Pokemon Story/p75
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第1章 誕生 3 プロデューサー 2人のプロデューサー 田尻が小田急線と中央線快速を乗り継いで、神田駅徒歩5分の任天堂東京事務所のビルにやってきたときのことを、現在任天堂広報室企画部長で当時任天堂総務部総務課長だった川口孝司は今も覚えています。そこには石原恒和というゲームプロデューサーもいて、川口と一緒にプレゼンテーションを聞きました。「田尻君がやってきたとき、ぼくもちょうど東京事務所にいたので、話を聞くことになったんです。ゲームボーイの通信ケーブルは、対戦のために作られたケーブルだつたんですけど、田尻君はそれを交換ケーブルに使いませんかと言ってきた。彼はそのときイメージのスケッチを持ってきていたんですが、そこにはゲームボーイの絵が描いてあって、ケーブルの中を通って自分が持っているアイテムが、トトトトツて、相手のゲームボーイに移っていくというイメージが伝わってきたんです。こういう風に、ケーブルを通っていろんなものが行ったり来たりできたら楽しいですよね、とね。そのときはカプセルモンスタ—と彼は呼んでいて、ガチャガチャで売ってるカプセルの [[BOTTOM TEXT, pt 1| プロデューサーという仕事 ぼくは97年の夏、ミニ四駆のアニメで初めて映画プロデューサー業を体験しました。その際、誰かの許可や公の免許が必要だったわけではありません。映画を製作するお金を集め、製作を指揮することができれば誰でも立派にプロデューサーになれるのです。儲けや質感という点を度外視すれば、プロデューサーになるということになんの八ードルも存在しません。おそらくゲー厶も同様でしょう。 ]] 75
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