Pokemon Story/p50

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そのために新たに設置したのが、新商品の研究開発を担当するゲーム部でした。ゲーム部を本社のある高松町から離して自社倉庫があった宇治に置いたのも、担当者の自由な発想を重んじたからでした。
「なんかどえらいもん、作ってみなはれ」
ゲーム部で何を作ればいいのかと聞かれたとき、山内はこう答えました。自由に発想してエンターテインメント・カンパニーにふさわしいゲームの開発にあたらせる。これが山内の狙いでした。
ゲーム部初代部長は、総務部長兼任の今西紘史でした。今西は同志社大学法学部から任天堂に入りました。総務、経理、企画と所属部はさまざまに変わりましたが、常に山内のかたわらにあって、山内の事業計画の大半を推進するという重要な役割を担っていました。今回もまた、任天堂の将来を左右することになるであろう部門を任されたのです。
今西率いる任天堂ゲーム部は、社長直属の研究開発部門として努力を重ねます。そして昭和44年(1969年)、最初の成果である『ウルトラハンド』を発売しました。ウルトラハンドは、伸縮する木製の手の両端に操作するためのハンドルと物をつかむハサミを付けたマジックハンドの一種です。山内が800円の定価を付けて商品化すると、たちまち120万個も売れました。カード類以外でミリオンセラーを記録した、

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取締役広報室長。
1940年8月13日生まれ63年3月任天堂株式会社入社。75年5月総務部長。94年6月より現職。川口企画部長の相談相手として様々な任天堂広報マターをおこなっている。
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今西紘史さん
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