Pokemon Story/p54

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銃の成功がないままレーザークレー射撃場を始めていたら、任天堂はこのとき倒産していたかもしれないと指摘する人がいるほどです。
しかし逆に、任天堂の今日の成功は、このときの失敗があったからだとも言えるかもしれません。というのは、この失敗を機に、山内はアメリカからビデオゲームシステムを導入することを決断したからです。
山内は、レーザークレー射撃場の失敗という苦境から脱するため、開発チームを督励する一方、自身もさまざまな方向性を模索しました。そのとき山内がもっとも興味を引かれたのが、最新のエレクトロニクス技術でした。
アメリカでは、娯楽製品にエレクトロ二クスの最先端技術が惜しみなく使われていました。それがアタリやマグナボツクスといった会社が手がけていた家庭用ゲーム機です。アメリカでは日本より10年以上も早く、アーケードゲームから家庭用ゲームへのシフトが始まっていたのです。
アメリカでは1972年に、早くも家庭用ゲーム機が発売されていました。マグナボックス社製の『オデツセー』です。家庭にあるカラーテレビに接続してプレイするシステムで、現在のゲーム機とは異なり、あらかじめ一つのゲームのプログラムがセットされたゲーム機です。
ォデツセーにセットされていたのは、日本でテニスゲームと呼ばれたゲームでした。

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任天堂という会社
「はっきり言って奥が深い会社」ーー任天堂を一言で表現するとこの言葉がぴったリでしょう。
久保は、足掛け15年ほど雑誌編集者として任天堂と様々な仕事をおこなってきました。仕事は難易度の高い厳しいものばかりでしたが、以外にも今日まで大きなストレスを感じずに来ています。理由は明快です。「山内社長がOKすれば、企画は前に進む」という基本的なコンセンサスが社内でしっかり確立されているからです。もう少しわかりやすくお話ししましょう。任天堂は山内社長のワンマン経営が有名です。それ故大きな企画は必ず社長の決裁が必要となります。そうすると企画立案者は社内
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