Pokemon Story/p58

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クが大きく寄与しています。アタリはこの後、アメリカのゲーム業界だけでなくコンピュータ産業界の風雲児となってゆきます。
山内は、レーザークレー射撃場の損失を回復する方法を模索するなかで、このようなアメリカのゲーム界のダイナミックな動きを知ることになりました。その結果、任天堂が今後進むべき道として選んだのが、家庭用ビデオゲーム機だったのです。しかし、すぐに自前で開発するだけのノウハウも技術力もまだありません。そこで山内は、まずマグナボツクス社の家庭用ビデオゲーム・システムを日本に導入することにして、ォデツセーと同じゲーム機を日本で製造販売するライセンスを取得しました。1975年のことでした。マイクロプロセッサーを使った回路開発の技術がなかったため、三菱電機と提携してのプロジェクトでした。

ファミリーコンピュータ

任天堂が初の家庭用ビデオゲーム機『テレビゲーム9』と『テレビゲーム15』を大々的に発表したのは、ライセンス取得から2年後の1977年でした。それぞれ9通りと15通りのバリエーションで楽しめるテニスゲームです。
『テレビゲーム』2機種は、ぐんぐん販売台数を伸ばしました。累計では2機種とも

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です。国も言葉も宗教も違う相手とビジネスする際、この「unfair(アンフェア・不公平の意)」という言葉は唯一の武器になる場合が多いのです。アメリカ人を含む西洋人は、極端にこの言葉を言われるのを嫌います。交渉ごとは国内外を問わずフェアに行うべきでしょう。ただこれは全ての国で通用するわけではありません。国によってはアンフェアと言った瞬間に殺されてしまうことだってあるのです。言い換えるとこの言葉を発することのできる交渉の場は、とてもフェアだと言えるかもしれません。ご注意のほどを!
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