Pokemon Story/p70

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れまでの1台のマシンに一つのゲームというゲーム機の常識を打ち破って、カートリッジ式家庭用ゲーム機アタリ2600、通称アタリVCS (ビデオ・コンピュータ・システム) を発売しました。
アタリVCSは、発売直後から爆発的に売れ、販売台数の累計は2000万台に達したと言われています。ファミコンが登場するまでは、日本でも売られていました。もちろんゲームソフトも大量に売れました。ヒットしたゲームなら100万本を超え、数十万本売れるゲームは珍しくありませんでした。
このブームに乗って、全米で十数誌のビデオゲーム専門誌が創刊され、『ビルボード』誌がゲームソフトのヒットチャートを掲載するようになりました。テレビ、ラジォ、雑誌とあらゆるメディアを使ってゲームソフトが宣伝されました。ゲームのカートリッジはオモチャ屋さんだけでなく、セブンイレブンを初めコンビニエンスストアでも販売されました。当時のアタリVCSでプレーできるゲームソフトのタイトルは1500種にも及んでいました。
アメリカの家庭用ビデオゲームのマーケット規模は、1981年に10億ドル、翌82年には二十数億ドルになったとする統計もあります。アタリは78年にブツシュネルからワーナー・コミュニケーションズに売却されていましたが、ワーナーの82年の利益の60%はアタリ1社が稼ぎ出したものでした。

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した。
北米では上記本文の説明通り、日本とは違いビデオゲー厶熱は冷めきっていました。それゆえファミコンのアメリカ進出のためには、日本とは全く違った戦略が必要となったのです。まず北米版のファミコン本体には、アタリ社の失敗のイメージを払拭するために、製品名にあえてコンピユ——タの文字を無くし、エン夕—ティンメントの名を付加しました。それがNES(ネス)というわけです。また、戦略イメージ商品としては、横井軍平が開発した小型ロボット (ブロックとジヤイロ) を用いました。日本ではファミコンでロボットを動かすというソフトとしてかなり異色な存在でしたが、北米では単なるビデオゲー厶で
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