅう一緒にいるような感じだったから。以前は「ゲームフリーク」を作ったり、ゲームをやりに行ったり、価値観の共有みたいなことがあったけど、会社のシステムを完成させていくときには、それぞれのテクニックとか技量、クリエイティビティを上げること——個人の経験が多角的になった方がいいんじゃないかな、と。個人の経験からくるテクニックが、ゲームフリークの会社らしさみたいなものになればいいなと思っているんだよね。だから、杉森の想像力と僕の想像力が個々に出て、それがかけ算されたものがゲームフリークのゲームになる、そういう可能性がー番面白いと思うんだよね。
——それじゃ、今はあまり頻繁に会わない感じなんですか。
杉森: 今はもう、いる建物が違うんで。ここは本館ですけど、僕は向こうにあるアネックスってところにいて。
田尻: これはまったく物理的な問題で、働く場所にしても、だだつ広いワンフ□アを借りれば、毎日顔を合わせるのかもしれないんだけど、現状はド北沢の狭い建物を借りていて、会社が大きくなると、細胞が広がるみたいにセル化するというかね(笑)。
——寂しいって感じはあります?
杉森: ははは(笑)。
田尻: それは考え方次第。20代くらいのときは、一緒にゲームの深い仕組みだとか、将来の可能性みたいな濃い話をしょっちゅうしてたけど、そういう話をずつとしていると価値観や思考パターンが似てくるんだよね。だから、ある時期からはお互い、まったく別の体験をした方がいいものを作る可能性が高まる。たとえば当時は、一緒に同じ絵を見に行ったり、映画を見に行ったりしたけども、今はお互いに別々の映画を見て、考えたことをあとで話をした方が面白味を探しやすい。まあ、若いときと今では、同じ仲がいいのでも、関係性が変わるのは当然だろうとは思うけども。
——いきなり濃い話になりそうなんですが(笑)、実際におふたりがお会いになったのは、AMショーなんですよね。
杉森: そうですね。
田尻: 第20回くらいかな。

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杉森: 回数は覚えてない(笑)。『フォゾン』とかが出てたような気がするけど。
田尻: まだ業界的にも認知されてなかったからね。僕自身がセガに行くようになって、セガの人が「こういう新しいゲームを展示するイベントが晴海であるんだけど来るかい」って、券をくれたわけ。杉森あれ? 晴海でしたつけ? 平和島とかじやなかったかな。
田尻: 平和島でやってたこともあるけど、それはも、っちよつとあとじやないかな。
杉森: ……っていうくらい、昔のことは全然覚えてないんで。今日も語れるかどうか自信がない(笑)。
——あはは(笑)。
田尻: その少し前に杉森から手紙が来てたんですよ。「絵はもう少しこういう風にしたほうがいいんじやないか」っていう。一緒にイラストも送られてきてて、ちよつと会いたいなと思ってたんだよね。で、その返事を送るときに、AMシヨーのチケットも入れて送ったと。行けば人れるからって。
——杉森さんは「ゲームフリーク」を新宿のフリースペースで見つけたんですよね?
杉森: そうですね。僕の友達がたまたま連れていってくれて。そこで見つけたのが創刊号だったんですよ。
最初は漫画の同人誌を探しに行ってたんですか?
杉森: いや、探しに行くっていうほどじやなくて。そんなに同人誌に興味があったわけでもないし……。なんで行ったんだろうな(笑)。
——でも、漫画家になろうとは思ってたんですよね?
杉森: そうですね。まだ漠然としていたけど、高校1、2年くらい、漫画家になれたらいいなあくらいの時期で。
田尻: 新宿でゲームとかやってたの? 
杉森: やってましたよ。
田尻: 新宿のキャロツトとか?
杉森: キャロットと、あとは東口のスポーツランドとか。
田尻: 僕なんかは、ゲームやって、フリースペースに行って本を置いて、お金の計算をしてもらってくるとか、そういうことを同時にやってたんだよね。当時から新宿はやっぱり新宿で、ゲーセン関係はそれなりに充実してたし。
——杉森さんは、当時どちらにお住まいだったんですか?
杉森: 杉並区の女子美術大学の目の前です(笑)。
——ああ、新宿には出やすい。
杉森: そうですね。新宿へのアクセスはすごくよくて。一番近かったのは丸の内線なんですけど、10分もあれば着くところで。
——なんか話が脱線しちやいましたけど(笑)、田尻さん経由でAMショーのチケツトを手に入れた、と。
杉森: 僕は田尻と違って、業界の知り合いもいなかったし、チケットなんてもの

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が手に入るとは思ってなくて。AMショーっていう言葉自体は、「ゲームセンターあらし」か何かで知ってたんですけど(笑)。
——あはは(笑)。
杉森: 「AMショーにいったぞ!」みたいな、そういうレポートマンガみたいなものが載ってて、名前は知っていたんですけど、実際に行けるとは思ってなかつた。そういう夢のようなイベントがあるんだなあ、と。
田尻: 当時は本当に夢のような場所だったよね。
杉森: 今でこそAMショーって、マニアが大挙して行くイベントですけど、あの頃は業界の人しか来てなかったし。
田尻: なんかこう、パンチパーマをあてたような人とスーツを着た人が渾然一体となってて。そこに学生がフラフラ歩いているっていうのが、非常に物珍しい。
杉森: しかも、平日開催。でも「こりや、行くしかない」って、学校をサボって(笑)。途中のコインロッカーに学生服の上着をつっこんで着替えたりなんかして。
田尻: 叨らかに業界内のイベントだったんだよね。で、だだつ広い会場だけど、AMショーの中で「ゲームフリーク」って名札をつけて歩いていればわかるだろう、と。
——あはは(笑)。すごい賭けですよね。
田尻: うん。だから、そこで会いましょうというような感じじやなかった。あくまで、チケットが手に入ったんで、平日だから予定を立てるのも難しいけど、もし行ければ、っていう。休日だったらよかったんだけど、平日だからね。杉森別にどこそこで待ち合わせしましようとか、そういうのでもなく。
田尻: それでバラバラに入ってプラプラ歩いてたら、「田尻さんですか?」って声をかけられたっていう(笑)。杉森各ブースに置いてあるノートに名前を書くと、チラシが入った袋をくれたんですよ。まあ、マニアなんで、これ幸いとばかりに集めまくっていたら、直前に「田尻」って書いてあるノートが、ある企業ブースにあって。
田尻: おお。
杉森: これは近くにいるぞと(笑)。なんか、布団を触って「まだ暖かい」みたいな(笑)。
田尻: あはは(笑)。
杉森: そういう感じでうろちよろとしていたら、背の高い人が、今まさに「田尻」という名前を書かんとしている場所に出くわしたとい、つ(笑)。
——あはは(笑)。
杉森: そこで、これは間違いないと。
——でも、よく声をかけましたよね。
杉森: そうですねえ。
——それまでは一面識もないわけじやないですか。
杉森: ないですね。
田尻: でも、結構、手紙で濃いことを書いてたからね。ああいう場所で会って当

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然というか、ああいう場所で初めて会ってよかったというか(笑)。
——当時の会場の様子ってどういう感じだったんですか? まだそんなにアーケードゲーム機がメインを占めるという感じでもなかった?
杉森: いや、結構ありましたよ。プライズと半々みたいな感じだったかな。
田尻: 全体的に、業界の人くらいしか来ないイベントって感じなんだよね。たとえば、飲み物のブースにしても、売店で売ってるわけじやなくて、あらかじめメーカーに飲食券が配られていて、それを渡すと飲みものをくれる、とか。まあ、その券もセガでもらったんだけど(笑)、今じやちよつと想像がつかないシステムだったし。
——出展されていたタイトルで記憶に残ってるのは、どこら辺ですか?杉森『フォゾン』しか覚えていないんだよなあ(笑)。あとは『ポールポジション2』とかかな。
田尻:『ポールポジション2』はあった。あと、任天堂も出してたよね。
杉森: う一ん、全然記憶が(笑)。カタログとか持ってたのになあ。
——あはは(笑)。で、そのまま意気投合して、どこか喫茶店に流れたりとか?杉森いや、そのまま。何もなく(笑)。
田尻: そのときは、挨拶ぐらいだよね。杉森「いいのありました?」みたいな会話をしたような記憶があるんですけど、そこからー緒に見て歩いたわけでもなく(笑)。
——全然劇的じゃない(笑)。
田尻: その当時のAMショー自体が、ゲームのプロだったり好きな人が集まるから盛り上がるかというと、そうでもなくて。場所自体、熱気があるというよりは、もっと乾いた感じだったからね。
杉森: マニアだらけだったら、もうちよっとくだけて話せたかも知れないけど、まわりは商談しているオヤジばっかりで。
田尻: パンチパーマのオッサンが「うちの店に人れるのに何台安く入れられるか」とか「これは売り上げがいいのか?」とか、そういう話をしているような場所で、あまりこう……。
杉森: 居心地が良くないんですよね(笑)。
田尻: うん。
——あはは(笑)。
田尻: テンションが上がるようなイベン卜でもなかったんだよね、当時のAMシヨーは。だけど、当時のゲーセン体験からすると、夢のような場所だったんだよ。ゲーセンに出まわる前のいろんなゲームがあって、「すげえ!」と。まだ心情的にも未整理だったし、ただただ、ゲーム業界のパワーに圧倒されて、今日はいいものを見たっていう充実感で、その日は帰ったというね。
杉森: タダで遊び放題だし(笑)。
田尻: 当時は家庭用のゲーム機もないから、タダでできるっていうことさえ革命

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的(笑)。当時、僕がセガに行くようになった動機も、行けばタダでゲームをやらせてもらえるっていう素朴なものだったりしたから。
杉森: 高校生のときの100円の重みは、かなりのもんですよ。AMショーの会場でも、「このボタンを押すとクレジツトが人ります」って書いてあって、これはすげえと(笑)。
——あはは(笑)。
杉森: 意味もなく50回とか押して(笑)。こんなに遊べるんだっていう、そういう夢のような空間だった。

ミンキーモモはこう描くんだ!

——それじゃ、ふたりが急接近するのは、「ゲームフリーク」に参加するようになってからなんですね?
杉森: ー度会ったから「今度は町田で会いましょう」って、僕が会いに行ったりしましたね。
田尻: 当時は「ゲーム好きが集まる」って考え方自体がまだない——そういう考え方が出てくる最初の時代だからね。ゲームについて書いたものを、とりあえずホッチキスでとめるくらいの他愛のないものでも、それを形にすること自体、非常に変わってた。だからこそ杉森は注目したんだと思うし、そういうこと自体が手探りだったんだよね。そのあと、ゲームについて文通みたいな形でやりとりが続くんだけど、そのなかで杉森がイラストを描いてきていて。それは僕が見ても素晴らしくて、記事に合ったイラストを描いてもらえれば、もっと「ゲームフリーク」の出来がよくなるよねってい、っ話をしたんだよね。
——じゃあ、基本的には「ゲームフリーク」の誌面作りを手伝ってもらうっていう。
田尻: そう。誌面のイラストを本格的にお願いしたいんだけど、その前に打ち合わせをしましょうってい、つのが、AMシヨー以後の会う理由づけ。俺自身は絵はほとんど描けなくて、グラフ用紙にドツ卜絵的な——それこそ『ディグダグ』のドットの拡大みたいなものしか描けなかったんだよ。
——あはは(笑)。
田尻: 絵については四苦八苦しながらやってたから、杉森が最初の手紙で「絵はもう少しちやんと描いた方がいいと思います」っていう指摘をしてくれたのは確かにそうだよな、と。だから最初は、杉森が絵を描いて投稿してくれたのを紹介するような、そういう扱いで始まったんだな。俺は絵が描けないから、そういうのを紹介するのは嬉しかったし、ゲームについて絵で表現できるっていうね。
——ああ。さきほど、「ゲームフリーク」で見させていただきました。
田尻: うん。あと、「ゲームフリーク」を置いてもらってたフリースペースは、当時、アニメとマンガと自費出版の同人

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誌が置いてあるような本屋だったんだよね。で、そういうお店でも、自費出版の地味な本っていうのは売れないわけだ。でも、アニメやマンガの同人誌でも、表紙がキヤツチーなものは、とりあえず手にとってもらえる。そこまではやりたいと思ってたから『ミンキーモモ』のイラストを模写をして、入れたりしていたんだよ。
——ええつ、田尻さんが?
田尻: ー生懸命、見て描いて(笑)。で、彼は普通に絵を描けるから、見抜くわけ。杉森こいつは描けないと(笑)。
——あはは(笑)。
杉森: それじゃあっていって、僕が「ミンキーモモはこう描くんだ!」ってイラストを送りつけて(笑)。
田尻: そうそう。
杉森: いわゆる同人ティストを持ち込んだっていう(笑)。
——なるほど。田尻さんが杉森さんを引き人れた理由はわかりましたけど、杉森さん側の理由っていうのはどういう?
杉森: 僕は単純に、濃いゲーム仲間ができて嬉しかったんですよ。
田尻: イラストのこともそうだけど、もうひとつ、彼もゲームが好きで、メーカーによってゲームの味わいが違うっていうのを知っていて、それを統計にしてデータを取ってたりしたんだよね。カタログを集めて、たとえばレバーとボタンの方向と数で統計を取ったり、そういうことで見えてくるゲームの歴史とか面白さっていうものがある。だけど、周りにそんなにゲームに夢屮な奴がいなくて、「自分もやりたいと思っていたんで、ちようどよかった」とい、っようなことを彼は言ってたわけ。
杉森: たとえば、セガのゲームはグラフイックが綺麗だよね、みたいな話ができる人間が、当時誰も周りにはいなかった。そもそも、セガとかタイトーって単語自体がまったくメジャーじゃない(笑)。
田尻: そうそう。
——貴重な友達だったわけですね。杉森そういうことが語れるだけで、すごく嬉しかったし。
田尻: ゲームメーカーってものがあって、メーカーが違うと、出来上がったゲームがこんなに違う。そういう考え方自体、一般的じゃなかったし。そういう話で盛り上がるのは、新鮮で知的な喜びっていうか(笑)。
——今の状況を前提にしちやうと、わかんないですよね。
杉森: ゲームの情報は、ゲームのテーブルからしか得られなかったですから。遊んだ感じとか見た目とか、インストラクションカードに書かれてる情報とか、そういうところ以外の情報はまったくない。雑誌もないし、インタ—ネットもない。
田尻: カタログだって、オペレータ—とか業界向けのものだから、一般の人は手に入らないわけだよ。
杉森: ゲーセンの壁に貼ってあるのを盗

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むくらいで(笑)。
——あはは(笑)。なんか映画少年が劇場のスチールを盗む、みたいな。
田尻: そうそう。俺なんか、「キガワ」に貼ってあるのを欲しくて剥がして持つて帰ろうとしたら、頭どっかれたり(笑)。「持っていくな!」とか言われて。先のことなんて全然考えてなかった——で、杉森さんは高校を卒業するくらいで、「少年サンデー」のコミック大賞に入賞するわけですよね。
杉森: 佳作に入って10万円もらったんですよ。その10万円も、町田にー人暮らしする引つ越し資金に使っちやうんですけど(笑)。まあ、高校出てから、ー応マンガで賞は取ってみたものの、その後が続かなくてプラプラしてたら、親に追い出されて(笑)。追い出されたとい、つか、ケンカして出てけみたいな。
田尻: だったらまあ、家が近ければ食うに困らないくらいのサポートはできる。「ゲームフリーク」をもっと本格的にやりたいと思ってるし、あとはゲームとマンガ、どっちに進むのかはそのときはまだわからないけども、マンガを描く方向もあるし、一人暮らしはいいことだから、なるべく近くに暮らせばって言ったんだよ。結局、当時僕が住んでいた町田と玉川学園の間くらいにアパートを借りて。
——親からすれば心配だったでしょうね。
杉森: 心配だったでしょうね。追い出してはみたもののねえ(笑)。
——何をするかと思えば、町田に引つ越しして、無職みたいなものですもんね。杉森いや、だから先のことを全然考えていないアホだったんで(笑)。まあ、楽しければいいやみたいな。ゲームもやれそうだし、うるさい親もいないしみたいな(笑)。
田尻: 実際、楽しかったけどね。打ち合わせも、「杉森の所に行けばいいや」っていうよ、つなことになるわけだし。「ゲームフリーク」を作るのも杉森のアパー卜になって、しよつちゆういるっていう感じに(笑)。
——プライベートがなくて、迷惑だ! つていう感じでもなかったんですか?
杉森: う一ん(笑)。
田尻: そこは難しいよね。大人になる前は、そういうのが結構楽しいからねえ。杉森迷惑、っていうのはなかったかな。ただ、僕の布団でいろんな人が寝るんで、俺の布団取るなよ、みたいな(笑)。その頃、ちょうど僕以外のゲームフリークのメンバーってい、つのが続々と集結し始めたんですよね。で、その拠点が僕の町田のアパートっていう。
——じやあ、入れ替わり立ち代わり、いろんな人が。
田尻: 新しい人が来るっていうと、ここに呼ぼうって話になっちゃって(笑)。
——自分のうちが部室になっているわけ

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だ。
杉森: うん。そういう状態で。
——杉森さんの中では、マンガをやりたいんだけれど、ふんぎりがつかない……いわゆる、ぬるま湯的な状態だったんですか?
杉森: いや、そんな立派なものじやなくて、まあ、オタクによくありがちな、夢はあるけど行動しないっていうやつなんですよ(笑)。マンガを描きたければ、ネームを描いて編集者に持っていけばいいわけで。実際、そう編集者に言われていたし、道は開けていたんですけど、自分から行動しようとはしなかった。すごくぬるい生活に流れてたんですよね。友達もいるし、ゲーセンでバイトしてて楽しいし。もう、全然先がないですよね(笑)。その日、その日を楽しむ感じ。
——そういう中で、自然発生的に「ゲームを作ろう」という話が出てきたんですか?
杉森: そういう生活の後半くらいから、だんだんと。
田尻: 実際に「ゲームフリーク」を作る過程で、ひとつひとつのゲームの長所と短所とか、こうすればもっとよくなるっていう具体的な指摘がたくさん出てくる。でも、それは記事にならない。で、そういうことを繰り返してるうちに、じやあ自分たちでゲームを作れば良いものができるんじゃないかって、思い始めるんだよね。僕自身は、ゲームをつくることに興味があって、それは、ひとつはゲームデザインっていう企画的な意味合いと、も、っひとつはプログラムの仕組みに興味があったんだよ。たとえば『インベーダー』なら、55匹のインベーダーが横にズレて歩くとき、雪崩をうってグ二ヤンとたわむように動くんだけど、実際には1個ずつ動いているわけで、実際のプログラムはそんなに重くない。ある仕組みの繰り返しなんだけど、ちよつとした工夫が大きな変化を生む——ちよつとしたプログラムの発明で、そういうゲームデザインができているってことがわかってきた。あと当時、PC-8001を買って、自分なりの『インベーダー』をプログラムしたりしてたんだよね。それでゲームフリークの活動の後半、それぞれのメンバーが絵を描くとか、音楽を作るとか、プログラムができて、ゲームのいいところがわかる目があれば、ゲームを作ることが可能なんじやないかつてことに気がつくようになったんだよね。
——田尻さんがゲームを作りたいと思っているのはわかってたんですか?
杉森: うん。なんかね。
田尻: で、杉森のアパートに僕のパソコンとか持って行ったりとかして設置したりして(笑)。
杉森: 田尻のFM-7が僕ん家に設置されてて(笑)。
田尻: パソコンはパソコンゲームで、またやってて。で、最初はパソコンで作ってみるかっていうレベルだよね。杉森僕は理論とか、そういうのは全然

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わからなかったんだけど、なんかパソコンだとできそうな感じが(笑)。
——あはは(笑)。
田尻: するよね(笑)。
杉森: 身近でチープな感じっていうのが、すごくあった。
田尻: 実際にファミコンで作るまでは試行錯誤があるんだけど、パソコンのゲームを作ろうと思ってた時期も結構長いんだよね。『インベーダー』レベルだったら僕でもプログラムできるし、あとは音楽ができる人とかキャラクタ—が描ける人とか、パソコンに合う面白い企画があれば、やろうと。'85年くらいから言ってたのかな。
——じやあ、自然な盛り上がりで「やろう、やろう」ってい、つ。
田尻: そうだね。PC-8001はゲームが作りやすかったんだけど、そのあと買ったFM-7は非常にゲームが作り難くて。
——ああ、そうでしたね。僕もFM-7のユーザーだったんで、なんとなくその話は覚えてます。
田尻: キーボードのボタンが押されてることは拾えるんだけど、離したっていうのをリニアに検知できない。
杉森: そうそう(笑)。
田尻: だから、行きっぱなしなんだよね。杉森右を押したら、ずっと右に行きつぱなし。0とか、ほかのキーを押さないと止まらない。
田尻: それでFM-7を杉森のアパートに置いたのはいいんだけど、イメージが具体的に駆り立てられて、行動に移るというほどじゃなかった。だけど、ゲームを作ろうと思えば作れるんだっていうのは感じてたんだよね。その当時だと、『ロードランナー』のパソコン版がブームを迎えてて、コンストラクションでマップを作ると、すぐに自分の作った面を遊べた。そうすると、自分がゲーム作りに片足突つ込んで参加しているような気持ちになるじやない。
——パソコンのいわゆる「プログラム誌」が一斉に出始めるのも、その時期ですよね。
田尻: そうだね。電波新聞社が「ベーシックマガジン」を出したり、ああいう初心者向けのプログラム雑誌も出てきてたし。その頃はまだ仕組みが見えやすかつたよね。ゲームセンターのゲームはあくまでも業務用で、どうやって作られているかっていうリアリティが見えなかったけども、パソコンだとコンストラクションのツールだったりとか、メーカーとプレイヤーの垣根を少し取り去るようなものがあったから。あと、パソコンのソフ卜だと、キャラクタ—自体もドット絵的なものが透けて見えやすかった、特に『ロードランナー』みたいものは、骨組みだけなんだけどアニメーションがしっかりしているとかね。
——杉森さん的には、そういう「ゲームを作るぞ」っていう気運に自然に乗っかっていく感じだったんですか。

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杉森: う一ん。プログラムのことはよくわからないんだけど、ドット絵には興味あったんで、ドットで参加できるだろうなと。
——じやあ、『クインティ』でキャラク夕ーデザインを杉森さんがやるのは、なかば自然に決まった。
田尻: そうそう。
杉森: なんかね、すごくテレビ画面に絵を描きたかったんですよ。紙に描くのとちよつと違う面白さというか。最初にゲームフリークの仲間がドット絵を打つッールを作ってくれたんですけど、それで最初に打ったときはすごく楽しかったですね。
——当時はまさか、それが仕事になるとは(笑)。
杉森: まあ、本当、当時は将来これでやっていこうとか、これを売ろうみたいなこととか全然考えずに、キャラクタ—が動いたっていう、それだけで楽しかった。

社会性ゼロまだ大人になりきれてなかった

——でも『クインティ』が完成して、ゲームフリークが設立になると、杉森さんのポジションって難しかったんじゃないですか?マンガとゲームのどっちを取るか、みたいな。
杉森: う一ん、町田での生活が1年くらい続いたあと、案の定、体を壊して、肺炎になりかけたことがあったんですよ。そのときはさすがに親が心配して、1回実家に戻るんですけど、それからもう1回、マンガを「サンデー」に持っていつたんです。もう一度やり直そうと思ったかどうかはわかんないけど(笑)。それが読み切りで載って、その後に小学館じやないところから書き下ろしの単行本の仕事をやらないかって言われて。まあ、そんな感じでなんとなく、漫画家っていうのにはショボいですけど、漫画家生活みたいなのが始まりかけていたんですよ。
——ああ。
杉森: だから『クインティ』が出来上がるまでは結構、マンガと二足のワラジというか、二股かけてるような感じでやつてたんだけど、会社になってからはゲームの方の比重が大きかった。あと、マンガは「しんどいなあ」って(笑)、限界を感じてきたっていうか。
田尻: 友達に漫画家がいるんだよね。結構大変だよね、週刊でやるのは。
杉森: そうだね。僕の同級生が、僕より半年くらい早くデビューしたんですよ。というか彼の影響で、僕も投稿したっていう経緯があるんですけど、やっぱりマンガ家を続けていくには、コンスタントに話を考えて、ちやんと締め切り内に完成させなければいけない。絵とは全然違うスキルが必要で、そこが僕にはなかった(笑)。
田尻: マンガを選んだら、それにスツポ

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リはまって、そのシステム作りをしなきやいけないんだよね。アシスタントを常駐させて、ウマの合う編集者とストーリーを練って、コンテを切って。それで1週間はつぶれるから。
——二足のワラジは無理ですよね。杉森そうですね。メジャーじゃない出版社で細々とやっていくことは可能だったかも知れないですけど、やっぱりやるんなら「少年ジャンプ」とか「少年サンデー」に載りたいじやないですか。でもそれは、ものすごく狭き門というか、高みにあるものだと思うし。そこに入っていくのは、さすがに無理かなあ、と。それに、こうい、っと浅ましいんですけど、やっぱりゲームの方が明らかに業界のレベルが低かった(笑)。ここなら、俺はやれそうな気がするみたいな、そういうセコイ匂いを感じたのかも知れないですけど。
——でも、『ジェリーボーイ』のマンガはやってましたよね。
杉森: そうですね。
田尻: だから、あの頃までは両方やれてたんだよね。『ジェリーボーイ』をやつてたときは、やっと会社を登録したんだけど、会社の信頼性もないし、法律的に登録しただけなわけ。僕にしろ杉森にしろ、ゲームが好きでグダグダ遊びながら面白かったことを形にするっていうようなことをやってたわけで。『ジェリーボーイ』のとき、ソニー側の人は朝の9時とか10時に打ち合わせだっていうんだけど、「早すぎだよ!」と(笑)。しかも、僕らは明け方まで「このゲーム、クソゲー」とか言いながらゲームばっかりやって、明け方になると、疲れて寝てる(笑)。もう、10時なんて一番よく寝てる時間で。社会性がゼロ。冬なんか、ソニー側のプログラマーが玄関先で凍えてたりして(笑)。当時は、その程度の人間だったねえ。ゲームは人一倍好きなんだけど、まだ大人になりきってないっていうか。杉森こんな話でいいんでしょうか(笑)。
——いや、ばっちりです(笑)。杉森なんか、全然人のためにならないんですけど(笑)。
田尻: そうだね(笑)。
杉森: 『ジェリーボーイ』のマンガは、どっちから話があったのかな?エピックソニーが「ファミマガ」に持っていつたのか、「ファミマガ」から話が来たのか。
田尻: まあ、両方だなあ。『ジェリーボーイ』は宣伝活動をどうしょうっていうのがソニー側からもあって、「、つちの杉森は漫画家でもあるんで、『ジェリーボーイ』のマンガをゲーム雑誌で連載するってこともできますよ」っていう話はしたんだよ。で、当時僕は「ファミマガ」でも記事を書き始めてて、その関係で話が「ファミマガ」の編集長に行って。それで結局、1冊分、彼が書いたんだよね。当時はまだフリー的な立ちまわりでいろいろやろうと思えばやれたってい、つ。杉森仕事もなかったし。

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——あはは(笑)。
杉森: あと、ゲームのコミックっていうのも、あまり質が高くなくて(笑)。キャラクタ—デザイナーが直に漫画を描くっていうのもそんなになかったと思うんですよ。そういう意味でも宣伝になるし、好きなことがやれそうだからいいかなあ、と。でもやっぱり、描けば描くほど限界を知るような感じで。どんどん「マンガはもういいかなあ」と(笑)。
——あはは(笑)。でも、杉森さんはゲームフリーク設立当時からいらっしやいますけど、社員として参加するのは、かなり後ですよね。
杉森: 社員としてはね。そうそう。やっぱりちよつと未練もあって(笑)。
——それは漫画への未練?
杉森: 漫画というか、絵描き仕事みたいなものに。
田尻: そこは僕も結構気を使ったというか。会社にしたけど、杉森に関しては本当はマンガをやりたいんだったら、社員じやないほうがいいし、ゲームを選ぶんだったら、社員になったほうがいい。会社を登録したときは、そういう選択はまだ先だと思ったし、それから2年くらいあとかな。やっぱりゲームが好きで、ゲーム制作の道を選択したほうがいいと僕も思った。杉森ももう決めてるなと思って、改めて社員にならないかって話をしたんだよね。
杉森: まあ、でも『ジェリーボーイ』の漫画にしても『クインティ』の漫画にしても、実質、ゲームフリーク絡みの仕事しかほとんどやってなかったわけで、社員じやなかったと言っても、ずっと会社にいたわけだし。
田尻: そうそう。だから、肩書き上の話でしかないんだよね。

鬼のようになるんだったら困る

——で、『ポケットモンスタ—』の開発が本格的になる頃には、もうおふたりのつき合いも10年とかになるわけですよね、そ、つなるとだんだんと話さなくなったりするものなんですか?
杉森: いや、めちゃくちや話してました。もう、毎日話しまくり(笑)。作っているゲームについてもそうだし、遊んだゲームの話もするし、趣味の話とか。『ポケモン』をやってた頃が一番濃密に話してたんじやないかな。
——高校時代からつき合ってても?(笑)
杉森: ですねえ。
——それはやっぱり、ゲームフリークが一丸となって作るっていう意気込みがあるから?
杉森: いや、一丸となるというか、その頃は人数が少ないんで、一丸しかない(笑)。
田尻: 全社的に一丸となってっていうのは、『ポケモン』のときが一番だったよね。後半は他のプロジェクトも一時的に止めるくらいやったから。今は人数も倍

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以上に増えたし、状況が違うから同じようにはいえないけど、たとえばスーパーファミコンまでのゲームとい、つのは、そういう小さい、プロダクション的なサイズの会社が一丸となって作るものがいい味を出すっていう、そういうクリエイテイビティを発揮しやすい時代だったんだよね。'90年代の前半までは。
——確かに、濃密なコミュニケーションから作品が出てきたのは、『ポケモン』が最後だったのかもしれないですね。'96年くらいを境に変わってきたような気がします。
杉森: なにかと人数がいないと話にならない。もう「ここ誰が作ったの?」みたいな感じになってきましたよね。だんだん、本当に誰が作っているのかわからなくて、いつの間にかできてるっていう。最初の『ポケモン』のときは隅から隅まで目が届いてましたけど、そういう意味では、あの頃は確かに濃密な時代だったんでしょうね。
——たとえばふたりだけで、『クインテイ』とか、それ以前のように密かにちょっとづつ何かをやろうとか、そういうことはあります?
田尻: うん、それは充分ありうるね。さっきも話したように、会社のシステム作りをしていく中で、ゲームフリークは今、3つくらいのセルになってて、それぞれが持続可能になるようにしてるんだけど、それを再構成すれば、もう一度コンパクトに何かを作っていくとか、もう少し手作り感のあるものをやるという方向に行くのは当然だと思うな。
杉森: コンパクトなものがいいですね(笑)。
——それは『ポケモン』プロジェクトの大きさに疲れているってことなんですかね? (笑)
杉森:う一ん、今がギリギリくらいかな。
田尻: ただ『ポケモン』に関しては、賛同してくれた人が、こっちの想像の何千倍といて、そこに対して無責任ではいたくない。それが続きを作ることであったり、「株式会社ポケモン」って会社を作ることだったりするんだけど。
杉森: しかもそこには、『ポケモン』の仕事をしてる人が何百人もいて、『ポケモン』の行く末に左右されることがありうるわけですよね。だから、あまり無責任に「や一めた」とは言えない。ただ、これ以上ゲームっていうものが、人数やスケールをでかくしないと商売にならないのであれば、そろそろ……。
田尻: わかりやすく言うと、「鬼のようになる」んだったら困るんだよね。
杉森: うん。「鬼のようになる」んだったら、ちよつともう、いられないなという(笑)。
田尻: たとえばシューティングゲームでも、鬼のように難しくなったがゆえに、ファンが拡散してしまうというね。最初は、硬いものを破壊していく快感がシューティングゲームの発想の元だったはずなんだけども、硬ければ硬いほどいいの

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かっていう。それがあるレベルを越えると、大概にしてくれという話になる(笑)。『ポケモン』に関してもそうなわけで。『ポケモン』の種類が多ければ多いほど良いのかっていうと、把握しきれないほど多いってい、つのがいいとはいえないわけだしね。
杉森:たとえば僕らは『ドラゴンクエス卜』の背中なんかを見ながらゲームを作ってきたわけですけど、『Ⅷ』の画面写真を見ると大変なことになってるじやないですか。「俺らも、これやんの?」みたいな(笑)。こうしないと売れない時代になるのは嫌だなって。
田尻: これまでさんざん古い話をしてきたけど、ゲームが非常に好きで、いろんなゲームを体験して経験を積んで、それがゲームを作りたいという情熱に変わるっていう、そのことは忘れないほうがいい。売れていると言われてる『ポケモン』でさえ、やっぱりそこをしばしば思い抱く必要があるとい、っことだよね。

〃先輩・田尻〃と
〃ビジュアリスト・杉森〃

——今まで何度かお話を聞いてきて、田尻さんは年を経ていくにつれて、どんどん社会化してくわけですよね。それを傍らで見てて、杉森さんはどう感じられました?
杉森: いやあ、本当に僕は若い頃は、ダメなオタクだったんで(笑)。本当に社会性ないし、自立もできてないし。ダメだったんですねえ。もう、本当に流されている感じで(笑)。
——でも、同じダメなところにいた人がだんだんとステップアップしていくわけですよね?
杉森: いや、田尻は最初からダメじゃなかったです(笑)。初めて会ったときから自立していたし、同人誌出して、親に頼らない収入もあった。僕なんか本当に小遣いしかもらえなくて、いつも「金ない、金ない」って、よく飯をたかってましたから。本当に電車賃しかない状態で町田に行って会ったり、奢られる気まんまんみたいな(笑)。そういう甘ったれた人間だったんで、すごく大人に見えました。同い歳なのにこんな違う、みたいな。
——ちよつと引け目を感じるというか。
田尻: そういうのとはちよつと違、っと思うけどね。
杉森: まあ、当時から「社長」って呼ばれてたくらいなんで。だから、頼りがいがあるって言ったらあれですけど(笑)。昔からそういうキャラなんですよ。僕が甘ったれだったもんで、落差がすごいあった。
——じやあ、その関係はずっと続くっていう。
杉森: うん。ですね。さすがに飯はたからないようになりましたけど(笑)。
——でも、昔からの友達が背広を着て出社するようになるのを見るのは、なかなかに複雑なのではないかと思ったりする

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んですけども。
杉森: いや、会社同士の交渉みたいなことも、僕らは全然やってなくて、本当に田尻ひとりに任せてたんですよ。そういうことができるだけでもすごいと思ってて(笑)。
田尻: 僕なんかがメーカーなんかに行くと、向こうは背広だよね。サラリーマンとして、仕事として会うわけで、当時の僕は、ちよつとやる気のあるフリーの人、やる気のある若い人っていうふうに見られる。それで、ゲームフリークに帰ってくると、自由な雰囲気なわけじやない。そこはいいと思いながらも、やつぱり持続的にゲームを作るときには、ある種の人的な仕組みが必要で、それがなければ、ちよつと完成までは難しいと思うんだよね。
——そういう部分で触発されたりはしました?
杉森: う一ん。
——杉森さんが社会性のないダメなオタクから脱却したのは、いったいいつなのか(笑)。
杉森: あはは(笑)。
田尻: でも、『ジェリーボーイ』を作っているとき、それぞれ別で行動してたんだよね。なかなか仕事が進まないことがわかって、僕と杉森が毎日、ソニー・ミユージックのツインタワーのオフィスに行って、キャラクタ—とかをつくるようになる。
杉森: 1年くらいソニーの方に仕事場ができて、そこで絵のドットを打ってたりしたんですよ。そうやって、だんだん外に出て行くようになった……ってい、つと、なんか引きこもりみたいですけど(笑)。そうすると、会社以外の人と話すことも増えるし、自分の発言が大きく影響を及ぼすこともあって。個人の意見が会社の総意だと思われる、みたいな。そのへんから徐々に変わってきたんじやないですかね。
——ゲームフリークが大きくになるにつれ、だんだん社会性が出てきた。杉森出てきたとい、つか、出てこないと話にならないというか(笑)。
田尻: それまではわりと、僕が社長であり、営業部長であり、開発担当でもありっていう感じでひとりでやってきたんだけど、『クインティ』以後どうするかってときに、ひとりで背負っていたものをちよつと、他のスタッフに任せるっていうかね。一緒にできるものは一緒にやるし、任せられるものは任せるっていう形に、徐々にしていったんだよね。何年かかけて。
——そういうふうに年を重ねていって、お互いずいぶん変わったなと思います?それとも全然変わらない?
杉森: う一ん、あんまり変わってない(笑)。田尻は変わってない気がするんだよね。
——どこらへんが?
杉森: 話している感じとか(笑)。昔から田尻と話すときは、適当なことが話せ

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ない。
田尻: ほう。
杉森: 適当に何も考えないで話すと「それは、どういう意味なの?」って、すごいツツコまれるんで(笑)。慎重に言葉を選んで話すとい、つか、タメ口で話したことも、あまりない。緊張感みたいなものがいつもあって、そういうところもあまり変わってないし。
——田尻さんから見て杉森さんは?
田尻: そうねえ。あんまり本人の味わいは変わってないとは思うんだよね。今みたいな取材だとあまり見られないけど、普段は話をしているとしよつちゆう紙に話している内容を絵にして描いてるわけよ。最近買ったゲームがどうとかって話をしながら、そのゲームのキャラクタ—を描いたり。社員の話になっても社員の似顔絵を描く。食ってばっかりいる社員がいるって話になると、食っている様を描くわけ。それがすごくシンプルなんだけど、ツボをついていて、非常に面白い。
——それは自然と?
杉森: なんか紙に白い部分があると描くんですよ。
田尻: 話している内容がイメージになつて瞬間、瞬間で出てきているっていうことがよくわかるんだよね。杉森が何を面白がっているのかが、グラフィツクで、すぐわかる。僕自身の認識が、普段そういうものじやないだけに、すごく面白い。社員全員が面白がっているからね。
——たぶん、あんまりそういう人はいないですよね。
杉森: そうですか?
——あはは(笑)。
杉森: でも、絵描きって、そうじゃないですか?
——ああ、そうかもしれない。
杉森: 僕自身が変わったところがあるとすれば、さっきの『ジェリーボーイ』時代の出向みたいなところから始まってて。田尻は学生時代から〃社長〃って呼ばれていて、会社を作る前からいろんな人間をまとめてたし、会社を作ったあとも本当の社長として、ダメオタクの集団みたいな連中に一所懸命給料払ったりとか、会社を整備したりとか、仕事を取ってきたりとかいろんなことを苦労してきてるわけじゃないですか。で、僕も今は肩書きが「取締役」で経営会議に出たりするんですけど、そういう責任が段々自分の身にも降りかかるようになってきた(笑)。
——あはは(笑)。
杉森: 若い頃から、こういうことをやつてたのかなあと実感してますね。やっぱり、そういうのはやらないとわからないっていうか。会社のメンバーにしても、トラブルを起こしてやめていっちやう人間に限って、あまりそういう外との交渉ごとをやらせてなかったりとか、中でプログラムだけやらせていたりとか、そういうタイプの人が、やっぱりいなくなるんですよね。外に出るというのは大事だなあと、この歳になって、若かりし頃の

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社長の気持ちが、ようやくわかってきたというか(笑)。
田尻: あはは(笑)。
——ケン力をしたりしないんですか?杉森いや、もう昔はしてましたよ。
田尻: やっぱり、ずっと近くにいると、ケンカとか言い争いみたいなものって出るよね。
杉森: 今の話にも絡むんですけど、僕は世間のことが全然わかってなくて、社長がそういうだらしない我々を見て、「ちやんと仕事しろ」みたいなことを言うわけですよ。それで僕らは「うるせなあ」と(笑)。「ゲームやりたいのに」みたいな、本当に社会人としての自覚がないレベルの低いことから。あとはゲームに対する意見とかがぶつかったりっていうのはしよつちゅうでしたね。
——田尻さんは怒りっぽい?
田尻: まあ、自分では多少そういうところはあると思う。だけど、あまり根に持たないようにしてるんだよね。特にゲームフリークの中で怒るときには、直接意見を言うときつくなるというのはわかつているんだけど、言った方がいいと思えば、あえて言う。そのときに言ったという行動自体に意味があると思ってるんだけども。
杉森: 僕なんかは、「なあなあ」で済ましたがるタイプなんで、怒れるっていうのが逆にすごいな、と。それは昔から思ってたんで。
——じやあ、ちよつと質問の方向を変えて、お互いの性格を評するとどういう感じになりますか?
杉森: う一ん(笑)。なんか「社長」と呼びたくなるような、そういう人なんで。
——頼りがいがある?
杉森: タメ口で話したこととかも、あまりない(笑)。
田尻: そうだね。
——う一ん、先輩?(笑)
杉森: そうそう、先輩っぽい感じ。
田尻: 歳は同じだけど、学校は全然違う\し、ゲームが好きだっていう価値観が魅力で出会ったわけで。そういう違いが面白いとは思うんだけど。
——仮に田尻さんがいなかったら、どんな人生を歩んでいたと思います?
杉森: いやあ、なんか野垂れ死んでいるんじゃないかと(笑)。
田尻: マンガ家になっていたということはあるのかな。
杉森: いや、それはないんじやないかなあ。
——あはは(笑)。
田尻: だけど、会ってから昔描いたものを見せてもらったけど、『ドンキーコング』のマンガとかね、ゲームを題材にしたものが結構、多いんだよね。杉森『ドンキーコング』ね(笑)。
田尻: 杉森にとってマンガとゲームは同じくらい重いというか、ボリューム感があると思うんだよね。僕にも、そういうところはあるんだけども。実際、ゲームに出会う前の俺は何をしてたのかってい

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うのを整理したことが『ポケモン』を作る動機になってたりするわけだし。『クインティ』にしても、ゲームに出会って、俺はこんなに元気になったとか、良い刺激を受けたんだって想いを1回形にしておきたいっていうエネルギーが元だしね。それをゲームの中で再現するというか、解析とゲームデザインを両方やるというのがよかったと思うんだけども。ゲー厶フリークのアイデンティティとは?
——なるほど。ただこうしてお話をうかがっていてもやっぱりわからないのが、なんでそんなに長く関係が続くのかなってところなんですけども。
杉森: う一ん。
田尻: だけど、前も話したように、ゲームフリークを会社にして2年くらいで、大量に辞めた人もいたわけだよ。で、杉森はそういうトラブルも一緒に体験して、そのあとも一緒に現場にいて作ったり考えたりする、そのことの価値について、僕と同じような見方をしているっていうことなんじやないかと思ったんだけどね。
杉森: まあ、その大量離脱のときに僕も、考えが浅かったというのもあって、反社長派みたいな時期があったんですよ(笑)。反体制みたいな。で、結果的に会社に残ったんですけど、なんかその時期の思い出がね。ずっと社長に対して後ろめたいというのもある(笑)。
——あはは(笑)。
杉森: あんまり関係ないですけど、僕が高校出たあとから親に心配かけた時期があって、その頃親にかけた迷惑っていうのがずっと心に引っかかってるんですよ。それで今、すごく親孝行に関心があるとか(笑)。それと同じような感じで、社長に対してずっと、申し訳なかったなあって思ってて。……それはまあ、昔の話だからぶっちやけて言つちやうと、若い会社にありがちな女の子を巡るトラブルで(笑)。
——ああ、前回の話ですね。
杉森: うん。前も社長が話してましたけど、その女の子がスタッフを抱き込んで(笑)。そっち派と社長派で、ちよつと険悪な感じになってたんですよ。この子を追い出すなら、俺もやめるみたいな。で、僕も最初はそっち派で(笑)。
——すごい卑近な話(笑)。でも、わかります。
杉森: まあ、若気の至りなんですけど。
田尻: 当時はまだ会社のルール作りを始めたばかりで、女の子を入れるとど、つなるのかとか、そういうことが全然わからないわけ。それで、女性を入れた方がいいって思って、ひとり入れたら、関係を持った人と持たない人でちよつとおかしな感じになって(笑)。
——うわ一、えげつない(笑)。
田尻: で、結局、辞めてもらうことにしたんだけど、それなら「俺も辞める」み

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たいな話になって。そのときに、持続してやることの難しさっていうのがわかつたんだよね。
杉森: そのみんなが辞める前に、僕と社長で言い争いがあったんですよ。で、社長に対して暴言を吐いたりもしたんだけども、その後にちよつと自己反省をして、そっちのグループと距離を置いてて。そしたら、なんか知らないうちに。
——知らないうちに(笑)。
杉森: 結託して突然、数人が辞めちやつてたんですよ。朝、会社に来てみたら、机の上に辞表が置いてあって、誰もいないっていう状況(笑)。「一緒に辞めよう」みたいな声をかけられることもなくて、その時点で僕は違うグループと見なされていたのかもしれないんですけど、誰もいないんですごいびっくりして(笑)。大変なことになったな、と。まあ、そのときは「俺のせいかも」とも思ったし、頑張らないと会社が潰れるみたいなことも思ったし。責任感みたいなのがオタクの心に芽生えたんじやないかなと(笑)。
——あはは(笑)。
杉森: そのときに僕は、この先みんな辞めたとしても僕は最後まで残ろうと思ったんですよね。恥ずかしい話なんですけど、そういう部分もあるかな。
田尻: でも、そういうことがあったから、長くやっていけるんだよね。そういうことを一緒に体験したから。結局、10人ちよっとの会社で半分以上辞めるようになるような経験すると、振り返ってゲームフリークのアイデンティティはなんだっていうようなことに思いを致すわけだよね。辞めた人はゲームフリークのメンバ—じやなくなったわけだけど、「じやあ、ゲームフリークってなんだ」って言ったときに、俺もいるし、杉森もいるし、残った人がまた「こいつだ」と思う人を探してきて組み立てなおしていけばいい。ゲームフリーク自体がなくなったわけじやないっていうかね。そのときに、僕が代表であることとか、当時のゲームフリークのアイデンティティ、それが残されていれば別に構わないんだっていう。そのことが結構、精神的にも大人になって、安定するってプロセスだったと思うんだよ。
——それじやあ、たとえば『ポケモン』のブレイクは、ふたりの関係に違いをもたらしたりはしなかったですか。
田尻: 特にないんじやないかなあ。
——言ってみれば、出会いは偶然なわけじゃないですか。それが、20年も続くには、どこかで共犯関係を結ぶかのようなことがあったのではないかと思ったりするんですよね。
田尻: どうかなあ。町田にいた頃は、ー緒にいすぎるほど一緒にいたけど、今はそういう若い頃とは別の付き合い方をしたほうがいいと思ってるんだけどね。だから今は、なるべくプライベートで何をやっているのかとか、そういうことを根掘り葉掘り聞くこともあえてしないし、ゲームについては深く話した方がいいけ

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ど、それ以外はしない方が長く続くんじやないかなと思うんだよね。たとえばお笑いでいうと、ダウンタウンがプライベー卜で、あの状態で一緒にいるかというといないわけだよね。そこにまあ、プロフェツショナルとして一緒にやるコツがあるんだろうなと思うし(笑)。そういうことは、杉森と一緒に長く続けたいと思うときの参考にしてるよね。
——というか、たとえば、インディーのバンドがメジャーデビューしてブレイクした瞬間に仲が悪くなることもあるわけですよ。
杉森: ああ。金を持ってから、あいつは変わったみたいな(笑)。でも、僕と田尻の間はないかな。
田尻:『ポケモン』に関してはそういうことは、あまりないねえ。
杉森: こういうインタビューを受けると、まるで僕が全部のポケモンを描いた、みたいな感じで出るじゃないですか、でも実際はそうじやなくて、僕も含めていろんな人がキャラクターを描いて、それを僕がまとめたんですよ、みたいな説明をする。でも、そういう部分はまどろっこしいし、記事にならないんですよね。〇〇は誰が描いて、XXは誰が原案を書きましたみたいなことを、いちいち説明するわけにもいかないし(笑)。そうすると、他のスタッフは俺も描いたのに、私も描いたのにみたいな感じになっちやう。そういう意味でのトラブルみたいなものはあったりします。それは田尻に関しても言えることで、彼がすべてのゲームデザインをやったかのような表現のされ方をしますけど、それはある意味正しくて、ある意味正確じゃない。どうしてもそう言わざるを得ない部分があるのはわかるんで、売れると面倒くさいもんだなと思いますけどね。
田尻: たとえば、売るときに任天堂の会社自体の営業のサイズには、きちんと売るパワーがあるというかさ。ゲームフリークの外部の仕組みもきちんとできていて、我々がちやんとしたゲームを作って、そういうシステムに応えられるものを作った。それは別に我々の単独の力でもないわけだよね。内部でもそういう多層化はしているし、外部でも多層化している。そういう全体のシステムがうまく動いているから売れるわけであって、単独のクリエイティブが、何か突出して末端まで行き渡らせたような錯覚を覚えると、さっきのような利益の分配についてのトラブルが起きやすいんだろうな、と。でも、その点はもう少し、僕らは達観しているんだよね。
——伊達に10年やってない。
田尻: あはは(笑)。
——ひとつ、うかがいたいことなんですけど、田尻さんが『クインティ』のときにおつしやってたことで、キャラクターに一般性を持たせるために背広を着せたりとか、そういうエッセンスを杉森さんにどう伝えて、どう絵にしてもらったんですか?「たとえばジョン・ウォータ

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ーズの……」って言っても、杉森さんは 「ん?」って感じでしょうし(笑)。
田尻: あはは(笑)。僕の場合は箇条書きでキーワードのようなものを書いて渡すことが多いかな。あとはもう少し具体的に「これはこう」とかって指示して。『クインティ』だと、子供が思い入れができて、真似をしやすいようにアイテムがあって、ネクタイをしてるキャラクターとか。で、あえて裸でっていうと、彼がいくつか描いて、「一番近いのはこれ」って感じで選んで詰めてくことが多いね。
——最初は、ふたりのキヤツチボールで進めて……。
田尻: ゲームによっては任せちゃうことも多いけど。一番任せたのがメガドライブの『タルるート』だけど、僕が関係すると、そういうキーワードの箇条書きが多いな。
——ジョン•ウォーターズを一緒に見たりはしないんですか?
杉森: いやあ、ひどいんですよ(笑)。
——ははは(笑)。
田尻: ゲームをやるためにモニタ—が置いてあるから、たまに僕が面白いと思ったものを流して見せるんだけど、あまり評判がよくなかった。
——あはは(笑)。
杉森: 僕はアニメばっかり見ているような人間だったんですけど、社長の家に打ち合わせに行くと、『ピンク•フラミンゴ』とかそういうのをかけるんですよ、仕事しながら。
田尻: はなはだ評判が悪いんだよねえ。杉森この人は何を見ているんだとか思って(笑)。だから、あんまりそういう部分は共有してないですね。
——そこは全然、-致しない。
杉森: 一致しないですね。
——う一ん(笑)。ゲームの好みが同じとかは?
杉森: 好みは違うかも知れないけど、ケチをつける点は一緒だったりとか。
——ああ(笑)。悪口はー致しちやう。杉森そうそう。「ここが良くないよなあ」みたいなところとか一致したりして。だいたい社長はクソゲー嫌いですよね。
田尻: うん。そうねえ。
杉森: 僕はクソゲーも愛好するんで(笑)。
田尻: クソゲーばっかりやってる。あえて買ってくるからね。
杉森:あはは(笑)。
田尻: でも、その心情はわかるんだよ。僕自身、ゲーセンのゲームに関してはクソゲーだと思ってもやってたから。とりあえず、ひと通りやるんだっていう想いはあって、つまんないとわかってても100円は入れるっていう。だから、家庭用ゲームでしょうがないものをいっぱい買ってくるのは、当然あるだろうなあとは思うけど。ダメなところを再認識して、自分が表現するときに役立てるわけだから。当たり前の話だけど、いいものはいい、悪いものは悪いって言えるように、

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両方体験するのはプロになるためには必要だよね。なんか純粋に出来のいいものはあまり好きじやない。だから、セガとか好きなのかも知れないし。
——あはは(笑)。
田尻: 僕のイメージだと、セガは皮肉も込めて〃フロンティアスピリットにあふれてる〃ってい、つかさ。フロンティアばかり夢見ているヤツっていう(笑)、ちよっとイヤミも入っているんだけど。杉森なんかは、そういうセガが好きなんだよね(笑)。
——やっぱりいまだに、田尻さんにとつて杉森さんは重要なパートナーでしょうか?
田尻: 重要だね。僕の言いたいことを絵にしてくれることが多いし、ひとりで悶々と整理がつかないときに、杉森と話をすると形が見えるというのもあるし。
——それじゃ、杉森さんにとって田尻さんは?
杉森: 欠かせないというか、やっぱりいまだに言葉の端々から非常に感銘を受けることが多いんですよ。
田尻: 杉森は、僕がまったく持ってないものっていうのは持っていると思うんだよね。それが一緒にいて、ふたりで完璧なものを目指せば、面白いことを考えっくんじやないか、と。ゲームを作りたいと思うようになってから、そういう思いはあるんですよ。杉森は僕が持ってないものを持ってるってはっきりわかってる。だからこそ、尊敬して一緒にやれるんだと思、つんだよね。

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