Pokemon Story/p48

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まだ早稲田大学法学部の学生でしたが、房治郎の娘婿で二代目だった父、積良の遺言に従い、大学を中退して京都に帰りました。溥は昭和2年(1927年)生まれですから、まだ22歳の若さでした。溥はこのときから半世紀のながきに渡って任天堂の舵をとり、任天堂を世界有数の優良企業に育て上げることになります。社長に就任した山内溥は、いくつかの失敗の後、「任天堂は娯楽゠エンタティンメントに徹する」という社是を掲げました。商品開発にあたっては形式にこだわらず、娯楽性の高さという一点を最優先しました。時代が大きく変わる中で、品質の高さという伝統を守りつつ、常に時代をリードする商品開発を目指そうとしたのです。ただし、新商品の開発には時間がかかります。昭和26年 (1951年) に社名を任天堂カルタに変えた山内は、まずトランプの一層の普及と販売増を目指して、28年 (1953年)、日本で初めてプラスチックコーティングのトランプの製造を開始しました。さらに34年 (1959年) には、ウォルト・ディズニーとライセンス契約を結んで、ディズニー・キャラクターのトランプを作り始めました。任天堂が発売したミッキーマウスなどディズニー・キャラクターのトランプは大ヒツトし、トランプで遊ぶ日本人の年齢層を大きく広げました。老若男女を問わず日本の家庭の身近な娯楽の一つとして本当にトランプが定着したのは、この任天堂のディズニー・トランプがきっかけでした。任天堂はこの成功で、次のステップを目指すた

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山内溥さん
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代表取締役社長。1927年11月7日生まれ。1949年12月任天堂株式会社入社。同年12月より現職。日本が世界に誇る20世紀のゲー厶ビジネス界で最も影響力のある経営者。21世紀には後継者へ譲ることを明言し、2000年6月には大胆な役員人事をおこないました。しかし、任天堂の文化とも言うべき独特な経営観は、山内溥そのものとも言われており、外国人株主比率も高いことから、
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